第51話 閑話2 千代乃との休日
【お知らせ】
愛理との結婚休暇についてですが、18禁の描写が含まれるため、規約等の都合上こちらへの投稿は控えさせていただきます。
楽しみにしてくださっていた方、申し訳ありません。
5月27日(日)
昨日、部員全員分の記録会の分析結果は、ひとまずまとめ終える目処が立った。ラップ推移、心拍データ、ピッチとストライドの変動、終盤のフォーム崩れ――細かい修正点まで洗い出してある。
あとは最終的な統合レポートをクリスに任せることにした。
彼女は研究者としての視点から、僕とは違う角度で切り込んでくれる。データの裏に潜む“伸び代”を見つけ出す能力は、正直、僕より上だ。
◆◆◆◆◆◆
今日は久しぶりに完全なオフ、朝から護衛を伴い千代乃と買い物へ出かけることにした。
初夏の陽射しが街路樹の若葉を透かして眩しい。
千代乃はブルーシャツにベージュのスリット入りミニスカート、その上に黒のメッシュニットを羽織った今どきの洗練された装いだ。足元の黒のショートブーツが、大人のきちんと感を演出している。
スカートのスリットは……先日の牧野少尉の影響だろうか。
僕はといえば、上下紺のジャケパンスタイルに白Tと白スニーカー、5月の青空に映える王道の初夏コーデだ。
それと、サングラスを着用している。
改めて思う。千代乃は、とても“いい女”だ! とても200歳を超えているとは思えない20代の若さと艶を保っている。
向かったのはショッピングモール。休日の午前中とあって、多くの女性客で賑わっている。
「天馬さん、サングラス絶対に外さないでよ!今は顔バレ率が異常だから〜」
「分かってるよ……でも、背があるからあまり意味ないかもな」
千代乃は苦笑しながら僕の腕に絡みつく。その様子はどこか楽しそうだ。
世界記録更新以降、街中の視線は明らかに増えている。
ショッピングモールに入ると、ひんやりとした空気が火照った身体を包み込む。
「今日は何を買うの?」
「まずはあなたの普段着かな~、練習着とスーツしかないの、どうにかしないとね」
「そんなことないだろ」
「あるの!」
即答だった。確かにクローゼットの8割はチームウェアかスポンサー関係の服ばかりだ。
千代乃に連れられるまま、カジュアルショップへ入る。
店内を歩くと、女性客ばかりなのもあってか、やはり視線を感じる。
女性が圧倒的多数のこの世界で、成人男性が女性と二人で買い物をする光景は、それだけで珍しい。ましてや僕の身長だ!すでに何人かは気づいているようで、店内がわずかにざわつく。
だが千代乃は動じない、自然に僕の腕を取る。
「気にしないで。今日は“普通の休日”よ。私が付いてるから」
その言葉が、なぜか胸に沁みた。
僕も周りを気にせず、千代乃との買い物を楽しむことにした。
僕は選んだライトブルーのシャツを体に当ててみる。
「どう?」
「……うん、似合う。ちょっと爽やか過ぎるくらい」
「過ぎるって?」
「女性人気がさらに上がるってこと」
からかうような視線を向けてくる千代乃に、僕は思わず目を逸らした。
「別に、人気なんて」
「あるの!自覚しなさい」
千代乃は小さく笑う。彼女のそういう余裕のある微笑みが好きだ。
その後、千代乃の夏物ミニスカートやTシャツ、僕の私服も数点購入した。量が多くなったため、千代乃の現住所へ配送手配をした。僕の住所特定防止のためだ。
ちなみに千代乃は入籍後、美月の隣の部屋をすでに購入している。
次に向かったのはジュエリーショップ。ここではこれまで妻たちの指輪を購入しており、僕はすでに常連だ。
入店すると、店員は驚くことなく一礼し、予約なしにもかかわらず奥の個室へ案内してくれた。
「いつも当店をご利用下さり、ありがとうございます。本日はどのようなお品をお探しでしょうか?」
「同じデザインの結婚指輪をお願いします」
僕ははっきりと告げた。
千代乃が、驚いたように僕を見る。
「……え?」
店員がケースを開き、これまで購入してきたデザインと同型のリングを用意する。上品で無駄のないフォルム、僕が気に入ってるデザインだ。
「サイズを測らせていただきますね」
千代乃はまだ状況を理解しきれていない様子で、そっと左手を差し出した。
測定が終わり、リングが用意される。
僕は箱を受け取り、椅子から外れて千代乃の前に向き直り、その場で跪く。
「千代乃」
「……な、なに?」
千代乃の声は震えている。
「これからも、ずっと傍にいてほしい」
静かな個室——護衛も店員も空気を読んで一歩引いている。
僕はリングを取り出し、千代乃の左手薬指にそっとはめた。
ぴたりと収まる。
その瞬間――
「……っ!!」
千代乃の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「うそ……ほんとに、私に……?」
声が震え言葉にならない。
「当然だろ」
そう言うと、彼女は両手で口を押さえ、肩を震わせて泣き始めた。
その様子を見ていた若い店員が、思わず目頭を押さえる。
隣のベテラン店員も、そっとハンカチを取り出した。
「……素敵すぎます……」
小さな嗚咽が聞こえる。千代乃は涙でぐしゃぐしゃになりながらも、何度も指輪を見つめる。
「一生、大事にする……」
「壊れても、また買うよ」
冗談めかして言うと、千代乃は泣き笑いしながら僕の胸に額を預けた。
個室の空気が、温かく満ちていく。
~~~~~~
店を出て、ショッピングモールを後にしたころには、14時過ぎになっていた。
「お腹、空いたな」
僕がそう言うと、千代乃はくすりと笑う。
「ホテルで素敵なランチ……とかじゃないの?」
「今日は違う」
そう言って、駅近くの細い路地へと入っていく。その一画に昼から飲める小さな居酒屋『客恋慕』がある。
L時型カウンターが12席ほどの年季の入った、いわゆる“味のある店”だ。
事前に調べておいた。女将ひとりで切り盛りしていて、安くて旨いと評判な常連に愛される店らしい。
元の世界線では、こういう狭くて少し小汚い店に、僕はよく通っていた。
この世界にも同じような空気の店があると知ったときは、正直少し嬉しかった。
暖簾をくぐると、店内には出汁と焼き魚の香りが漂っていた。
カウンターの向こうから、三十代半ばほどの女将が顔を上げる。一瞬、僕を見て目を見開いたが、すぐに営業スマイルに切り替えた。
「いらっしゃいまっほ~~!」
どこか砕けた声、僕は笑いながら手を挙げて言う。
「女将さん、久しぶり~!」
女将は一瞬たじろいだあと、すぐに乗ってきた。
「あらっ!久しぶり~!元気してた?」
手を差し出してくる。僕はそれに応じ、軽く握手を交わす。
その様子を見ていた千代乃が、小声で僕に言う。
「……てっ……天馬さん、よくこのお店に来るの?」
僕はサングラスを外し、にこりと笑った。
「初めてだよ」
「え?」
千代乃は絶句する。
女将はそこで、はっと気づいたように僕の顔をじっと見る。
「あれ……ちょっと待って。もしかして……」
僕は人差し指を口元に立てた。
「内緒で」
女将は口を押さえた。
「え、え、え? ほんとに?! あの……?」
「たぶん、その“あの”」
彼女はしばらく僕を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「うち、女性しか来ないような店よ? なんでこんなとこに……」
「旨い店に性別は関係ないでしょ」
そう言うと、女将はふっと笑った。
「……なんか、イメージと違うわね」
「よく言われる」
カウンターに並んで座る千代乃は周囲をきょろきょろと見回している。
壁には手書きのメニュー、年季の入った木のカウンター、昼からビールを飲む女性客が数人。
「……こういう店、初めて」
千代乃が小声で言う。
「嫌だった?」
「ううん!なんか……新鮮」
僕と千代乃は生ビールを注文し、女将が大ジョッキグラスを置く。
「はい、とりあえず生大ね」
千代乃と軽く乾杯する。
「昼から飲むの久しぶりだ」
「えっ、天馬さん、こういうの好きなの?」
僕は女将に聞こえないように千代乃に囁く。
「好きだよ。元の世界では、よく通ってた」
千代乃は少し驚いた顔で僕を見る。
「なんか……もっと高級店しか行かない人だと思ってた」
「偏見だな」
僕は焼き魚を頬張る。
「うまい!」
女将が腕を組んで得意げに言う。
「でしょ? 見た目はボロいけど、味には自信あるの」
「最高~!」
自然と会話が弾む。
女将は僕が“あの天馬”だと分かっていながら、あえて普通に接してくれる。
少し間をおいてから、女将はニヤりと口角を上げながらも話しかける。
「ねえ、ほんとに来慣れてる感じするんだけど」
「居心地いいからね」
僕もニヤりとした表情で、正直な感想を述べた。
「いやいや、違和感あるわよ? あなたみたいな男が、こんな店に昼から来るの」
「こういう店で飲むほうが、落ち着くんだ」
女将は少し黙り、それから笑った。
「……なんか、安心した」
「何が?」
「ちゃんと“人間”なんだなって」
千代乃が、その言葉に小さく頷く。
彼女はずっと僕を見ていた。リングをはめた左手で大ジョッキを持ち、楽しそうに笑っている僕を。
「……こんな天馬さん、初めて見た」
「どんな?」
「気取ってない、素のまま」
女将がからかう。
「いい奥さんじゃない」
千代乃は少し頬を染めた。
「……はい」
気づけば、時間は三時間近く経っていた。
護衛たちも交代で入店し、奥の席で静かに食事を取っている。店の空気を壊さないよう、うまく溶け込んでいる。
女将が時計を見て言う。
「あらっ、もうこんな時間?! あっという間ね」
「楽しかったからね」
「また来る?」
「もちろん」
女将は少しだけ真剣な顔になる。
「次来たときも、普通に扱うからね?」
「それがいい」
店を出ると、夕方となっていた。
千代乃は僕の腕にそっと絡みながら言った。
「今日、すごく楽しかった」
少しだけ間を置いて、彼女は続ける。
「あなたの知らない顔を、また一つ見られた気がする」
僕は笑う。
「まだまだあるよ」
千代乃は嬉しそうに目を細めた。
「じゃあ、これからも全部見せて」
夕刻の街を歩きながら、僕たちは静かに同じ歩幅で進んでいった。
~~~~~~~~
僕たちはしばらく無言で歩いた。いつの間にか17時を過ぎていた。
千代乃は左手の薬指を何度も眺めていた。街のネオンの光を受けてささやかに輝くリングに、照れた表情で僕を見る。
手は自然と繋がれている。
「……どこか、寄る?」
千代乃が少し遠慮がちに聞く。
「うん。今日は帰らない」
「……え?!」
彼女が足を止める。その頬は、すでにほんのり赤い。
「ちゃんと、準備してある」
僕がそう言うと、彼女は状況を察したらしく、視線を落としたまま小さく息を呑んだ。
この世界ではラブホテルの数は少ない。だから僕は、あらかじめ近くのシティホテルを予約していた。最上階のスイートルームだ。
勿論……予め北川さんには報告しており、千代乃には内緒にしていた。但し、妻たちには僕と千代乃が外出後に情報は共有されている。
護衛たちの部屋も既に確保してある。
シティホテルに到着し、フロントにてチェックインの手続きを僕が済ませる。その間も千代乃は僕の左腕にしな垂れる様にしがみつく。
それを見ていたフロントの女性は、とても驚いた表情をしていた。
エレベーターを降りると、静寂に包まれた廊下が続く。
カードキーで扉を開けると、広々としたリビングが現れた。大きな窓からは、夕暮れの街が一望できる。
「……すごい……」
千代乃が小さく呟く。
ソファに腰を下ろした彼女は、まだ夢を見ているような顔をしていた。
僕はジャケットを脱ぎ、彼女の隣に座る。
指輪に触れる彼女の手を、そっと包み込む。
「今日、楽しかった?」
「……うん。こんなの、想像もしてなかった」
声が震えている。
僕はその手を引き寄せ、静かに抱きしめた。
昨日も彼女とは夜を共にした。それでも、不思議なほど身体は軽い。むしろ、彼女を前にすると内側から熱が湧き上がってくる。
千代乃がウルウルした眼差しで、僕の胸元に額を預ける。
「……天馬さん、昨日もだったのに……」
「関係ないよ」
耳元で囁くと、彼女の肩が小さく震えた。
窓の外は、いつの間にか夜に変わっていた。
部屋の灯りを落とすと、室内は柔らかな間接照明だけになる。
静かな空間——。
互いの呼吸だけが、ゆっくりと重なっていく。
千代乃は、少しだけ不安そうに僕を見上げる。
だが、その瞳は迷っていない。
「……今日も……激しく……してね」
その言葉に、僕の胸は高鳴る。
「もちろん!」
僕は彼女に口づけをし、舌もネットリといやらしく絡める。頬に触れ、ゆっくりと距離を縮めた。
急がない、確かめるように。
彼女の指が僕のシャツを掴む。
その仕草だけで胸が高鳴る。
ソファからベッドへ。
白いシーツの上で、彼女は少し緊張しながらも、確かに僕を求めていた。
触れ合うたびに、息が熱を帯びていく。
昨日も求め合ったはずなのに、まるで初めてのような高揚がある。
身体が応え心が先に溶ける。
千代乃は時折、恥ずかしそうに目を閉じ、そしてまた僕を見つめる。
その視線が愛おしい。
「……好き」
千代乃の小さな声が、夜の静寂に溶けた。
僕はその言葉を、何度も確かめるように受け止める。
抱きしめる腕に、自然と力がこもる。
長い時間をかけて、ゆっくりと、互いの温もりを重ねていく。
窓の外では都会のネオンが流れる。
世界は動いているのに、この部屋だけが別の時間に包まれているようだった。
やがて、千代乃は僕の胸に顔を埋めたまま、穏やかな呼吸を取り戻す。
「……昨日より、すごかった……」
かすれた声に、思わず笑ってしまう。
「まだ若いからね」
「ほんと……ずるい」
軽く拳で叩かれるが、その力は弱い。
僕は彼女の髪を撫でる。
指輪が、月明かりを受けて静かに輝いていた。
千代乃は僕の腕の中で、安心したように目を閉じた。
——夜は、まだ長い。
完全なオフの日、それはただの買い物のはずだったのだが、僕にとっても千代乃にとっても――忘れられない一日になった。




