第24話 取材の打ち合わせ
3月28日㈬
美月に弁当を持たせて見送りを終えた後、護衛を伴って総合運動公園へと向かい、自主トレーニングを行った。
相変わらず、競技場の外周には女子中高生と思しきギャラリーが大勢集まり、黄色い声援を送りながら、僕の走る姿をスマートフォンで夢中になって撮影していた。特に練習の妨げになるわけではないが、前回よりも明らかに人数は増えており、噂がさらに広がっていることを実感する。
トレーニングを終えてシャワーを浴び、軽く着替えを済ませてから、16時過ぎに大学へと足を運んだ。ラグビー部のフィジカルトレーニングの指導が予定されていたからだ。
グラウンドに足を踏み入れると、まずは男子マネージャーたちが笑顔で駆け寄ってきて、先日の大会のお祝いの言葉をかけてくれた。
代表して、義弟でもある「福原優」君が、頬を赤らめながら僕に声をかける。
「天馬兄さん! 先日は応援に行けなくてごめんなさい! でも、世界記録なんて本当にすごいです! おめでとうございます!」
その隣では、同じく男子マネージャーの鶴田愛斗君と亀山未来君が、キラキラと目を輝かせて僕を見つめていた。三人とも中性的な整った顔立ちで、まるで美少女のような雰囲気を持っている。そんな眼差しを正面から向けられると、さすがに困惑を隠せず、思わず頬が熱くなる。
「……ありがとう」
不覚にも赤面しながら、ようやくそれだけは口にすることができた。
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やがて練習開始の時刻となり、ラグビー部員たちがグラウンドに整列した。
部員たちの前に立ち、キャプテンである義妹・大舘リリカが代表して、僕に頭を下げながら言う。
「天馬おにぃ……じゃなくて、天馬トレーナー! 世界新記録更新、本当におめでとうございます! 当日は応援に行けなくてすみませんでした。でも、本当に素晴らしい走りでした! これからも私たちの指導、よろしくお願いします!」
『『よろしくお願い致します!!』』
部員全員が声を揃えて礼をする。
僕は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら、深々と頭を下げて応えた。
「ありがとう。皆のお祝いの言葉、とても嬉しいです。これからも、よろしくお願いします」
その様子を見守る勝田戦術担当コーチは、まるで尊敬の対象を見るように目を輝かせていたが、鶴田監督と若山ヘッドコーチの表情は変わらず無表情だった。
今日のメニューは、先日に引き続き、グラウンドを用いたインターバル走を中心に僕も皆と一緒に実施した。4月下旬には春季リーグと対抗戦が控えているため、部員たちの気合いは十分だった。
わずか一時間ほどの短い練習時間だったが、全員が集中して取り組み、内容の濃いトレーニングができた。僕が世界記録を更新したことで、部員たちとの間に新たな信頼感が芽生えつつあるのを、肌で感じていた。
練習を終え、グラウンドの片隅で道具の片付けを手伝っていると、リリカがタオルを手に僕のもとへ駆け寄ってきた。
「天馬兄さま、これ、どうぞ!」
そう言って差し出されたタオルを受け取りながら、僕は少し驚いた。
「あ、ありがとう……気が利くね」
「えへへ……だって、汗すごかったから」
リリカが少しだけ照れたように笑う。その仕草がどこかクリスに似ていて、僕はふっと微笑む。
余りの可愛さについ頭を撫でてしまったら、リリカは赤面し硬直してしまった。
そこへ北川さんからの連絡が入った。スマホの通知を確認し着信に応じる。
「はい、天馬です」
『お疲れ様です。取材の件ですが、私と愛理様とで選別致しまして、「サンライズ」と「月刊アスリート」と「Jウィーク」の三誌に決定させて頂きました。それでなのですが、明日10時に沖ホールディングスで、事前に取材の打ち合わせを致したいので、9時30分にお迎えに伺います。よろしくお願いいたします』
「わかりました。よろしくお願いします」
通話を終え、僕はスマートフォンをポケットに戻しながら、リリカのほうへ顔を向けた。
「明日はちょっと、取材の打ち合わせがあってね」
「へぇ、取材かぁ。やっぱり世界記録となると引っ張りだこなんですね!」
「ありがたいことだけど……緊張するよ」
リリカは「ふふっ」と微笑む。
「大丈夫。天馬兄さまは、どこに出しても恥ずかしくない人だもん!」
その無邪気な励ましに少し照れながらも、僕は心の中で明日への気持ちを整えていた。
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3月29日㈭
朝、美月宅で軽い朝食を済ませ、身支度を整えていると、9時30分きっかりに迎えの車が到着した。北川さんは既に「沖ホールディングス」へと先行しているらしく、護衛の女性のみがエントランスにて出迎え、きびきびとしだ所作で一礼し、僕を車へと案内する。
ちなみに、美月はいつもどおりの時間帯に出社していたため、この朝は僕一人、静かな空気の中で車に乗り込んだ。
車窓を流れる街並みは、春の光に照らされてやや白みがかり、都心へ向かうにつれガラス張りのビルが立ち並ぶ風景へと変わっていった。目的地は、「沖ホールディングス㈱」本社。都内でも屈指の高さを誇るビルの20階、広報部のフロアだ。
エントランスに入ると、受付のスーツ姿のイケメン男性たちが一斉に立ち上がり、深々と頭を下げた。その整然とした動きに、僕の中に思わず緊張が走る。
案内された広報部の会議室の扉が開かれると、すでに到着していた北川さんが立ち上がり、丁寧に一礼して出迎えた。
「天馬さん、おはようございます。本日はお忙しい中、ありがとうございます」
その隣では、黒のワンピースを端正に着こなした愛理常務が、柔らかな笑みを浮かべながら、そっと手を振ってくれる。
彼女の姿には母性と知性が同居しており、控えめながらも確かな存在感を放っていた。まだ目立ったお腹の膨らみはないものの、その身からは母になる喜びが、凛とした気高さとともに滲み出ていた。
「ようこそ、天馬さん。ゆっくりでいいから、こちらへどうぞ」
促されるまま席に着くと、すでに10名近い広報部の女性社員たちが整然と資料とノートパソコンを前に並んで座っていた。彼女たちの多くがやや緊張した表情をしている。
僕が「五人の妻を持つ、世界新記録を打ち立てた男性マラソン選手」であり、なおかつ社内広報部所属の特別社員であるという公式設定——つまり、“稀人”であるという真実は、彼女たちには共有されていない。
北川さんについても、僕が国より「特別保護対象」と認定されたことにより、あくまで「男性保護庁から派遣された担当官」という建前があるため、今回のように彼女が同席していても、不自然さは感じられていないようだった。
会議の進行は、広報部の中堅と思しき女性社員が担当し、要所要所で愛理常務が判断や補足を挟みながら、静かに、しかし的確に打ち合わせは進行していく。
「今回の取材は、三誌に限定しております。“サンライズ”と“月刊アスリート”は、どちらもスポーツ専門誌で、読者層も競技者寄り。“Jウィーク”は写真週刊誌ですが、天馬君の『競技者としての素顔』に焦点を当てた巻頭ロングインタビューを希望しております」
落ち着いた声の広報部の課長(女性)がそう説明すると、別の若手社員が補足するように言葉を継ぐ。
「Jウィーク側は、今回の世界記録更新を踏まえ、ストイックな日常と、ご家族との時間のコントラストをテーマにしたいとのことでした。撮影場所としては、ご自宅、またはトレーニング施設が候補に挙がっております」
僕は一瞬、眉をひそめて考え込む。自宅での撮影は、僕だけの判断で決められることではない。僕だけでなく、妻たち、そして“家族”全体のプライバシーが関わってくるからだ。
そのとき、北川さんが穏やかな口調で口を開く。
「ご自宅の撮影は、たとえご本人が了承されても、基本的には認められません。ご家族のプライバシーを守ることが最優先です。可能な範囲で、撮影場所は我々の方で制限を設けさせていただきます」
北川さんの静かな圧力に、会議室の空気がわずかに緊張する。若い社員の一人が目線を落とし、肩をすくめるように頷いた。
その流れを和らげるように、愛理常務がやや控えめに、しかし真剣な表情で僕に問いかけた。
「では、自宅は難しいとして……ご家族との取材、つまり旦那様方とのインタビューは、可能でしょうか?」
一瞬、意味を取り違えてしまい、僕は戸惑ったように眉を寄せる。問いかけているのが僕のみである事から、既に北川さんとの根回しは済んでいるのであろう。
「……妻たちに相談してみます 了承が得られれば、取材に応じることは可能です」
そう応じると、愛理はほんのり頬を染め、思わず口元を隠しながら、ぼそりとつぶやいた。
「わ、わたしは……いいですよ」
その言葉に、僕も顔が熱くなるのを感じる。
「……ありがとうございます。できれば……皆と一緒に、取材に応じたいです」
愛理と視線が合い、会議室の空気がふわりと和らいだ。少しの沈黙のあと、微かな笑いが周囲にこぼれる。誰も声には出さないが、あたたかい雰囲気が部屋を包み込んでいた。
愛理常務は、ふっと優しく微笑む。
「ありがとう。あなたがどれだけ真摯に競技と向き合ってるか、それが伝わるように、私たちも全力でサポートします」
その後は、各誌の取材日程や撮影スケジュール、インタビューテーマや写真構図の草案に至るまで、細かな調整が続いた。資料を前に、皆が真剣な表情で議論を交わすなか、僕も自分の想いを一つずつ丁寧に言葉にして伝えていく。
自宅での撮影と取材は、北川さん(男性保護庁)より認められなかったので、僕がいつも利用してる総合運動公園にてすることが決められた。
僕は可能な限り協力することを伝え、会議は予定時間を少し過ぎて終了した。
この取材が、ただの話題作りでは終わらないように。誰かの心に届くような、そんなものになるように。
会議後、エレベーターホールまでの帰り道。北川さんが少し声を潜めて、僕に耳打ちした。
「……稀人であることが世間に露見すれば、世界に与える影響は計り知れません。ですが、私たちはあなたを全力で守ります。安心して取材を受けてください」
その言葉に、僕は小さく頷く。
僕は深呼吸をひとつし、心を引き締めた。
次の一歩のために。
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夕方|16時過ぎ頃
広報部での打ち合わせを終えてから、総合運動公園にてクリスと合流し、大学「長距離・駅伝部」の指導をクリスと共に行った。
練習前にクリスには、取材の件について自宅にて相談したい旨を伝えた。妻達にも同じくメッセージアプリを通じてその旨は伝えた。
駅伝部の指導は、引き続き長距離のジョギングと体幹トレーニングを中心に実施し、故障者には別メニューで僕が指導したメニューをこなした。
僕とクリスも部員らと一緒に汗を流した。
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夜|自宅リビング
クリスを伴って帰宅した。未だ誰も帰宅してきてないので、僕は夕飯の支度をし始める。クリスも手伝ってくれたのだが、その包丁捌きは拙い。
クリスは、今迄全く料理すらしたことがなかったらしいのだが、僕との婚姻を機に、父親より色々教えてもらったそうだ。
とても手際が悪く、僕一人でやった方が早いのではあるが、敢えてクリスに手伝ってもらうことにしたのだ。
こうして一緒に料理をする作業ほど幸せなものはないのである。
それにしても……こちらの世界線の女性は、家事が苦手なのが多い。
奈月と朱里は、最近は掃除と洗濯は出来る様にはなったのだが、未だに料理は壊滅的だ。
美月は、掃除洗濯はしてくれるのだが、料理は全くしようとすらしない。
クリスは、実家住まいなので、未だよくわからないが、ヨッシー曰く、僕と婚姻後は掃除・洗濯・炊事を積極的にやるようになったとの事である。
そうすると、愛理は稀なのであろうか? 彼女の作るご飯はとても美味しいし、掃除と洗濯もいつの間にか、やっておいてくれて手際がいい。
暫くすると奈月と朱里が帰宅して来たので、僕はエプロン姿のまま玄関で出迎える。
「「ただいま~」」
「おかえりなさい。お疲れ様でした。 もう少しで夕飯出来るから待っててね」
二人にそれぞれハグとキスをした後に、奈月のお腹の子にも声をかけた。
直ぐに美月と愛理も揃って入ってくる。同じ様に労いの言葉をかけ、愛理のお腹の子にも声を掛ける。
奈月と朱里が台所に顔を出し、僕たちの手元を気にするように覗き込んでくる。
「わぁ~! くーちゃんの包丁の持ち方、ぎこちないけどちゃんと出来てる!」
朱里が目を丸くして声を上げると、クリスはほんのり顔を赤く染め、ちょっと誇らしげに胸を張った。
「お父さんに、教えてもらったの! 天馬のために……がんばったわ!」
「えらいえらい……って……、それ私が言う台詞か……」
奈月が苦笑しながら、僕の背に回って肩をぽんと叩く。料理は相変わらず苦手な奈月だが、最近は掃除も洗濯もこなすようになってきた。その成長ぶりが、僕にはどこか誇らしく思える。
一方、美月はリビングのソファに座り、お茶を啜っている。食事の支度にはあまり興味がないらしく、「私は出来上がった料理を褒める係」と言わんばかりの顔で、くつろいでいる。
その対面、愛理はいつの間にかエプロン姿で、冷蔵庫にある物で、さっとサラダを作り盛り付け、冷蔵庫からドレッシングを取り出していた。誰よりも自然な動きでキッチンを自分の居場所のように使いこなしている。
「ごめんなさい、ちょっと手を出しちゃったわね……でも、天馬さんの味付けは変えないようにしてるから安心して」
柔らかく微笑む愛理に、僕は自然と頭が下がる思いだった。
それにしても……相変わらず愛理のエプソン姿は破壊力が凄まじく、とてもかわいい。
ん?また若返ったか? 僕よりも更に年下に見えてしまう。
食卓に料理が並び、皆で椅子に腰掛けると、奈月が話題を切り出した。
「今日の打ち合わせ、どうだった? 北川さんから少し聞いたけど、かなり本格的なんでしょう?」
僕は頷き、少しだけ深呼吸をしてから、今日の内容を丁寧に説明し始めた。三誌(サンライズ、月刊アスリート、Jウィーク)からの取材の話。とくに「Jウィーク」が僕の素顔や家族との関係性にフォーカスした企画を出してきたこと。撮影場所として自宅を希望されたこと。そして、北川さんの判断でそれは却下され、代わりに総合運動公園での撮影になったこと。
「それと、もうひとつ大きな話があって……」
少しだけ間を置いてから僕は続けた。
「家族……つまり妻たちにもインタビューを受けてほしいっていう話があった。もちろん強制じゃない! 了承してくれたら皆で受けようと思う」
奈月が驚いた表情で応じる。
「つまり、私たちもその取材に……?!」
「うん! もちろん強制じゃない。全員がOKしてくれるなら、僕としてはみんなと一緒に受けたい。どんなふうに僕が日々支えられてるかって、ちゃんと伝えたいんだ」
一瞬、静まり返る食卓。だが、空気が重くなることはなかった。
「ふふっ、私はもう『いいですよ』って言っちゃったもの」
愛理が冗談めかして笑うと、朱里が小さく手を挙げた。
「うん!わたしも久々に受けたい。ダーリンが好きなこと、好きな人たちのこと……ちゃんと話したいから」
「私も、いいよ……天馬のトレーニング理論を広めるいい機会じゃない?」
と、クリスが珍しくはっきりとした口調で言い、僕はちょっと驚いた。
すると美月が静かに口を開く。
「私は構わないわ! でも、服装とか髪型とか……ちゃんと相談させてね」
その語り口には、彼女らしいスマートなプライドと、どこかユーモアが混じっていた。
最後に奈月が、小さくうなずきながら言った。
「家族ってとこ、ちゃんと見せたい。わたしも取材に応じるよ」
皆の言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「ありがとう……みんな、本当にありがとう」
僕は、両手をぎゅっと組みしめるようにしながら、彼女たち一人ひとりの顔を見回した。
この家は、僕にとってただの“住まい”じゃない。安心できる場所であり、心を寄せ合える人たちのいる、唯一の“帰るべき場所”なのだ。
静かに夜が更けていくなか、夕食後の食卓には、柔らかな笑い声が満ちていた。取材に向けて、それぞれの思いや緊張が入り混じっているはずなのに、誰も不安を口にすることはなかった。
取材はまだこれから。でも、この家族でならきっと乗り越えていける。そう確信できる瞬間だった。




