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あべこべ世界でのランナー ~マラソン日本記録保持者が女性過多で貞操観念も逆転した世界線に転移し無双する~  作者: アサノ霞
第6章 レース編 2

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第44話 ウェヌス・プラチナ・グランプリ2018 (後編)

 選手の紹介を終え、全員がスタート位置に着く。

スタート位置は予め決められており、僕は8レーン付近からのスタートとなる。


 つい先ほどまで、観客席に向けて笑顔で応えていた選手たちの表情は一変する。競技場全体に張り詰めた緊張感が流れ込み、ピリついた空気となっていく。


 ――この感じだ。


 僕はこの独特の雰囲気が昔からたまらなく好きだった。自然と口角が上がり、ニヤリとした表情になるのを自覚する。

同時に、体の奥からアドレナリンが一気に噴き上がってくる。


 小雨が肌に当たり、とても心地良い。僕の意識は更に研ぎ澄まされていく。


 そして―—号砲とともにスタート。


 21名の選手たちが一斉に飛び出していく。僕は意図的に、ほぼ最後尾に近い位置を選ぶ。

 焦りはない、今日は“見る”ことから始めると決めていた。


 集団は団子状態で前回のレースよりも、明らかにペースが速い。

最初の1周を様子見で入ると、表示されたラップは72秒。


(……15分切りペースか)


 小雨の影響を考えれば、これ以上ペースを上げるのは厳しい。そう判断した瞬間、僕の中でスイッチが切り替わる。


 僕にとっては“スローペース”となるので、4レーン側へと進路を取り徐々に加速する。

視界の端で、一人の女性選手が並走してくるのが見えた。元日本記録保持者――この世界で“女王”と称されてきたランナーだ。


 2周目に入ると同時に、僕は集団を一気に抜き去りトップへ躍り出る。

入り1000mは2分51秒、そして3周目のラップは64秒と設定ペースとなり安定する。


 この時点で付いてきているのは彼女ただ一人。


 4周目と5周目も64秒のラップを刻み、2000m地点で5分33秒、1㎞あたりのラップは2分42秒と、狙い通りのペースとなる。


 このままでいけば、前回を1秒上回る13分39秒のタイムでゴールできそうなので、このままのペースで行くことにした。

 背後の足音はまだあるが、彼女の呼吸は明らかに乱れ始めている。


(これは、自滅するな!)


 そう心の中で呟きながら、僕は淡々とペースを刻む。

小雨が顔を打ち体を流れていく。苦しいはずなのに、頭は冴え、気分は不思議なほど爽快だった。


 7周目に入り、ついに背後の足音が遠ざかる。

追走していた元日本記録保持者が、ここで遅れだしたのだ。


 彼女にとっては超ハイペースであったのであろう。

以降は僕の単独走となる。 


 3000m地点で8分15秒、ペースは落ちていない。


 ――ラスト2000m!


 あと5周! ここからが本当の勝負だ!余裕はほとんどなく、呼吸は荒れ、無酸素状態へと近づいていく。


 それでも、8周目に入る頃には全員を周回遅れにしていく。


 ラスト2周! 完全に無酸素状態となり、とても苦しくキツい! それでも、腕振りと足捌きは噛み合っている。


(よし! このまま押し切る!)


 スパートをかける余力はない!あとは気力だけ。


 ラスト1周を告げる鐘が鳴る。


 一気に苦しさが押し寄せ、息は荒れ、吐く息は熱を帯び生臭さが混じる!


 心拍数は極限まで上がり限界を超えつつあるが、腕を大きく振り、一秒でも速く一歩でも前へと最後の気力を振り絞る。


 そして――。


 意識して満面の笑顔を作りながら、僕はゴールテープを切った。


 視界の端に電光掲示板が映る。


 タイムは13分39秒!


 僕がゴール後、競技場が静まり返った。

 

 次の瞬間、6万人の観衆が一気に爆発した。地鳴りのような歓声と悲鳴にも似た叫び声が、スタンドを揺らし空気を震えさせた。


 女性が強者であり、男性は守られる存在であるこの世界で、またしても男性が世界新記録を塗り替えた瞬間だった。


 信じられないものを見る視線と、驚愕と歓喜と、あらゆる感情が競技場を渦巻く――。


 トラック脇では、待機していた警備員たちが一斉に動き出した。

 僕へ殺到しかねない観衆を制するためだ。

 それほどまでに、この結果は“異常”だった。


 僕はゴール地点で、満面の笑顔のまま観客に手を振る。

 競技場のボルテージは、さらに跳ね上がった。


 サポート役の朱里と北川さんが駆け寄り、肩にタオルをかけてくれる。

僕は朱里を抱きしめた。朱里は涙を流しながら、何度も頷いて僕を労ってくれる。


「ダーリン、お疲れ様でした!」


 その勢いのまま、なぜか北川さんまで抱きしめてしまった。


「は、はうっ……お疲れ様でした……ご、ごちそうさまです……」


 北川さんは赤面しながらも、僕を労ってくれた。


 僕は歩きながら観客らに手を振り続ける。その騒然とした光景の中で、2階VIP席を見上げると、妻たちが涙を浮かべながら立ち上がっているのが見えた。


 その視線が、真っ直ぐに僕を射抜く。


 僕は左手薬指の指輪に軽く口づけし、妻たちに向かって手を振った。感謝と愛を込めた、僕なりのメッセージだ。


 一瞬キョトンとしていた妻たちだったが、奈月が意味を理解したらしく、慌てながら皆に説明する。

 次の瞬間、妻たちは照れた笑顔で大きく手を振り返してくれた。


 千代乃だけは、完全にフリーズしていた。その姿が、やけに可愛らしかった。


~~~~~

 

 1階席を見ると、クリスや部員たちの姿が見える。近づこうとしたが、警備員と、いつの間にか側にいた護衛の松田さんに制止された。

僕へ殺到しかねない観衆を制するための措置なので、こればかりは致し方なしである。


 僕はクリスにも先ほどと同じサインを送るが、クリスは意味が分からずキョトンとした表情であった。


 部員と男子マネージャーらにも手を振る。クリス以下全員が涙を浮かべながら、力強く頷いていた。

因みに、二人の男子マネージャーには、2名ずつ護衛(女性)がしっかりとガードしていた。

 

 続々と後続の選手たちがゴールしてくる。

2位以下はいずれも15分を過ぎるタイムであり、電光掲示板に映る僕の記録を見て、誰もが驚愕の表情を浮かべていた。


 15分20秒を過ぎてから、元日本記録保持者の選手がゴールする。

彼女はその場に崩れ落ち、サポートに支えられていた。


 僕は近づき声をかける。


「ナイスランでした。素晴らしい走りでしたよ。順位よりも、その挑戦こそが次に繋がります。お互い頑張りましょう!」


 僕は拳を突き出すと、その選手は涙をながしながら頷き、僕の拳に自分の拳を合わせた。


 ――確かに今回はきつかった!

僕にとってはPBよりも20秒も遅いタイムではあるのだが、今の自分のすべてを出し切れたので、結果には満足している。


 こうして僕はこの世界線で、またしても5000mでの世界記録を更新し、競技は終了した。


~~~~~


 次の競技(10000m)がそろそろ開始されるので、僕は朱里と北川さんと護衛らと共に控室に向かうと、途中でテレビ局の女性レポーターがマイクを差し出してきた。


「甲斐田選手、世界記録更新おめでとうございます! 今のお気持ちはいかがですか?」


 一瞬驚いたが、かつての世界では見慣れた光景だ。

 僕は足を止め、素直に答える。


「大きな舞台で、最高の走りができました。本当に嬉しいです」


 僕は嬉しさを前面に出すコメントをした。


「ありがとうございます。旦那様方へ一言お願いします」


 一瞬だけ躊躇したが、昂揚した気持ちのまま僕は口にした。


「愛してるよ!」


そう言って左手薬指の指輪にキスをし、サムズアップする。


 すると、リポーターと周囲のスタッフとカメラウーマンたちは、完全にフリーズした。

 朱里も北川さんも、松田さんも固まっている。


 僕は軽く皆を揺さぶって“再起動”させると、そのまま控室へ向かった。


 控室に到着すると、大会役員の女性と、「検査員」のベストを着用した女性がすでに待機していた。

 やはり“アレ”を行うのだろう。レース後、速やかなドーピング検査は必須事項だ。ましてや世界記録更新直後なのだから、当然といえば当然である。


 大会役員の腕章を付けた中年女性が、身分証を提示してから話しかけてきた。


「甲斐田選手、お疲れ様でした。日本国陸連競技委員会の田中と申します。――早速で申し訳ありませんが、規則に従いドーピング検査を実施させていただきます。こちらの中村が担当いたします」


 続いて、検査員の女性が一歩前に出て、身分証を掲げながら丁寧に頭を下げる。


「中村です。よろしくお願いいたします。こちらの検査室で実施します。採尿は立ち会いのもとで行いますのでご了承ください。なお、男性選手ですので、親族から二名まで立ち会いが可能です。立ち会う方は身分証をご提示ください」


 中村さんは20代後半ほどの落ち着いた雰囲気の女性だった。毅然とした態度ではあるが、わずかに頬が赤い。

 僕は朱里に頼み、美月へ連絡を入れてもらう。そして、もう1名の立会人として北川さんを指名した。


 近くにいる朱里を選ばなかったのは、万が一にも暴走されると困るからだ。

朱里は感情表現がとてもストレートなので、こういう場面では冷静な美月が最適だろう。北川さんについては……少々不安はあるが、一応は理性派である。


朱里は「据え膳食わねば女が廃る、でしょ!」と言って、立ち会わないことを納得してくれた。


 10分ほどして、美月が護衛を伴って控室に到着する。僕の顔を見るなり、彼女はそっと抱きしめ静かにねぎらってくれた。

 中村さん、僕、美月、北川さんの四人で検査室に入る。中は広めの多目的トイレのような造りだった。


~~~~~


 採尿は無事に終了した。

ただ……前回と同じく、検査員の中村さんと北川さんは、途中で思考が停止したような表情になっていた。特に北川さんは顔を真っ赤にし、完全にフリーズしている。

 とはいえ、規定どおり検査員立ち会いのもとで実施された以上、この時点で僕がクリーンであることは証明された。あとは検査結果を待つだけだ。

 僕は特定の薬(風邪薬)もサプリメントも使用していないので、問題が出るはずもない。


 2階VIP席で観戦している妻たちのもとへ顔を出したかったが、控室前で待機していた大会スタッフと警備員に制止された。

 観客が多く、警備上の理由から僕の安全を確保できないとのことだった。観客のほとんどが女性である以上、致し方ない判断だろう。

すべての競技が終了し、表彰式と公式インタビューが始まるまで、専用の控室で待機することになる。

 

 着替えを済ませ、朱里、北川さん、美月、護衛たちとともに、静かにその時を待った。


 しばらくして、控室の扉が静かにノックされた。


「……天馬」


 聞き慣れた声に顔を上げると、奈月、愛里、千代乃の三人が立っていた。警護と警備員を連れて控室まできてくれた。


 奈月は何も言わず、ただ一歩近づいてきて、僕の手を両手で包み込んだ。その手はとても温かい。


「…⋯お疲れ様、おめでとう」

 

それだけ言って笑顔を見せる。

 

 愛里はお腹に手を当てたまま、穏やかな微笑みを向けてきた。


「この子も、ちゃんと見てたわ。誇らしかった」


 千代乃は真っ直ぐ僕に抱きついてから、小さく頷いた。


「……すごかった。もう⋯⋯感動で胸がいっぱい……」


 控室に、静かな時間が流れる。大声も派手な祝福もない。ただ、確かに通じ合う安堵と余韻だけがそこにあった。


 その直後、ポケットのスマホが震える。画面にはクリスの名前が表示されていた。


『天馬! 本当におめでとう!』


受話口の向こうから、少し涙声の弾んだ声が飛び込んでくる。


『部員もマネージャーも、みんな大騒ぎよ、直接行けなくてごめんね。でも……誇りに思ってる!本当に、感動をありがとう!』


「ありがとう、みんなにも、応援ありがとうって伝えて」


『もちろん!』


電話を切り、深く息を吐く。短い通話だったが、それで十分だった。

 

 嵐のような歓声の中心から、こうして静かな場所に戻ってきた今、ようやく実感が追いついてくる。


――次は表彰式とインタビューだ。



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