第34話 走力チェック
4月11日㈬
この日はラグビー部の指導日だった。故障者は半数程復帰を果たし、新たに30名程の新入部員も加入した。これでラグビー部の部員数が100名をこえる大所帯となる。何とも羨ましい限りだ。
新入部員が加入したので、僕は前に出て挨拶したのだが、新入部員らは皆目を丸くして驚き、ざわついていた。
僕がラグビー部のフィジカルトレーナーをしていることは知らされていなかったからだ。
そればかりではない。先月のレースの結果で僕の知名度が上がっていることもあるので、新入部員らの驚きはそこにあったのであろう。
先ず新入部員には、これから実施するトレーニングの理論と目的を詳しく説明した上で、今日も芝のグラウンドを利用したインターバル走と体幹トレーニングを実施し、僕も選手たちと一緒に汗を流した。
最近の練習試合では、リロードの時間(ワンプレー後に倒れてから起き上がり、前線復帰するまでの動作)が、わずかに向上していると、勝田戦術コーチが報告してくれた。実際に一緒に走ってみると、選手たちの持久力とフィジカルが少しずつ確実に上がっているのを感じる。
これからの春季リーグ(4月下旬)に向けて、次の段階へと進む時期に来ている様だ。次のステップへ向けてのメニューも僕の頭の中では既に組み上がっている。
義妹のリリカをはじめ、選手たちとの信頼関係も深まりつつある。ただ――鶴田監督と若山ヘッドコーチはいまだに僕の存在を完全には認めてくれていない様子だった。
この世界では、男性が表立って指導に立つこと自体がありえないことであり、男性が女性に対して指導すること自体に、ごく一部の女性からは、あまり快く思われていないらしい。
特に鶴田監督と若山コーチは、女性至上主義的な思想がある様なので、尚さらだ。
それでも、僕の指導したトレーニングの効果が現れ始めていること、そして監督の最愛の一人息子である愛斗君と参謀の勝田コーチと理事長が間に入ってくれてるおかげで、いまのところ大きな衝突は避けられている。
今後も気は抜けない状況ではあるが、僕の知識をフル活用して、選手らをしっかりと育てていくとしよう。
◆◆◆
4月14日㈯
午前9時、総合運動公園の陸上競技場では新旧合わせて総勢30名――既存部員20名と新入部員10名――を対象に、現在の走力チェックをすべく、5000mのタイムトライアルを予定通り実施する。
何処から聞き付けたのか、スタンドには女性ばかり約400人程のギャラリーが集まり、僕が競技場に現れると、黄色い声援とともにスマホのシャッター音が絶え間なく響く。
もっとも、彼女たちはあくまで遠巻きに眺めるだけで、特に練習の邪魔をするようなことはない。
本来であれば大学構内で実施したかったが、競技場は改修工事中で、使用できるのは5月以降とのこと。正確な計測を優先し、今回は総合運動公園を選んだ。もちろん北川さんには事前に相談し了承を得ている。
北川さんが当日は僕の護衛を4名に増員してくれた。さらにクリスの護衛も2名(4月いっぱいまで)が、それぞれの配置に付き、僕らを警護してくれている。北川さん自身も僕の近くで警護してくれていて、とても心強い布陣だ。
彼女たちにはお礼として、感謝のハグを交わしておいた。北川さんと護衛らは赤面しつつもとても喜んでくれた。
僕とクリスも現状確認のため、選手たちと一緒に走ることにしたのだが――驚いたことに、妻たち(奈月・朱里・美月・愛理)がゴール地点の屋根付き特等席に陣取り、応援に駆けつけてくれたのだ。
妻たちの声援に手を振って応えると、彼女たちは一層大きな声で笑顔を向けてくれた。ああいう姿を見ると、やはり力が湧く。
僕とクリス、そして男子マネージャーたちはフォームチェック用にカメラを数台設置し、ゴール地点には電光計測版を準備した。
設置を終えると僕指導の下、動的ストレッチを開始する。新入部員は初めてのメニューらしく戸惑いの表情を浮かべていたが、僕が一つひとつ丁寧に説明しながら実施した。
その後、アップ走として8レーンを使い、ウインドブレーカー姿で2kmをジョグ。続けてランドリルで体を解し、仕上げに200mを38秒のダッシュを3本実施してアップを終了した。
アップを終えると、僕は選手全員に声をかけた。
「アップはここまで。足りない者は各自で補って下さい。10分後にスタートします」
わずか10分の待機時間だが、グラウンドの空気はピンと張りつめていた。選手(部員)たちの緊張感が肌でひしひしと伝わる。僕にとっては心地いい空気だが、彼女たちにとっては、今回の結果次第では“主力チーム枠”を勝ち取れるか否かと思っている様なので、皆表情に緊張感が見て取れる。
僕としては、あくまでも現状把握なので、余り無理はしてほしくない。今日は“たかが”タイムトライアルなのだから。
選手らの緊張感を解すため、僕は以前から約束していた手作りの鉢巻きを配った。
赤地に白糸で「闘走」と刺繍したもので、「東相大学」をもじったものだ。卒業生6名にもクリス経由で贈ってあり、みんな喜んでくれたらしい。
一人ずつ頭に巻いてやると、選手たちは顔を真っ赤にして硬直していた。
キャプテンの鳴野などは、頬を染めながら涎を垂らし、しばらくだらしない表情で放心していたほどだ。
やがて選手たちはウインドブレーカーを脱ぎ、ユニフォーム姿になる。
既存部員らはセパレートタイプのユニフォームで、水色のブラトップに紺色のビキニタイプのショーツである。
腹部にはうっすらと腹筋のラインが浮かび始め、努力の跡が見て取れた。鳴野の腹筋は特に見事で、脚の筋肉も締まっている。
そして鳴野は何故か?ショーツがお尻に食い込んでいて、とてもセクシーである。
僕は思わず視線がいってしまう。鳴野は赤面しながらも、僕にお尻を強調している様子。
新入部員たちは高校時代の夫々のユニフォーム姿で、皆腹出しのセパレートタイプである。
まだまだ線が細く筋肉も付いてなくて頼りない印象を受ける。しかし、その瞳には先輩らに確かな憧れと闘志が宿っていた。
クリスもユニフォーム姿になると、変わらない引き締まったスタイルに僕はため息が漏れそうになる。
クリスの美尻にもつい視線がいってしまう。
そして僕自身も、ウインドブレーカーを脱ぎ、ユニフォーム姿を披露する。
今回「㈱ミナーヴァ」社より提供された新ユニフォームだ。
赤色で胸元までのランニングシャツに、下はローライズの黒いショートタイツで更に露出が多くなっている――いわゆる“へそ出し”スタイルだ。ギャラリーの歓声とシャッター音が一斉に響き渡り、会場の熱気が一段と高まる
「三上」を除く新入部員の女子たちは赤面し、ひそひそ声を交わしていた。
「先輩……あれで走るんですか……?」
「お腹、全部出てるし……」
「凄い腹筋!」
「シックスパック!」
「脚、長っ……」
「おっ……男のはだか?」
「やばっ!……エロい……」
「お尻が…!エロい……」
そんな小声が聞こえてくる。まだ見慣れない新入部員らにとっては、僕のユニフォーム姿は、かなり刺激的に映ったらしい。
やがてスタートの時刻となる。
全員がスタートラインに並び、男子マネージャーの2人が計測係としてストップウォッチを構える。初めての公式な部活動に二人とも少し緊張した面持ちである。
ここで先ほどまでの部員らの感情は一気に張りつめ、選手としてのモードに切り替わる。
因みに……「ミナーヴァ」より提供されたシューズ(エアロスパークα)は、未だ二足しか提供されてなく、今回は僕とクリスのみが履いている。
他の部員らは、それぞれのランニングシューズで走ってもらっている。
トラック競技に於ては、スパイクシューズを使用した方が、より好タイムをマーク出来るのではあるが、今回はフォームチェックもしたいので、レース用のランニングシューズを使用して貰った次第である。
そして、マネージャーのスタートの合図とともに全員一気に走り出した。
一斉に飛び出す選手たち。その中でも僕は更に一人飛び出してマイペースを貫く。僕のペースに付いて来れる者はいない。入り1kmを2分41秒ペース――予定通りだ。3周目で完全にペースが安定し巡走する。
7周目に入るころには、全員を周回遅れにしていた。先頭の三上ルイは僕に抜かれ、驚愕した表情のまま動揺したのかペースを崩していた。
その後も僕のペースは落ちることはなく、最終的に僕のゴールタイムは13分29秒であった。
前回のレースよりは10秒程速いタイムではあるのだが、PBには届かず平凡の部類である。
失速せずに最後まで設定ペースを守り切れたのではあるが、僕としては、ラスト1㎞でスパートを掛ける余裕がなかったことが、残念であり反省点である。
しかしながらも、非公式ではあるが、この世界での5000m走の世界新記録である。ギャラリーは悲鳴混じりの歓声を競技場に包み込んだ。
その後、僕は選手たちのラストスパートを見守りながら声援を送った。トップの三上が15分49秒でゴールして来た。中々のタイムではあるが、三上は余裕はなかったようで、ゴール後は外側に反れて座り込む。
そんな「三上」に僕は「ナイスラン!」と、労いの声掛けをしてから、水のペットボトルを手渡した。
16分を過ぎてから続々と選手らがゴールしてくる。キャプテンの鳴野が16分50秒で続く。彼女はふらつきながら僕の胸に倒れ込み、息を切らせて言った。
「こっ……コーチ! がんば……りましたぁ……!」
「よくやった、ナイスラン!」
僕は笑って彼女を抱き止めて支え、労いの言葉をかける。
すると鳴野は力なく僕に体を預けたのである。何となくだが、鳴野の表情がニヤけていたのは気のせいだろうか?
最後尾の選手は16分55秒でゴールし、続けて最後尾のクリスもゴールした。クリスのタイムは16分59秒であった。
引退したとは言え、クリスも前回より速いタイムだったことに感心するばかりである。
全員が走り終え、既存部員は1年生の三上に負けたことに口惜しさを滲ませていたが、全員が前回よりもタイムを更新しており、確かな成長を感じる結果だった。
一方、三上を除く新入部員たちは先輩の走りに圧倒され、追い付けずに唇を噛み締めていた。その悔しさこそ次の飛躍に繋がるだろう。
因みに新入部員たちは計測板に刻まれた僕のタイムを見て目を丸くした。
「は、速っ……! 世界新……!?」
「金メダルレベルじゃないですか……」
既存の上級生たちも涼しい顔で「まぁ、天馬コーチにとっては普通だから」と笑っているが、新入生には男性が世界記録を更新したこと自体が信じがたいらしい。
タイムトライアルを終えると、僕は呼吸を整えつつ、皆に声をかけた。
「今日のタイムはあくまで現状把握だ。次のステップへ向けて焦らず地道にいこう。必ず今より強くなれるから!」
男子マネージャーたちは真剣な表情で記録用紙をまとめ、クリスに手渡す。
春の空は明るく、グラウンドの風が心地よかった。長距離・駅伝部の新しい季節が、確かに動き出していた。
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タイムトライアルを終えた後、着替えを済ませてから近くのバーベキュー場へと移動し、新入部員の歓迎会と3月いっぱいまでの目標をクリア(疲労抜きと故障の完治)した部員らの労いも兼ねて、皆でリフレッシュした。
勿論バーベキューは全て僕とクリスのポケットマネーだ。
新入部員と現部員ら全員がそれぞれ自己紹介をした後に、皆でべーべキューを楽しんだ。
沢山の笑顔が交わされ、新入部員と男子マネージャーらも打ち解けた様子である。
因みに僕の誘いで北川さんと護衛らも交代しながらではあるが、僕らと一緒にバーベキューを楽しんだ。
とても戸惑ってはいたのだが、楽しんでくれた様だ。
キャプテンの鳴野が終始、僕の近くに陣取っていた。肉を焼きながらも、僕の皿にさりげなく多めに乗せてくれたかと思えば、すぐ隣の席を確保して腰を下ろす。
「コーチ、今日の走り……本当にすごかったです……!」
「ありがとう。鳴野もいい走りだったよ。ラストまでよく粘ったな」
僕が笑顔でそう褒めると、鳴野は顔を真っ赤にし、どこか蕩けた表情を浮かべた。
「えへへ……コーチに言われると……なんか、頑張ってよかったって思えます……」
その言い方が妙に甘い。僕に好意を寄せているのは明らかだった。
すると、近くで聞いていた新入部員の三上ルイが、からかう様に声を上げる。
「キャプテン! なんかコーチにデレ過ぎじゃありません?」
鳴野は茹で蛸の様に赤面しつつも慌てふためく。
「なっ……!ルッ… ルイ!それ言う!? ち、違うの! これはキャプテンとして――」
「——完全に女の顔になってましたよ〜?」
鳴野の言い訳に被せたルイにずばっと言われ、鳴野は言葉にならない声を漏らして固まった。
因みに鳴野と三上は、中学高校が一緒で先輩後輩の間柄だそうだ。
「はは……まあまあ」
僕が苦笑しながら宥めると、周囲の新入部員たちも次々と輪に加わってくる。
「コーチって、普段からあんなに速いんですか?」
「5000mで13分台なんて……漫画みたい……」
「わたし……いつか一周でも同じペースで走れるようになりますか……?」
目を輝かせて質問してくる新入部員たち。その純粋さに思わず頬が緩む。
「もちろんだよ。今日のタイムがどうであれ、君たちには伸びしろしかない。焦らず、コツコツ積み上げれば絶対に強くなる」
その一言で新入部員らは目の色を変えた。
「頑張ります!」
「絶対、強くなります!」
こういう瞬間を見ると、やはりコーチになってよかったと思う。
その時、鳴野がさっと僕の腕に絡むように寄り、ほんの少し身を寄せてきた。
「コーチ……私も、もっと成長しますから……ずっと見ててくださいね……?」
その距離は明らかに近い。
周囲の既存部員たちが「うわー……またやってる」と小声で笑うのが聞こえた。
新入部員らは、その様子を見て硬まっている。
僕は戸惑いながらも苦笑しつつ鳴野にそっと告げる。
「鳴野、その……距離が近い……」
「えっ……あっ……す、すみませんっ!」
慌てて離れる鳴野。だが、耳まで真っ赤で完全に僕にアピールしているのが丸分かりだ。
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炊事棟で片付けをていると、三上を除く新入部員が近寄ってきた。
「あの、コーチ……とても悔しいです!……もっと…速くなりたいです!……今後とも宜しくお願い致します……」
僕は新入部員らに対し、ゆっくりと頷いた。その負けん気の強さは頼もしい。
片付けも終わり、解散しようとした時、鳴野が人目を盗むように僕の袖を引いた。
「こ、コーチ……ちょっとだけいいですか……?」
少し離れた木陰まで僕を連れていくと、鳴野は深呼吸して真っ直ぐ僕を見上げた。
「今日、走ってるコーチを見て……改めて思いました。私……もっと強くなりたい。コーチに褒めてもらえる選手になりたい。だから……これからも……近くで指導してほしいです」
いつもの甘えた空気とは違い、真剣でまっすぐな瞳。
キャプテンとしての意地と、女性としての想いが入り混じったような色をしていた。
「鳴野なら、まだまだ伸びるよ。全力でサポートする」
そう言って軽く肩に手を置くと、鳴野の肩が震え小さく息を吸う。
「……っ……ありがとうございます……!」
涙まで浮かべて喜ぶ鳴野。その姿に僕も胸が熱くなる。
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鳴野が落ち着いた頃、全体に声をかけた。
「今日はお疲れさま! 来週から本格的にメニューを組んでいく。体調管理だけはしっかり頼むぞ!」
全員が元気よく返事をし、バーベキュー場は一気に明るく華やいだ空気に包まれた。
「「「コーチ、ありがとうございました!!」」」
新入部員も既存部員も、皆が晴れやかな笑顔だった。
――東相大学の長距離・駅伝部の新しい一年が確かに動き出した。




