第42話 レースへ向けて(後編:千代乃さんのサポート)
—— その後の顛末 ——
翌日、「スポーツ庁」長官の不祥事が発覚し、ネットニュースとSNSを中心に爆発的に拡散された。
新聞各社、テレビ局、週刊誌も後追いする形で一斉に報道へと踏み切る。
内容は――少年(未成年者)への不同意買春と、立場を利用した男性への不同意性交である。
当の本人は即座に否定声明を出したものの、その数時間後には、行為に及んでいるとされる決定的な写真がネット上に流出した。
さらに、当時少年だった被害者たちも次々と名乗りを上げ、状況証言まで一致したことで、もはや言い逃れは不可能となった。
もちろん、SNSや報道に掲載された被害男性と少年たちの顔には、厳重なモザイク処理が施されていた。
未成年者(少年)への不同意買春はこの国では重罪である。警察も本腰を入れて捜査に踏み切った。
“女性至上主義”を公言し、強硬な政策で名を馳せてきた人物の転落は衝撃的だった。
長官は「体調不良」を理由に入院という形で表舞台から姿を消し、そのまま事実上の失脚となる。
これを境に、過激な女性至上主義者たちは、急速に勢いを失い、世論は一転して冷静さを取り戻していくことになる。
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そして、その二日後——
僕は妻たち、北川さん、そして愛理の担当官である藤野真由美さんと共に、月子さんへお礼を伝えるため、沖家――奈月と美月の実家を訪れていた。
葉月さん、月子さんと一通り挨拶を済ませた後、僕は居間のソファに通され、月子さんと向かい合って腰を下ろす。
零士さんは他の夫人宅を回っているらしく、しばらくは不在とのことだった。
窓の外には穏やかな春の日差しが差し込み、数日前までの緊迫感が嘘のような静けさが漂っている。
「月子さん……改めて、いろいろと動いてくださり、ありがとうございました」
僕が頭を下げると、妻達も一斉に続いた。月子さんは優雅に微笑んだ。
「出場できることになって、本当によかったわ。天馬さんが走れないなんて、そんな理不尽が許されるわけがないでしょう?」
「……正直、ここまで一気に事態が動くとは思っていませんでした」
僕がそう言うと、月子さんは意味深に紅茶を注ぎながら言った。
「実はね、私はほとんど何もしてないのよ。長官には“母がどう思うかしら?”って、ちょっと小言を言いに行っただけ」
そう言って、いたずらっぽくウィンクする。
「えっ……?」
僕と妻たちは言葉を失った。
一方で、北川さんと真由美さんは、まるで想定内と言わんばかりに無表情だ。
「スポーツ庁長官の“件”をリークしたのはね――」
月子さんがそう続けると。
――タタタッ、と軽い足音が背後から近づいてくる。
次の瞬間。
「――天馬さぁぁん♡」
背中に柔らかな衝撃。
「うわっ!?」
振り返る間もなく、背中に女性のしなやかな腕が回され、甘い香りと温もりが密着する。彼女はそのまま軽やかにソファを回り込み、僕の正面から抱きついてきた。
緑のワンピースに身を包み、見た目はどう見ても二十代半ば、肩までの艶やかな銀髪、碧眼と赤い瞳のオッドアイ、透き通るような肌。
顔は整っていて、綺麗さがありながらも、女の子らしい可愛さも備わっている。
そして――無邪気で、どこか艶を帯びた笑顔。
「……ち、千代乃さん!?」
間違いない! だが、以前知っていた彼女よりも、ずっと感情表現が豊かで距離が近い。
「えへへ~久しぶり~、も~う冷たいなぁ~~恩人にその反応~?」
「恩人って……まさか……」
困惑する僕をよそに、千代乃さんはぎゅっと抱きついたまま頬を擦り寄せてくる。
「そっ! 天馬さんが走れなくなる未来なんて、つまんないから、だから~ちょーっと“こらしめた”だけ~」
色気を含んだ視線で見つめられ、僕は思わず喉が鳴る。
(……っ、近い……!)
僕は言葉を失う。
彼女から漂う、抗いがたい甘い色香が、意識していなくても身体が引き寄せられそうになる。
(千代乃さんって……こんなキャラだった……?)
明るく積極的にグイグイ迫ってくる姿に戸惑いを隠せない。
そんな陽気な千代乃さんを見ていた奈月、美月、クリス、北川さんと真由美さんは驚きと共に絶句する。
葉月さんはそれ以上に目を丸くして驚いていた。
しかしながら、月子さんとその妹であり、千代乃さんの担当官でもある藤野里美さんは特に驚きもせずに、微笑ましい表情でその光景を見つめる。
「ねぇ里美、お母さんのこんな笑顔見るの久しぶりね」
「そうね〜何十年振りかしら」
二人の会話を聞く限りでは、千代乃さんは元々陽キャだったのか。
そして何気に千代乃さんは、孫の葉月さんと真由美さんと曾孫の奈月と美月に気付く。
「あらっ!葉月ちゃーん、久しぶり~元気だった?」
「は……は、い、お久しぶりですおばあ様、おっ、お元気そうで何よりです」
葉月さんは陽気な千代乃さんに困惑しつつも応える。
続いて真由美さんにも挨拶する。
「真由美ちゃーん、元気そうでなにより~」
そんな真由美さんは目を見開いた状態で応える。
「えっ……は、い、えっ?お母さん?キャラ変したの?」
そのツッコミを軽く流し、奈月と美月に向き直る。
「あなたたちが奈月と美月ね? ひいおばあちゃんですよ~、初めまして~」
左手は僕の身体に巻き付けつつ、右手で手を振り挨拶する。
奈月と美月は初めて会う陽気過ぎる曾祖母のテンションに戸惑いながらも、シンクロして挨拶した。
「「は……初めまして」」
すると、朱里は手を振り陽気に挨拶する。
「わぁ~チヨちゃ〜ん」
「あかりちゃ〜ん!」
千代乃さんは朱里に陽気に応える。
お互いにちゃん付けで呼びあっているのに驚く。
愛里はとても満面の笑顔で千代乃さんに挨拶する。
「お久しぶりです。千代乃さん!」
「愛里〜!相変わらず可愛いね!」
そう言われて愛里は赤面した。
愛里と朱里は、千代乃さんと連絡を頻繁に取り合っていたようで特に驚きはない様子。
ここにいる皆と挨拶を交わすと、千代乃さんは僕の顔を下から覗き込む。
(くっ! その上目づかい……なんて可愛いんだ!愛理並みの破壊力がある!)
「ねぇ~天馬さぁん、レース頑張ってね、それと~」
千代乃さんの表情が徐々に赤面していく。
「戸籍更新したの、“吉澤 千代乃”、93年(1993年)生まれの25歳でぇーす!今後ともお嫁さんとして末永くよろしくおねがいしまーす」
赤面しつつも、満面の笑みでそう言い放つ。
「はぁ〜〜?」
僕は驚きと共に言葉を失う。
すると彼女は真剣な表情となり俯く。
「天馬さんのお父さん……とても愛してた。そして、同じ“稀人”として転移してきたあなたと出会った」
千代乃さんは、少し照れたように、でも真っ直ぐに微笑む。
「だから――私は残りの人生を、あなたに捧げたいの! だめかな~?」
いきなり求婚!って、しかも故人とは言え実父の元嫁である。
元の世界の倫理観では複雑だが、この世界では――それが“選択”として許される。
彼女の放つ甘い気配に鼓動が早まる。理性が必死に制止する一方で、心と身体が揺れる。
(……まずい……)
そこへ北川さんが割って入り、いつの間にか婚姻届を広げて淡々と説明する。
「住所、氏名、生年月日、年齢、署名をこちらに記入して下されば、後はこちらでやっておきます」
……完全に狙っている。
僕がジト目で北川さんに無言の抗議を送るが、彼女はそんな僕を無視する。
すると、千代乃さんは表情を一変させ、真剣な眼差しを僕に向けて言い放つ。
「……わたしがあなたの父親の妻だったのを気にしてるのかしら? だとしたら気にする必要はないわ、わたしは“吉澤 千代乃”として生まれ変わったのよ、お願い!わたしと結婚して!」
妻達はゆっくりと頷き、僕に婚姻を促している様子。愛理は特に嬉しそうな表情をしている。
千代乃さんから放たれる“やおびくに”特有の淫靡な雰囲気に抗うことが出来ず……僕はキツく彼女を抱きしめ、短く答えた。
「……うん。これからも、よろしく」
——こうして僕は勢いに任せて千代乃さんと婚姻することになったのだ。
千代乃さんは満面の笑顔で僕に抱きつき、喜んでいた。
その後の千代乃さんの話しによると、戸籍を更新後は、身分を隠した上で、「日本国総合戦略研究所」というシンクタンクの理事として勤め始めたらしい。
彼女が150年くらい前に作った組織で、現在も日本の政財界に強い影響力を持っているとのことである。
尚、シンクタンク内で千代乃さんの正体を知るのは、理事長のみであるとのこと。
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その日の午後、役所で婚姻届を提出し受理され、「婚姻届け受理証明証」が発行されたことにより、千代乃さんは僕の第六夫人となる。
千代乃さんは改姓はせずに姓は「吉澤」を選択した。
成立後、彼女は涙を浮かべて僕に抱きついた。
「天馬さん……これからも、よろしくね」
僕はそんな無邪気な彼女をしっかりと受け止める。
「これからもよろしく……」
——勢いに任せて婚姻してしまったが、彼女は戸籍を更新し、僕と共に全く新しい人生を歩もうとしている。
こんな僕を愛してくれる彼女の想いに、僕はこれからも全力で応えていこうと誓うのであった。
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ちなみに、手続きの担当者である戸籍課の野本さんは、いつもの様に“しつこく”僕に確認をすることはなく、まるで能面のような無表情で淡々と受け答えをし、手続きを終えた。
僕としては、拍子抜け感があるのだが、何となく寒気がするのは、気のせいだろうか?
野本さんの背中を見ながら、千代乃さんが眉をひそめて僕に小声で囁く。
「⋯⋯天馬さん、彼女には決して優しいところを見せてはダメよ! とにかく淡々と接すること、いいわね?」
千代乃さんから発せられた注意が尋常ではなかったので、取り敢えず僕は無言で頷いた。
これまで余り意識していなかったのだが、自分の振る舞いが相手を勘違いさせる要因になってしまうのだろうか?
これからは自分の振る舞いや言動には、より一層の注意が必要だと胸に刻んだ。
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5月13日㈯
レース前日となり、この日は軽めのジョグのみで終了とした。
トレーニング終了後には、恒例としている、お世話になったフィールド(グラウンド)に深々と頭を下げて、しっかりとお礼をした。
明日はいよいよ「ウェヌス・プラチナ・グランプリ 2018」だ!
僕のスタートラインには、これまでに積み上げてきたものと、支えてくれた妻たち、サポートして頂いた方たち、出場のために尽力して下さった月子さん、北川さん、千代乃、そして僕を応援してくれる人たち、皆の想いが確かに並んでいる。
僕にとっては目標達成のためのステップにしか過ぎないが、明日は皆の想いを背負って、5000mを全力で駆け抜ける。




