第25話 マスコミの取材(前編)
3月30日㈮
妻たちの了承を得た僕は、その旨を北川さんに伝えた。すると北川さんは、すぐさま三誌との日程を調整し、この日に3誌の取材を受けることになった。
午前中には、スポーツ専門誌の『サンライズ』と『月刊アスリート』の取材を受けることになり、午後には写真週刊誌『Jウィーク』の取材が控えている。すべて、総合運動公園内のメインアリーナ(総合体育館)の特設スタジオ(会議室)で行われる。
この三誌は、いずれも僕が大会当日にコメントを受けた雑誌社であり、再びそのときの担当記者たちが現れるらしい。だが、僕のほうは正直言って、彼女たちの顔をあまり覚えていなかった。
なお、こちらの世界における『記者』という職業は、国家資格扱いとなる専門職だ。『日本国記者協会』という公的な組織があり、そこを通じて研修過程と身辺調査を経た者のみが“記者証”が発行され記者として活動できる。そのため、どの記者も礼儀正しく、取材のマナーやコンプライアンスにも厳しい。
海外の記者も同じく、日本国内で取材する場合は、その研修過程を修了していなければ、“記者証”は発行されず、日本国内での取材活動は出来ない。
ただ、最近は無資格のネット配信者が“記者まがい”の活動を行っているようで、政府はその取り締まりを強化する方針を打ち出しているらしい。当然、違反者には罰則が課される。
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―― 9時頃より総合運動公園にて ――
スポーツ雑誌『サンライズ』と『月刊アスリート』の取材を受けることになった。会議室の隅では、北川さんと妻たちも静かにその様子を見守っている。
両誌とも、大会当日に僕を取材してくれた媒体であり、今回も当時と同じ担当記者たちが顔を揃えていた。各社からは女性記者が一名ずつ、カメラウーマンが一名ずつ、更にアシスタントが1名ずつ同行しており、加えてスタイリストとメイクも帯同して、計10名の取材班が整然と並んでいた。
僕は『ミナーヴァ』から提供されたジャージを着用している。上は深紅、下は黒で、胸元にはミナーヴァと沖グループのロゴがプリントされている。
広報部からも10名の女性社員が同行し、彼女たちが全体の進行をテキパキと取り仕切っていた。
「それでは、よろしくお願いいたします」
広報部の社員が柔らかく声をかけ、場の空気を和ませる。記者たちは一礼し、インタビューが始まった。
最初に口を開いたのは、『サンライズ』の記者だった。
「改めまして、甲斐田天馬選手。前回の大会では本当に圧巻の走りでした。優勝おめでとうございます。レースを終えた今、お気持ちはいかがですか?」
「ありがとうございます。今回、初めてレースに出場するにあたって、妻たちや護衛の方々、そしてサポートしてくださった多くの方々のおかげで無事に走りきることができました。本当に感謝しております。ありがとうございました。走りに関しても、大きなトラブルなく、想定通りに展開できましたし、最後まで自分の力を出し切れたことを誇りに思ってます」
そう答えると、妻たちや護衛、北川さんはどこか照れたように視線を落とした。記者たちは、僕の言葉にやや驚いた表情を浮かべていた。
「――大会後の生活はいかがですか? 注目度の高さを、より実感されているのでは?」
「ええ、正直に言って想像以上です。競技に対する関心以上に、僕自身の生活や家族構成への関心が強いようで、少し戸惑ってます」
率直な返答に、記者たちは苦笑を浮かべながら頷いた。
ちなみに、元いた世界ではインタビュー中にICレコーダーやノートパソコンを使うのが一般的だったが、こちらでは全員が紙のメモ帳にペンを走らせている。僕の表情を見ながら質問を投げかけ、丁寧に対話しようとする姿勢に、僕は強く好感を抱いていた。そのせいか、つい必要以上に饒舌になりそうになる。
続いて、『月刊アスリート』の記者が質問を重ねる。
「男性アスリートとして非常に希少な存在でいらっしゃいます。注目を集める理由もそこにあると思いますが、その点については、どのようにお感じですか?」
間接的とはいえ、性差に関する質問が来た。これは想定していたので、北川さんと打ち合わせた通り、僕自身の気持ちも込めて答える。
「うーん……大会翌日のニュースやワイドショーには驚きましたが、今はもう慣れました。こればかりは仕方のないことだと思ってます。ただ、僕は性差に関係なく、これからも挑戦を続けていきたいと考えております」
記者たちは、その答えに驚きの表情を浮かべた。『月刊アスリート』の記者は更に質問を重ねる。
「性差に関係なく……とおっしゃいましたが、やはり何らかの壁は感じておられるのでしょうか?」
「男性選手がほぼ皆無なため、制限があるのは仕方のないことです。主催者側が拒否するのも難しいでしょうし……。それに……僕が出場することで、会場の警備やスタッフの増員、控室やトイレの設営など、主催者側に多くの負担がかかります。とてもありがたいことですが、申し訳ない気持ちになります。そのため、事前に主催者と詳細を確認する必要があります」
そう真剣に答えると、記者は深く頷き、それ以上は踏み込まなかった。
次に、『サンライズ』の記者が日常生活について尋ねてくる。
「日常生活の中で、不便を感じることはありますか?」
「うーん……不便というより、周囲の気遣いに助けられてばかりです。妻たちはもちろん、護衛の皆さんも、僕が安心して暮らせるよう常に配慮してくれて……本当にありがたい限りです」
「旦那様方だけでなく、護衛の方々への感謝まで……とても紳士的ですね」
「いえ、それは当然のことです。僕一人では何もできませんから」
静かにそう答えると、記者たちは神妙な面持ちでペンを走らせた。
再び『サンライズ』の記者が競技について切り込む。
「次は、5月開催の“ウェヌスプラチナグランプリ”への出場を予定していると伺いましたが、それは事実でしょうか?」
これも予想された質問だった。僕は事前に北川さんと確認していた通りに答える。
「はい。すでにエントリーは済ませてます。ただ、これは僕にとって、次の目標へのステップに過ぎません」
「ステップ……とおっしゃいますと、“次の目標”とは何でしょうか?」
記者が身を乗り出してくる。僕は落ち着いた口調で答える。
「僕の目標は、マラソンで“世界記録”を更新することです。先日5000mの記録更新は果たしましたが、それはあくまで通過点に過ぎません。本当の挑戦は、これからです」
その言葉に、取材班全員の視線が集中した。
「では、次のウェヌスは……その挑戦への布石だと?」
「はい! その通りです。より実戦的なトレーニングの一環であり、本番に向けて一切の妥協はしません」
「“本番”とは、具体的にどの大会を想定されてますか?」
「現時点では詳細をお伝えできませんが、“世界中のランナーにとっての最終目標”と言える大会だとだけお答えしておきます」
僕が意味ありげに微笑むと、記者は何かを察したようで、それ以上の追及はしなかった。
場の空気が張り詰めすぎたことを察してか、『月刊アスリート』の記者が話題を変える。
「トレーニングについてお伺いします。普段はどのような内容に取り組んでいるのですか?」
「基本は、ウェヌスに向けたスピード持久力の向上を中心にトレーニングしております。並行して体幹トレーニングも取り入れてます」
その言葉に記者は首を傾げた。
「スピード持久力? 体幹トレーニング……ですか?」
そうだった。こちらの世界には、そうした概念がまだ浸透していないのだ。
「スピード持久力とは、高速のペースを長時間維持する能力のことです。中長距離やマラソンで非常に重要な能力で、要するに“失速せずに走り切る”ための力ですね」
記者が熱心にメモを取る。僕は一呼吸おいてから、更に説明を続ける。
「例えば……10000m走で、前半は15分で走れても、後半にペースが落ちて16分かかってしまうとします。合計31分は好タイムですが、僕にとっては“失速”です。前半と同じ15分を維持できれば、30分で走りきれる。スピード持久力とは、そうした“最後まで一定のペースを維持する”力なのです。5000m走をいかに失速せずに走れるかが、鍵になります」
『月刊アスリート』の記者が身を乗り出すようにして尋ねる。
「確かに……距離が延びるほど、終盤のペースは落ちがちですね。それを抑えるというイメージでしょうか?」
「その通りです。イメージとしては、それに近いです」
僕の説明に記者たちは目を見開き、一斉にペンを走らせた。
更に『月刊アスリート』の記者が尋ねる。
「それは……具体的に……どんなトレーニングなのでしょう?」
僕は実践しているスピードトレーニングの一例を答える。
「一例ですが、1000mインターバルです。それを5本から7本実施します。あくまで一例でして、他に1600や3000と、距離を変えたりしながら実施してます」
「1000m! ですか!! その効果は……どうなのでしょう?」
記者は目を見開いて驚愕の表情をした。こちらの世界では、ロングインターバル走をするという概念がないので当然か。
「効果は期待出来ます。先ず、何故?インターバル走をするのか?ご存知ですか?」
スピードトレーニングの理論を全く理解していない様子であったので、僕は記者に逆質問する。
すると『月刊アスリート』の記者が、たどたどしく答える。
「そっ!それは〜速く走れる様にするためですよね」
「なるほど、ではインターバル走をする理由ですが―――」
僕はスピードトレーニングについて、記者たちに詳しく説明した。
インターバル走の主な目的は、最大酸素摂取量の向上、つまり心肺機能の強化にある。そして、それに伴ってスピード持久力――速さを維持する力の向上も期待できるのだ。
具体的には、ダッシュに近いスピードで限界まで走る。その「限界」は、だいたい5分ほどで一杯になる強度が目安となる。これにより、心肺機能が高まり速い足捌きが身につき、結果としてスピードも向上していく。加えて、全身の筋力強化にもつながっていく。
僕はさらに説明を続ける。
「人間は疾走を始めてから約2分が経過すると、無酸素状態になります。この状態でもう一段ギアを上げて走ることで、スピードと持久力の両方を鍛えることができるんです。だからこそ、ある程度長い距離――1000mや3000mといった距離でのインターバル走が非常に効果的なんです」
取材班の記者たちは目を丸くして驚いた表情を浮かべていた。紙のメモ帳に書き漏らすまいと必死にペンを走らせている。
僕は続ける。
「それに、インターバル走は非常にきついトレーニングなので、単に体力だけでなく、強い精神力――メンタルの鍛錬にもなります。走るという行為には、肉体的な強さと同じくらい、精神的な強さも必要なんです」
記者の一人が感嘆したように息を呑み言った。
「……まるで、知らない世界の話を聞いているようです。まさに革命的ですね」
僕は少しだけ照れくさくなりながら、静かに笑った。
「でも、これはあくまでも僕個人の理論であり、必ずしも正解とは言い切れません! ですが、僕自身の体を使って実験した限りでは、その効果は絶大であると自負しております」
北川さんと打ち合わせた通り、あくまでも僕個人の理論として答えた。元の世界では既に確立されているトレーニング理論を、自分が考えたものとするのは、とても気が引けたが、僕が稀人であるのは秘匿されているので、こればかりは致し方なしである。
取材班の一人がふと顔を上げ頷きながら言った。
「記録だけでなく、考え方や取り組み方そのものが……まるで、先の時代から来た人のようです」
僕は苦笑しながら答えた。
「そんなふうに言われると、なんだか照れますね。あくまでも……僕個人の理論ですので……」
――これが、ただの取材で終わらず、誰かの意識を変えるきっかけになればいい。そう願いながら、僕は一つひとつの質問に、丁寧に、真摯に向き合っていった。
「それにしても……」
記者の一人が呟くように言った。
「練習の話をしているのに、聞いているだけでこちらの胸が熱くなってきます」
別の記者が応じる。
「ですね。なんというか、話に魂がこもっているというか……私も走りたくなってきますよ」
僕は思わず笑ってしまった。
「それは良いですね。でも、無理はしないでくださいね。いきなり1000mのインターバルをやると、ほんとに倒れちゃうかもしれませんから」
僕の言葉に場が和やかな笑いに包まれる。
取材は、終始そんな雰囲気だった。記者として真剣なまなざしを向けながらも、時折こぼれる素直な感嘆や、僕の話に対する率直なリアクション。それらが嬉しかった。
僕はこれまで、取材というものにあまりいい印象を持っていなかった。元いた世界線で競技者として活動していた頃、メディア対応はどこか義務的で、どこか作られたやり取りのように感じることもあった。また媒体によっては失礼な言動や態度があったりなど。
でも、この世界では違う。記者たちは心から僕の話に耳を傾け、学び、驚き、そして敬意をもって受け止めてくれている。
「本当に、取材を受けてよかった」
心の中でそう思いながら、僕は最後の質問に丁寧に答えた。
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その後、隅で控えていた朱里にも取材が及んだ。僕の隣りに座り記者の取材に応える。記者たちとは顔見知りだったようで、インタビューは和やかに進んだ。
因みに朱里の服装は、僕と同じデザインのジャージ姿だ。
先ずは『サンライズ』の記者が朱里に質問をする。
「佐山さん、お久しぶりです――」
「甲斐田よ! 甲斐田朱里です」
笑顔で遮った朱里。その表情から、彼女の中で“甲斐田”という姓に対する強い思いが感じられた。
「し、失礼しました……甲斐田朱里さん。昨年、突然の婚活引退には驚かされました。甲斐田選手という素敵な伴侶を得られたことで、目標は成就されたと感じますが……現役復帰のご予定は?」
「まっったくありません! 私はダーリンのサポートに全力ですし、看護師として遣り甲斐も感じてます!」
朱里の即答に、記者とカメラウーマンの全員が驚愕し、口を揃えるように言った。
「ダーリン!?」「羨ましい……!」「私も言ってみたい……」
場が一気に和み、その後のインタビューもスムーズに進行した。朱里はレスリングでの金メダル、総合格闘技での無敗記録という実績に満足しており、看護師としての職業に遣り甲斐も感じているので、現役復帰の意思はないときっぱり答えた。
現在は僕のサポートにも遣り甲斐を感じ、護衛術の習得にも意欲を見せている。かつては『アテナ』と謳われた最強美少女が護衛を学ぶ?ということに驚く声もあったが、朱里が説明する。
「強いからといって人を守れるわけではないのよ! 護衛とは“盾”になることで相手を守るもの。それは、まったく別の技術なのよ」
朱里の説明は、とても分かりやすく、記者も含め僕も納得した。
取材の終盤、記者たちの要望で僕と朱里はユニフォーム姿を披露することにした。
僕は大会時と同じセパレートタイプのユニフォーム。胸元までの赤いランシャツに、黒のベリーショートタイツ。朱里は同デザインのブラトップとビキニタイプのパンツに、僕が贈った赤い鉢巻を巻いていた。どちらの胸元にも「ミナーヴァ」と「沖グループ」のロゴが刻まれている。
その姿に、取材陣の目が釘付けになる。
「……本当に綺麗な筋肉ですね……」
「無駄な贅肉が一切ない……」
「エロっ!!(あっ!子宮が…疼く!)」
「この肩のライン、まさに芸術です……」
記者とカメラウーマンたちは無意識に息を呑む声が重なり、僕は苦笑しながら「ありがとうございます」と返すだけだった。
最後にトラックを走る姿、ワンショット、朱里とのツーショットなどを撮影して、取材は幕を閉じた。
ツーショットでは、僕が朱里の腰に手を回して引き寄せると、記者たちはまたもや目を見張り、蕩けたような表情を見せていた。
「本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
取材が終わった後、記者たちは深々と頭を下げて、何度も礼を言って帰っていった。とても満足そうな笑顔をしていたので、取材は上々であったようである。
そして、記者らの目には取材前とは明らかに異なる僕への好感が宿っていた。
僕は見送る彼女たちの背中を見ながら、小さく息を吐いた。
――この世界にも変化は訪れる。少しずつ、しかし確かに。
僕は今日話したことを、誰かがどこかで思い出し、やがては行動に移してくれると信じている。
それが、未来のランナーたちのためになるのなら。そう思える自分が、今は少し誇らしかった。
北川さんと愛理がその様子を見て穏やかに笑う。
「やはり、実際に会ってみると、天馬さんの魅力が伝わりますね」
と北川さん。
「これで少しは過熱報道も落ち着いてくれればいいんだけど」
と愛理が、どこか呆れたように言った。
僕はただ笑顔で、取材班を見送った。
果たして、この取材がどのような報道となって世間に届くのか。それは、これからのお楽しみだ——。




