第22話 大会を終えて
北川さんの言葉を聞き終えた直後、ノックの音とともに控室のドアが開いた。そこには数名のスーツ姿の女性たちが立っていた。
「甲斐田天馬さんですね? 初めまして、日本国陸連競技委員会の増子亜紀です。よろしくお願い致します」
先頭に立つ見た目30代後半位の小柄な女性が名刺を差し出しながら、驚きと期待が入り混じった表情で僕を見つめている。その背後のスタッフたちも、興奮を隠しきれない様子だ。
「今回の記録、公式に認定されれば、日本どころか世界の陸上界に衝撃を与えるものになります。何しろ……男性が女性の記録を上回ったのですからね! つきましては――」
彼女は言葉を一度切り、深く息を吸った。
「ぜひ、5月の“ウェヌスプラチナグランプリ”に出場していただきたいのです!」
陸連のスタッフたちの目が一斉に輝く。美月はとても驚いた表情をしていた。
「ウェヌスプラチナ……ですか?」
僕は怪訝な表情をする。
「はい! 本来なら出場選考のプロセスを踏む必要がありますが、甲斐田さんの記録はあまりにも規格外です! このまま正式な推薦枠として登録し、出場させたいと考えております!」
熱のこもった言葉が続くが、僕にとっては、5000m走のPBには遠く及ばない平凡タイムである。
だが……こちらの世界では5000m走を14分を切るタイムは、100m走を10秒切りに匹敵するくらいの驚異的なタイムなのであろう。
自分の身体能力が、女性過多なこちらの世界のトップアスリートを遥かに凌駕していることは分かっている。
増子さんの申し出は願ってもないことである。試作シューズのいい宣伝にもなるし、更なるスポンサーを得ることにも繋がる。
直ぐに返事をしたいところではあるが、やはり妻や北川さんに一度相談してから決めるとしよう。
僕は北川さんと美月に目配せすると、二人とも頷き、僕の意図を察知してくれた様なので、増子さんに応える。
「……とてもありがたいのですが、少し考えさせて下さい! 妻たちにも相談したいです……」
僕がそう答えると、陸連のスタッフたちはわずかに驚いたようだったが、すぐに頷いた。
「もちろんです。ですが、できるだけ早くお返事をいただけると助かります。甲斐田さんの出場が、日本国陸上界の未来……そして男性にとってどれほど大きな意味を持つか……ぜひ、ご一考ください」
そう言って、彼女たちは名刺と書類を置き、控室を後にした。
陸連との話を終えた後、僕は着替えを済ませ、美月や北川さんと一緒に観客席へ向かった。
道中、帰り支度をする木村さんと開発スタッフらと会う。
「てっ……天馬さん! 世界記録更新おめでとうございます! 素晴らしい走りでした!」
「木村さん、開発スタッフの皆さん、態々ありがとうございます。データは取れましたか?」
僕は抑揚に応える。
「はっ……はい! お陰様でとても良い動画……データが取れました! 分析結果は後日報告しますね。それと……甲斐田常務から頂いたのですが、お弁当ありがとうございます。直ぐに分析したいので、こっこれで……失礼致します」
木村さんは赤面していたが、何か達成感に満ちた表情をしていた。
木村さんと開発スタッフら全員とガッチリと握手を交わして見送った後に、皆のいる応援席へと向かった。そこには、妻達と零士さんたちと、ヨッシーたちが待っていた。
「天馬、お疲れ様! もうお昼にしようよ!」
奈月が嬉しそうに手を振り、朱里も「すごい記録だったね!」と目を輝かせている。
テーブルには愛理特製と零士さんの手作り弁当が並べられ、温かい湯気が漂っていた。僕はひと息ついて席につき、愛理が用意してくれたおにぎりを手に取った。
「……うまい」
「ふふ、でしょ?」
愛理が満足げに微笑む。妻たちと北川さんも嬉しそうに僕の周りに座り、食事を楽しんでいた。
護衛らにもしっかりとお弁当を手渡した。とても喜んでいた。
既にヨッシーと零士さんは、お酒を飲んでいて、良い感じに出来上がっていた。久しぶりなのだろうか、2人ともとても楽しそうだ。
僕にお酒を勧めて来たが、このあと表彰式があるので、流石に断った。
そんな和やかな空気の中、葉月さんがふと話題を切り出した。
「天馬さん、さっき陸連の人たちが来てたみたいだけど……何か話があったの?」
僕は箸を置き、軽く息をついて答えた。
「ウェヌスプラチナグランプリに出場しないか?って打診されました」
その瞬間、奈月と朱里が驚き目を丸くした。
「「ウェヌス!!」」
「やっぱり……天馬なら、そうなるよね……」
クリスが納得したように頷き、葉月さんも「なるほどね」と微笑んだ。
クリスから説明されたのだが、「ウェヌスプラチナグランプリ」なる大会は、トラック競技に於て、秋に行われる「日本選手権」に匹敵する重要な大会であり、「春の日本選手権」と言われている。
「日本選手権」への出場選考も兼ねており、各地区の予選を突破した全国に名を連ねる選手が出場するメジャーな大会であるとのこと。
「で、どうするの?」
奈月の問いに、僕は少し考えたあと、静かに答えた。
「皆に相談してからかな」
その言葉に、妻たちと北川さんは真剣な表情で頷いた。
~~~~~
昼食を終えた後、午後の競技が開始されたが、僕は表彰式が行われる夕方まで、皆とともに観客席で競技を観戦しながら待った。
待つ間、北川さんとインタビューへのコメントの打ち合わせをして過ごした。
観戦中、周囲の観客やマスコミがヨッシーと優美さん、ミアさんに気づき始め、ざわつきはしたものの、大騒ぎには至らなかった。
すべての競技が終了したのは16時過ぎ。その後、表彰式が行われ、僕は表彰台の中央に立ち、金メダルを授与された。会場からは大きな歓声と拍手が巻き起こり、一斉にカメラのフラッシュが焚かれる。
「5000mの優勝者、甲斐田天馬選手です! そして、この大会で驚異的な世界新記録を樹立しました!」
司会の女性アナウンサーがそう叫ぶと、観客たちはさらに沸き立った。メダル授与の後、僕はインタビュースペースへと通される。インタビューを担当するのは先ほどの司会者で、20代後半ほどの清楚な美人だった。
「甲斐田選手、本日は本当に素晴らしい走りでした! 正直、男性が女性を上回るなんて未だに信じられないのですが、世界記録を更新した今のお気持ちは?」
「……まずは、僕の参加を認めてくださった大会主催者の方々、そして運営・警備に関わった皆様に感謝します。本当にありがとうございました。そして、僕をサポートしてくれた皆様、支えてくれた妻たちに感謝を伝えたいです。記録更新については……正直、とても嬉しいです!」
僕は笑顔を交えながら感謝の気持ちと率直な思いを述べる。記録更新のタイムは自己ベストには程遠いものだったが、北川さんとの打ち合わせ通り、喜びを前面に出すことにした。
「……あっ……ありがとうございます。その感謝の言葉は、とても励みになります! それで……この記録を持って、今後の大会に向けた挑戦は考えていますか?」
司会者は期待を込めた表情で尋ねる。
「それは……これから考えるつもりです」
僕がそう答えると、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「また……あの刺激的な……もとい、とても素敵なユニフォーム姿で、素晴らしい走りを見せてくれたら嬉しいです! 次の大会への出場を楽しみにしています!」
そして、司会者は意外な質問を投げかけて来た。
「最後の質問になります……甲斐田選手の、好みのタイプの女性はどんな方なのでしょう?」
「はぁ~~???」
思わず呆けた声を出してしまう。
「とても重要なことなので、お答えいただけないでしょうか?」
司会者がぐいっと詰め寄ってくる。仕方なく、僕は正直に答えた。
「そっ、それは……妻たちですね!」
観客席にいる妻たちは俯いている。
「なるほど~そうですか~! 旦那様方が羨ましいですね! ……お疲れ様でした! 改めて、本当におめでとうございます! 皆さん、甲斐田選手に盛大な拍手をお願い致します!」
拍手が響く中、インタビューは終了した。僕は静かに息を吐き、空を見上げる。
――妻たちと北川さんを交えて、『ウェヌス・プラチナ・グランプリ2018』への出場を検討するとしよう。
~~~~
ヨッシーと零士さんは、表彰式後に葉月さん宅(奈月・美月の実家)へ向かい、二次会をするそうだ。僕も誘われたが、次の大会出場について妻たちと北川さんと話し合う必要があるため、丁重に断った。
二人は残念そうだったが、後日、祝勝会を兼ねてヨッシー宅でバーベキューをすることになった。ありがたいし、楽しみだ。
帰宅したのは夜になった。家族全員と北川さんがリビングに集まり、テーブルの上には紅茶と夕食が並べられている。落ち着いた雰囲気の中で話し合いが始まった。
以前、妻たちと北川さんには、オリンピックを目指したい旨を話しており、サポートは快諾されている。
但し、そのステップとしての大会へ出場するにあたり、警護上のこととかあるので、そこのところを相談した次第である。
稀人たる僕が勝手な行動を取る訳にはいかない。
奈月が僕を見つめながら切り出す。
「で、出場するんでしょ?」
その隣で朱里が神妙な面持ちで頷いた後、不安げな表情を見せる。
「正直、私はダーリンが出場するのは当然のことだと思うけど……警備のことが少し心配」
腕を組み考え込んでいた愛理も口を開く。
「確かにね。今回の大会は大きな注目を浴びるわ。男性選手が女性の記録を上回っただけでなく、世界記録を更新したんですもの。それに……男性の出場は前例がないし、世間の反応も読めない。でも……裏を返せば、これが天馬さんにとって大きなチャンスになる可能性もあるわ!」
そして美月が興味深そうに愛理に続く。
「出場すれば、男性のスポーツ参加に対する意識改革のきっかけになるかもしれない……。只、ウェヌスの警備体制はどうなのかしら?」
クリスは目を輝かせ、確信に満ちた表情で言い放つ。
「私たちがサポートするし、 警備は陸連がしっかり対策するはず!」
すると……それまで黙っていた北川さんが、ようやく口を開いた。
「天馬さんの警護に関しては、ご心配無用です。今回の大会で大いに注目されるのですから、警護の増員はされるでしょう。私としては、天馬さんにぜひ出場してほしいです」
「出場しても問題ないですか?」
僕は不安な表情で北川さんに尋ねる。すると北川さんは一瞬固まり、なぜか頬を赤らめながら答えた。
「(かっ可愛い……!)もっ!……問題ないです。むしろ、出場して名を世界に轟かせてください! 著名人となられることで、拉致や誘拐のリスクを回避することにもつながりますから!」
「リスクの回避? とは……どういうことですか?」
怪訝な表情で尋ねると、北川さんは説明した。
「著名人ともなれば、常に周囲の女性たちから注目されます。仮に拉致や誘拐をされたとしても、世界中の何十億もの女性がネットなどを通じて一斉に情報収集と捜索をするので、すぐに発見され、犯人も特定されるのです! 逆に言えば、有名な男性を誘拐するのは、リスクが高すぎるのです」
なるほど~。目立たずひっそりと生活するよりも、逆に有名になることで、自らの安全を確保するという手段もあるのか! そういえば、ヨッシーは有名だしな。北川さんの説明は、とても説得力がある。
すると、愛理がビジネスウーマンとしての視点で口を開いた。
「護衛に関しては心配なさそうね。ならば、むしろ天馬さんが出場を辞退する方が波紋を呼ぶかもしれないわ。これからスポンサーも増えるし、メディアも絡んでくるだろうし……」
美月もそれに続く。
「確かに“美男過ぎるアスリート”なんてメディアは持ち上げるかも? CMや取材の依頼は殺到するでしょうね」
奈月がゆっくりとお茶を飲みながら、ふと僕の目を見つめた。
「……出場でいいのかな?」
妻たちの視線が一斉に僕に向けられる。僕はひと息つき、率直な気持ちを言葉にした。
「出場する!」
その言葉に、皆が微笑んだ。
「じゃあ、決まりね」
奈月が柔らかく微笑みながら言った。
「私も、全力でサポート致します」
北川さんも笑顔を交えて言う。
こうして、「ウェヌス・プラチナグランプリ・2018」への出場が正式に決まった。
早速北川さんが増子さんに連絡を取り、僅か数分でエントリーを済ませた。相変わらずの素早い対応には脱帽である。
その後は、北川さんと妻たちが細やかながら、僕の世界記録更新のお祝いをしてくれたのである。
明日、皆は仕事であるため、とても短い時間ではあったが、とても嬉しかった。
この女性中心の世界線にて第一歩を踏み出した僕は、次なるステージへと進むのである。




