第49話 記録会(国防軍主催)・後編
各組30名編成で各大学からは3、4名ずつが出走する。東相大学の出走組は25組から32組まで3~4名ずつ、三上は25組、鳴野は27組だ。
僕は唯一の男性コーチとして、クリスと手分けしてスタンドとサブトラックを行き来しながら全体に目を配っていた。視線を集めることにはもう慣れたが、今日の最優先事項は選手のサポートだ。
マネージャーの鷹司君と一条君が、スタンド席で待機する次に走る部員のスケジュール調整やメンタルケア(励まし)を担ってくれている。プロのサッカークラブでアルバイトをしていたという彼らの経験は、女性に忌避感もなく見ていて実に頼もしい。
今回のシューズについては、二年生全員に「ミナーヴァ」提供の『エアロスパークα』を着用させた。対して、まだ体幹が安定していない一年生には、それぞれ履き慣れたランニングシューズを選ばせている。
スパイクを履かせなかったのは、レースではなく記録会だからである。
他校の選手にも『エアロスパークα』を履いている者をちらほら見かけるが、やはり大半の選手は、トラック長距離用のスパイクを履いているようだ。
◆25組 三上ルイ
本日最初の出走者である三上と2人の部員が、いよいよスタートラインに立つ。三上は場慣れしているのか、緊張感はなく無表情だった。
そして号砲と共に一斉にスタートする。
30名が一斉に飛び出す。6人の集団が飛び出し、序盤からハイペース気味に進んでいく。
三上は一切慌てることはなく、スタート直後の混雑をするりと抜け、トップ集団のやや後方に付けるポジションへと収まる。
(流石だな)
1000m地点で三上のペースは3分18秒。トップ集団より引き離されるが、惑わされず、ほぼ予定通りの設定ペースで走る。
10周目(4000m)を過ぎた地点にて、トップの選手が引き離すべく、更にペースを上げて、集団が縦に伸び始める。
三上はトップより離されてしまうも、そんなかき乱しには乗らずに、冷静に自身の設定ペースを守って走る。
12周半、5000m中間地点を過ぎた地点でのラップタイムは、16分26秒と、予定通りのペースで安定した走りだ。
フォームも崩さず接地は軽く、上体の上下動も少なく安定している。
三上は今回が初めての10000m走であるにも関わらず、まるで百戦錬磨の冷静な走りに僕は驚きを隠せない。思わず隣りでタブレット片手にその様子を見守るクリスに呟く。
「ほんとに三上は今回が初めてか?心拍数はどう?」
クリスも驚いた表情をして僕に応える。
「心拍数は170~172(bpm)で安定してるわ!」
(まだ余裕があるな)
他の二名の部員も設定ペースを守ってはいるものの、心拍数は既に180bpmを過ぎてしまっている。
中盤でほぼ限界に近い心拍数であるので、このまま設定ペースを維持したとしても、ラスト5周(2㎞)は、とてもキツいであろう。
20周目、8000m地点。
ここで先頭を走る集団のペースは落ちて来て、三上はジワリとその差を詰めてくる。
僕はここで三上に声援を送る。
「三上~! GO!だ~! 後は自分のペースで走れ!」
その瞬間、三上は頷きスッとギアを一段上げ、先頭へと躍り出る。
無理に出たわけではない。ただ、そこが一番合理的だったから――そんな走りだ。
「何やってんだ~!! お前ら!気合で付いてけ!」
「根性みせろ! 離されるな!」
「ラスト!ラスト~! 根性見せろ!気合だ!気合いだ!」
近くで何人もの他校の監督(全員女性)が自身の選手に怒号じみた叱咤激励を浴びせる。
ラスト一周の鐘が鳴る。三上はトップを維持し、とてもキツそうな表情を見せるも、明らかに脚色が違う。
そして、三上は満面の笑みを浮かべてフィニッシュした。
タイムは“32分47秒”と!初めての距離にしては、素晴らしい好タイムであり、日本インカレの参加標準記録である34分30秒も突破してしまったのだ。
ゴール後、三上は息も絶え絶えな状態となり、トラック内側の芝に倒れ込む。そこでクリスが介抱する。
その後、部員二人も35分05秒と35分10秒でフィニッシュした。
僕は二人を介抱してから労いの言葉をかけた。二人とも失速せずに設定ペースを守って走り切れたことが、とても嬉しかったのか、涙を流し喜んでいた。
それにしても、三上の異常なまでの順応力の高さには、毎度驚かされる。これからも彼女は更に伸びていくことであろう。
~~~~~~~
26組目の部員ら4名は、設定ペースを維持した状態で順位を気にせず35分~35分20秒と、先ず先ずのタイムであった。
◆27組 鳴野
鳴野と二人の部員がスタート位置に付く。
選手たちは皆、セパレートタイプのユニフォーム姿。その中でも鳴野の腹筋は見事に割れており、引き締まった体幹がはっきりとわかる。周囲の他校選手が思わず目を見張るほどだった。
三上とは対照的に、鳴野は緊張が顔に出ている。ただの記録会のはずなのに、三上の快走が会場の空気を一変させ、まるでレースの決勝のような張り詰めた雰囲気が漂っていた。
僕は三人に向けて大きく声を張る。
「鳴野、最初は抑えろ! 焦らず設定ペースだ! 二人もペースを守れば大丈夫だ!」
「「はい!!」」
三人は力強く返事を返す。その声で、わずかに肩の力が抜けたのがわかった。
そして号砲と共にスタートする。
この組は飛び出す選手はなく、互いに牽制し合う静かな立ち上がりとなる。
その中で鳴野は迷わず前へ出て設定通りのペースで走る。二人の部員も鳴野に続く。
鳴野の入り1000mは3分29秒、キッチリと設定ペース通りだ。
三周目に入り、僕は声を飛ばす。
「いいぞ! その調子だ!」
トップを走る鳴野の後ろには五人が追走している。
5000m通過は17分25秒、設定通りだ。フォームも乱れず、テンポの良いピッチで安定している。
8000m地点に差し掛かると、背後の5人が一斉にペースアップし、鳴野を抜き去る。
だが――鳴野は抜かれても慌てず、設定ペースを維持した走りを見せる。
クリスのタブレットを見ると、鳴野の心拍数は180bpmを超えているので、限界が近い。
「鳴野、このままでいい!」
鳴野は余裕がなく、大きく頷く。
トップ集団は縦長に崩れ4人が脱落していく。鳴野はその4人を一人ずつ抜き、2番手へ浮上する。
彼女は顎を引き、腕を大きく振る。
最後の力を振り絞る走りだ。
そんな鳴野の奮闘に僕は大声で声援を送る。
「いいぞ、それでいい!」
とても苦しそうだが、フォームは崩れない。
そして――ゴール!
タイムは34分48秒と、日本インカレ参加標準記録には届かなかったが、鳴野は自己ベストを更新した。
ゴール後、倒れ込む鳴野を、僕はしっかりと抱き止め支える。
「よくやった、ナイスランだ!」
彼女は涙目になる。
「……突破、できなかった……!」
「気にするな、PBだぞ、胸を張れ」
彼女は小さく頷くも、口惜しさから僕の胸に顔を埋めて涙を流した。
僕はその背を静かに撫でる。
二人の部員(二年生)も35分台のタイムにてゴールした。
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夕方まで続いた記録会は、全員が無事に完走を果たした。
「日本インカレ」(10000m)の参加標準記録を突破したのは三上のみだったが、本日出場した8校全体を通じても、突破者は三上ただ一人という結果だった。
他の部員については、鳴野が34分台、その他の部員も35分台をマークし、全員が素晴らしい走りを見せてくれた。
全国レベルとの差はまだあるものの、今回のタイムは次のステージへ進むための重要な「基準」となる。
全員が失速することなく、設定ペースを守り抜いたことは大きな収穫であり、今後のさらなる成長を予感させる内容となった。
今回の記録に悔しさをにじませている部員が多かったため、僕は全員を集めて語りかけた。
「今日の記録は、次のトレーニングへ進むための基準になる。あくまで現状を確認するための記録会だから、タイムの良し悪しは気にしなくていい」
監督のクリスも、僕の言葉を継ぐように口を開いた。
「天馬コーチの言う通りです。これは通過点に過ぎないのですから、そう落ち込むことはありません。少しずつ積み重ねていきましょう!」
『『『はい!!』』』
迷いを振り切るような威勢のいい返事が、一斉に返って来た。
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荷物をまとめ、撤収が完了したころだった。僕らが待機していたスタンド席に、陸軍の制服姿(濃緑色)の若い女性が現れた。彼女は同じく制服姿のカメラウーマンと、三名の女性スタッフを伴っている。
マイクを持ったその女性は、見たところ二十歳前後であろうか、肩章には少尉の階級章である。となると実年齢は見た目より上かもしれない。
整った顔立ちながら、どこか朱里を思わせる愛らしい童顔。印象的な大きな瞳と、風に揺れる柔らかな栗色のボブヘアーが目を引く。
そして――抜群のプロポーション!軍服の上からでも分かる豊かな胸元、これも制服なのか……タイトスカートはかなり短く、さらに深めのスリットが入っている。そこから伸びる脚線はすらりとしていて、否応なく目を引いた。
軍服でありながら妙に華やかだ。
5人とも「広報部」の腕章を着けていることから取材だろう。
彼女はにっこりと微笑み、僕の前に立った。
「東相大学の甲斐田コーチですね。陸軍広報部の牧野少尉です。少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
「あ、はい……」
僕は思わず姿勢を正すも、動揺してしまう。
(それにしても……何て可愛いんだ!)
「本日の記録会、大変素晴らしい内容でした。まずは三上選手の走りについて、率直なご感想をお願いします」
マイクを差し出す動作に合わせて身体が近づく。どうしても見事な胸部装甲が視界に入ってしまう。
(落ち着け……目を見るんだ、目を)
そう自分に言い聞かせる。
扇情的な印象とは裏腹に、質問は実に的確だ。僕は深呼吸し、意識を競技に戻す。
「初の一万(10000m)とは思えないほど冷静でした。設定どおりのラップを刻み、最後に上げる。理想的な走りです」
牧野少尉は笑顔で頷く。その仕草がまた可愛らしい。
「鳴野選手は自己ベストを更新されました。それについてはいかがですか?」
大きな瞳が真っ直ぐに僕を見る。その視線に頬が熱くなる。
「抜かれても動揺せず、安定したペースを守りました。フォームも崩れなかったので、良い走りが出来たと思います。経験を重ねれば、参加標準は必ず突破できます」
自分でも驚くほど、言葉が滑らかに溢れ出す。
ふと気づけば、インタビューを続ける牧野少尉の頬も、ほんのり赤らんでいた。
「甲斐田コーチのお言葉からは、選手への厚い信頼が伝わってきます!」
「信頼というより……彼女たちが積み重ねてきた努力、その結果ですよ」
僕は努めて冷静に、一言ずつ返していく。
「最後に、今後の目標をお聞かせください」
「箱根駅伝への出場です。そのために、これまで通り日々の積み重ねを続けるだけです」
その答えを聞いた牧野少尉の瞳が、いっそう輝きを増した。朱に染まった頬が熱を帯びる。
「……素敵です」
小さく呟くと同時に、彼女がさらにもう一歩、距離を詰めてきた。
柔らかな、しかし「見事」としか言いようのない胸部装甲が、僕の腕に触れる。
(これは……まずい)
あまりの愛くるしさと、あまりに扇情的な体躯。理性を揺さぶるその引力に、僕は思わず彼女を抱きしめたい衝動に駆られた。
今、自分は相当“ヤバイ”表情をしているに違いない。
そのときだった。
「――すみません」
低く静かな声が響く。
振り向くと、鳴野が腰に手を当てて立っている。汗の残る髪を束ね、明らかに不機嫌そうだ。
「インタビュー、長くないですか?」
牧野少尉が目を丸くする。
「い、いえ、もう終わりますので……」
鳴野はさりげなく僕の横に立ち、牧野少尉に距離を詰める。
「コーチは一日中、わたしたちのために動き回っていたんです。設定ペースも、トレーニングも全部考えてくれて……疲れてるんです。もう休ませてあげてください」
静かな口調だが、明確な牽制だ。牧野少尉は慌てて一礼した。
「申し訳ありません。本日はありがとうございました……また取材させていただきます」
意味深な“また”を残し、僕に名刺を手渡し、胸に手を当て一礼してから去っていく。
僕は数秒、無意識にその背中を見送ってしまった。
——視線を感じる。鳴野がじっとこちらを見ている。
「好みですね」
「何の話だ」
僕は驚きを隠せず、直ぐにそう返す。
「顔に出てますよ、分かりやすいです」
「お前な……」
赤面しつつ返すと、鳴野は小さく笑った。
「でも、ちゃんと答えてました。そこは尊敬します」
「当然だ」
「なら合格です」
鳴野はそう言ってから踵を返す。
遠くでクリスが腕を組み、呆れ顔でこちらを見ていた。
「天馬、顔に出すぎ」
僕は小さく頭を下げる。
「……反省します」
その様子を見ていた千代乃が鳴野に歩み寄る。
「鳴野さん……夫を守ってくれてありがとう」
深く頭を下げる千代乃。
「い、いえ! 滅相もないです!」
鳴野は慌てて両手を振るが、千代乃は穏やかな笑みを崩さない。
「夫は無自覚に隙が多いので……」
クリスが無言で親指を立てる。
周囲に小さな笑いが広がり、張り詰めていた空気がようやく和らいだ。
駐屯地の夕陽が、ゆっくりと沈んでいく。
今日の出来事は、ただの取材では終わらない――そんな予感だけが、胸に残っていた。
いつもご愛読下さりありがとうございます。
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