第59話 危険なお誘い
インタビューを終え、壇上の袖へと降りる。簡易仕切りに囲われたその場所は、喧騒から切り離された密室のようだった。入り口には警備員が立ち、部外者の侵入を厳しく制限している。
朱里と北川さん、千代乃と護衛らは、ここで待機していた。
「ダーリン、お疲れ様でした」
朱里が僕を労ってくれる。続いて北川さんと千代乃と松田さん、他の護衛らからも労いの言葉を受ける。
そんな和やかな雰囲気だったのだが―ー僕は、空気の質がわずかに変わったことに気づいた。
朱里と護衛らも空気の変化に気付き、視線は出入口に向けられる
すると、二人の女性が入ってくる。
ひとりは、先ほどまでマイクを握っていた陸軍広報部の「牧野 葵 少尉」、そしてその隣に立つのは、一段と強い存在感を放つ陸軍の制服を着た美しい女性だった。
「甲斐田さん、先ほどはありがとうございました!」
「牧野 葵」少尉がぺこりと頭を下げる。
「こちらこそ、丁寧なインタビューをありがとうございました」
僕が穏やかに応じると、もう一人の女性は僕の顔をじっと見つめてきた。まるで僕を観察し、値踏みするような視線を向けている。
「……こちらは、姉の“牧野 椿姫”大尉です」
牧野 葵 少尉が隣りの女性を紹介すると、大尉は一歩前に出る。
「はじめまして、甲斐田さん」
低く、よく通る声だった。細いフレームの眼鏡の奥にある瞳は鋭いが、どこか熱を帯びている。
「陸軍監査本部の、牧野椿姫大尉です。妹が大変お世話になりました」
栗色の髪をアップにまとめ、軍服に身を包んだ彼女は、凛とした佇まいに妖艶な色香を漂わせていた。タイトなミニスカートから覗く立ち姿は、美しくもどこか人を寄せ付けない鋭さがある。
(……鋭いな)
僕は内心で警戒する。
すると4名の護衛が僕の前に出て警戒態勢を取ろうとするが、僕は手で制した。
椿姫大尉が一歩近づく。ほのかに香る香水と、体温の気配がする距離まで詰めてくる。
「甲斐田さん⋯⋯少しお話しをしたいのですが、お時間をいただけませんか? できれば――落ち着いた場所で、ゆっくりと」
「それは、食事のお誘い……ということでしょうか?」
僕が軽く首を傾げると、椿姫大尉の口元がわずかに緩んだ。
「話が早くて助かります。ええ、その通りです」
「……いきなりですね」
僕は苦笑する。
さらりと告げられた言葉に、周囲の女性たちが息を呑む。
葵が慌てて口を挟む。
「お、お姉ちゃん!……牧野大尉! もう少し段階を――」
「葵は黙ってなさい。今は大事な交渉中よ」
ぴしゃりと制され、葵はしゅんと肩を落とす。
「へぇ〜……大尉殿直々のお誘いとは、ずいぶんと積極的ですね」
いつの間にか僕の隣りにいた千代乃が、小さく笑う。
椿姫はそんな千代乃を一瞥するのみで無視し、視線をすぐに天馬へ戻した。
「価値ある対象には、相応のアプローチをする主義ですので」
「価値ある対象……ですか」
僕は苦笑いを交えて応える。
「ええっ……特にあなたのような希少な“男性”であれば、なおさら」
椿姫大尉はニヤリと口角を上げ、そう告げた。刹那、場の空気がわずかに変質する。「希少」という言葉を強調するその響きには、明らかな含みがあった。
その様子を横目に、椿姫大尉はふっと視線を僕の後ろに控える北川さんに流した。
「それと……北川さん。お久しぶりですね」
「……ご無沙汰しております」
北川さんの声が、わずかに硬くなる。
「情報省監査局のエリートが、まさか男性保護庁に“出向”とは……面白い人事ですこと――不自然すぎる配置よね?」
「業務上の判断です」
「でしょうね――“表向きは”。そういう建前、嫌いじゃないわ」
北川さんと牧野大尉は、顔見知りなのであろうか? それにしては……北川さんが彼女の圧にのまれているようだ。
次に、大尉の視線が朱里へと向く。
「あなたは………まあ、いいわ」
「えっ! 雑っ!?」
朱里が思わず声を上げる。
「ちょっと! ダーリンの妻なんだけど!?」
「把握してるわ。でも優先順位は低いの」
「むぅ……!」
朱里は頬を膨らませる。椿姫大尉は含みのある笑みを浮かべ、そのまま再び天馬へと向き直る。
朱里と北川さんが僕の前に出ようとするが、僕は2人を制する。
千代乃は様子見をしているようだが、その眼光は鋭い。
いざとなれば、千代乃が何とかしてくれるので、その存在だけで安心する。
大尉はそんな妻らと北川さんを軽く躱すと、話しを続ける。
「さて、本題に戻りましょうか」
「本題ですか?」
僕は怪訝な表情をする。
「あなたのことよ、甲斐田天馬さん」
今度は真正面から見据えられる。
「……これから落ち着いた場所で、葵と一緒に食事でもしながらお話ししませんか? 甲斐田さんにとって、非常に良い条件の話を用意しております」
「葵さんとは……機会があればぜひご一緒したいのですが、今日はレース直後ですので体を休めたいのです。どうかご容赦ください」
僕がお誘いを断ると、葵少尉は赤面し驚くも、椿姫大尉はあからさまに眉をひそめた。
(これが若駒会か! 面倒だな! ここはやんわりと断ったほうが良さそうだな)
と、僕は心のなかで呟く。
「では⋯⋯来週の土曜日など、いかがかしら?」
「あいにく、色々と立て込んでましてね⋯⋯、それと⋯⋯綺麗な女性からのお誘いは、とても嬉しいのですが、見ず知らずの方に安易に付いていくのは、どうかと思います」
椿姫大尉は、とても驚いた表情をし言葉を失う。すると、それまで僕らのやり取りを黙って聞いていた千代乃が口を開く。
「夫はレース後で疲れてますので、お誘いはまた後日にしていただけませんか? 私と連絡先を交換し、今日のところはこれで失礼とさせてください」
椿姫大尉は、千代乃に冷たい視線を向け、嫌みたらしく言う。
「あらっ、そちらは……吉澤千代乃夫人ね。確か『JISS』(Japan Institute of Strategic Studies 日本国総合戦略研究所)の理事をなさっているとか。これといった実績もないお若さで、一体どうすればそんな要職に就けるのかしら? 機会があれば、ぜひ秘訣を伺いたいものね」
痛いところを突かれた千代乃だったが、動揺を見せることなく、静かに目を細めて椿姫大尉を見返す。
対する椿姫は、余裕の笑みを浮かべたまま言い放った。
「政・官・財に影響力を持つJISSでしょうけれど、私たち『若駒会』は、そんな圧力には屈しないわ。むしろ、かけてみたらどうかしら? その瞬間、あなたたちは国民すべてを敵に回すことになるけれど」
そして椿姫大尉は再び僕を正面から見据える。
「実は、あなたのことを調べさせてもらったの」
彼女は更に鋭い眼差しを僕に向ける。
「今年の一月以前のあなたの個人情報には、アクセスできませんでした。権限を持つ私ですら“見れない!”おかしいと思わない?」
『………』
千代乃は落ち着いているが、それ以外の全員が何とか動揺を隠すも、何も反論せず。
僕は目を細め、椿姫大尉を見据える。
そんな僕を真正面から見つめ、椿姫大尉はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「戸籍は存在する。ですが……内容は整えられすぎている。まるで“作られた履歴”のようにね」
朱里が一歩前に出ようとするが、僕は軽く手で制した。
「さらに不可解なのは、あなたの競技歴です。突如として現れ、世界記録を打ち立てる。にもかかわらず、それ以前の記録は皆無」
椿姫の声が、わずかに熱を帯びる。
「これほどの実力と……その容姿。普通なら学生時代から話題になっているはずです」
『……』
誰も反論せず、ただ彼女の話しを聞く。
「それに、24歳にもかかわらず、今年一月以前の婚歴がみあたらない」
この世界では、男性の未婚は極めて異例だ。
「空白、不自然、矛盾……あなたは、一体何者ですか?」
椿姫大尉は一歩踏み込む。数十秒もの静寂な時間が流れる。
その空気を破ったのは、北川さんだった。
「監査本部の調査ですか?……仕方ありません……正直にお話し致します。これは男性保護法の個人情報に抵触してしまいますが、彼は長期間、入院してました」
「入院?」
「えぇ。男性保護法の適用対象です」
そう北川さんは牽制するも、その言葉に、椿姫大尉の目がわずかに細められる。
「……なるほど。確かに、それなら情報制限の説明がつく」
だが――と続ける。
「しかし、納得はできませんね」
「どういう意味でしょう」
「長期入院していた人間の体ではない」
椿姫大尉の視線が、天馬の体をなぞる。
「鍛え上げられた筋肉。無駄のない動き。これは明らかに長年のトレーニングの成果です。とても長期入院していた体とは言い難いわ! いきなりの世界記録、過去の実績ゼロ、しかも婚歴なし……不審な点が多くみられますね。情報省監査局にいたあなたなら、不審な人物の調査をするのは当然でしょう?」
その問いは、柔らかい声音とは裏腹に鋭かった。
北川さんが直ぐに警告を発する。
「これ以上の関わりは止めてください!、男性保護庁の権限により、警察に通報させていただきます! それに⋯⋯あなたに話さなければならない理由はありません!」
椿姫大尉は特に慌てることなく、落ち着いて反論する。
「そうおっしゃるのでしたら、こちらも……戸籍、婚姻など、多くの不審点が見られる!したがって、甲斐田天馬を『スパイ防止法及びテロ準備罪』の容疑で、陸軍監査本部の権限で拘束することもできるのですよ! よろしいですか?」
『『………!!』』
僕を含めて全員絶句した。
ただ、千代乃だけは落ち着いていた。若干ニヤケた表情をしている。
千代乃は椿姫大尉に確認をする。
「スパイ防止法にテロ準備罪とはまた随分と大きく出たわね……このことは“統合司令部”と総理は承認してるのかしら? 確か、国内の男性をその容疑で拘束する場合、承認が必要なはず、どうかしら?」
「……」
椿姫大尉は何も答えない。
「その様子だと、承認は得られていない様ね。だとしたら、あなた、職権乱用罪になるわよ、いいのかしら?」
椿姫大尉は特に慌てることなく、ニヤリと口角を上げ、落ち着いて反論する。
「何も拘束するとは言ってませんよ。あくまでも“することもできるのですよ”と、可能性を言ったまでです。言葉をはき違えるのは止めていただきたいものですね」
千代乃もニヤリと口角を上げる。
「詭弁ね、そういうの嫌いではないわ」
椿姫大尉は怯まず、口角を若干上げる。とても余裕すら感じられる表情である。そして再び僕に顔を向ける。
「別に、脅すつもりはありません。あくまでも……可能性を言ったまでです。では……改めまして……どうでしょう? 甲斐田天馬さん。来週土曜日に、わたくしどもとお食事をしながら、ゆっくりお話でもいたしませんか?非常に良い条件の話を用意しております」
椿姫大尉は、ゆっくりとお辞儀をする。
すると、北川さんが間に入って強い口調で言い放つ。
「牧野大尉! 私には天馬さんを脅しているようにしか聞こえません! これにて失礼させて頂きます!」
「よろしいのですか! 甲斐田さんの数々の素性の不審点をつかれても。法律によりマスコミは納得しているようですが、誰も気づかないと思ってるのかしら?マスコミは報道しないけど、ネットはどうかしら?」
椿姫大尉の口調が若干強くなる。北川さんが反論する。
「それは、どういう意味かしら?」
「例えばですが、ネットの掲示板などで、婚姻、競技履歴など……素性の不審点を付いてくるものが現れないとも限らないですよね。これだけの美貌を持ち合わせた男性の学生時代とか、両親とか、生い立ちとか……色々と探りを入れてくるかもしれません」
「⋯⋯!、それは……法律で禁止されてます! 開示請求をすれば、誰が流したのかは、特定できるわ!」
北川さんが更に語気を強める。
椿姫大尉は、不敵な笑みを浮かべつつ応える。
「さて、それはどうかしら? 海外のサーバーを経由してとか⋯⋯だったら?それが一気に数万件ともなれば、もはや特定どころではないでしょうね? 海外のサーバーならば、国内の法律では裁けませんものね。誰も指摘してないけど⋯⋯ある日突然⋯⋯なんてこともあるかもしれませんよ?」
一拍置いてから大尉は続ける。
「別に脅しているつもりはございません。ただ、可能性を指摘しているだけです」
北川さんは何も言い返せず、歯軋りする。
確かに、椿姫大尉が会長を務める「若駒会」全員が同じように一斉に海外のサーバーを経由して、僕の素性の不審点を流されたら、収拾がつかなくなる。
横に立つ千代乃を見ると、とても落ち着いている。その表情は余裕すら感じられる。何か策でもあるのだろうか?
千代乃が出入口に視線を向けた――そのとき。
真由美さんが入って来た。
「……そこまでにしていただけませんか!」
静かに、しかし強い圧を帯びた声が割って入る。椿姫大尉の表情が初めて揺らいだ。
「……獅子師団の藤野……大将……!」
大尉は明確な動揺をみせる。
「今はただの軍需顧問です」
真由美さんは穏やかに微笑む。
「お久しぶりね、大尉殿」
「まさか……閣下がここに来られるとは……」
空気が一変する。周囲の護衛たちも、わずかに緊張を強めた。
「彼には、これ以上関わらないでいただきたい」
椿姫大尉は真由美さんに気圧されながらも、僕と真由美さんを見比べる。
余りにも面顔が似すぎていると驚きを隠せないでいる。
そして――目が細まる。確信に満ちた表情にも見て取れる。
(……もしかすると……気付かれたかもしれない!)
僕はその緊張を断ち切るように、大胆な行動をとる。
元の世界ではNGだが、こちらの世界ではきっと大丈夫だろう。そう自身に言い聞かせて「牧野 椿姫」大尉に近づきながら言う。
「いいですよ! お食事でも致しましょう」
「……?!」
椿姫大尉は、僕が近づいてくることに怪訝な表情をする。
「あなた方の目的を知りたい――そんな怖い顔をしていたら、せっかくの美人が台無しですよ、牧野大尉」
「なっ!――」
言い終わるより早く。天馬は椿姫の腕を取り――引き寄せた。
「え――ちょ、まっ……!」
次の瞬間、唇が重なる。
時間が止まった。
僕は更に椿姫大尉の口内へと舌を侵入させ蹂躙する。僕の唾液を椿姫大尉の口内に塗るように、ねっとりと絡めた。
突然の行動に椿姫大尉の目が見開かれ、そのまま固まる。
やがて――頬がみるみる赤く染まっていく。
「……ぁ……」
椿姫は力が抜け、頬が朱に染まり、視線がとろけるように揺れた。
葵が赤面しつつも呆然と呟く。
「え……えぇぇ……!? お、お姉ちゃん……!?」
さらに後方では、朱里、北川さん、千代乃、真由美さん、そして護衛たちまでもが完全にフリーズしていた。
やがて天馬は、そっと唇を離す。
「……っ……」
唾液が長い糸を引いてから切れる。
椿姫はその場に立ったまま、焦点の合わない瞳で天馬を見つめ続ける。
「……これで、少しは落ち着いて話せますか?」
椿姫は答えない。ただ、ぼんやりと天馬を見つめている。
「葵少尉、お願いします」
「は、はいっ!」
慌てて支える葵。椿姫は力が抜けたまま、されるがままだった
「お姉さん、しっかりしてください……!」
「……ぁ……てん……ま……」
椿姫は呟きにもならない声を発する。
僕は静かに言う。
「来週は難しい。再来週――こちらで場所を指定します、いいですね!」
「え、えっと……はい、その……承知しました……!」
葵が必死に応じ、千代乃と連絡先を交換する。
僕は軽く頷き、踵を返す。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず――です」
僕が発したその言葉に、千代乃がはっと息を呑み、驚いた表情をした。
様々な感情が交錯する中――。
「行きましょう」
僕の一言で、一行は動き出す。
背後では、まだ脱力し呆然と立ち尽くす椿姫の視線が、完全に心を掴まれたような目つきで、いつまでも天馬を追い続けていた。
僕は小さく息を吐く。
(さて、これで向こうも本気で来るな)
様々な思惑と余韻を残したまま、一行はその場を後にし、帰路へとつく。




