12. 普通の花は人を喰われない
天高く貫く不気味な塔。
そこは坩堝学園では《時計台の物置》と呼ばれ《墓場》と呼ぶほどの不気味な場所だ。
背後に鬱蒼とした極彩色の森を抱える時計台。
全長は軽く見積もって600メートルは超える。
内部の螺旋階段は登るだけで二時間はかかるだろう。
そんな時計台の入り口に何故か巨大なラフレシアのような花が鎮座していた。
ピンクと黄色の斑点が毒々しく蛍光色の光を放っていた。
現し世のラフレシアではないのはわかった。
何故なら臭くないからだ。
甘く爽やかな薫に釣られてりんはその花に近づいた。
「こんな花………あったかな?」
近づけたのは匂いに危険を感じなかったからだ。
そろりと近づきつついた瞬間その花にパクリとりんは食べられた。大きな花弁みたいなぷっくりした感触がりんを頭から包み込み飲み込んだ。
ゴキュンーーー。
悲鳴をあげる暇もなかった。
悲鳴を上げる間もなく身体がふわりと重力に逆らった感覚があった。
ペッ………。
花に吐き出された先。
そこは塔の上の最上階だった。
唖然としたりんを出迎えたのは同じく転移したであろうげんなりした岸とニコニコの四郎先輩だった。
あのラフレシアもどきは四郎先輩の《移動魔術》なしの塔最上階への移動だった。
確かに画期的だ。
心臓に悪い以外は。
巨大なラフレシアもどきの花は四郎先輩が創ったらしい。
「いらっしゃい。遅かったね?無事かい?」
「ラフレシアみたいな花に食べられた以外は………」
肉感的なエアバッグに体全体を包まれての移動は不本意ながら快適だった。
説明のない不意打ちと見た目のグロテスクさがなければ褒めるべきことだ。
だけど、りんは苦笑いしかできなかった。
無事かと聞かれたら否定したくなった。
心臓は大分危険を察知したのだから。
「花は虫と妖精しか食べないよ。それは危険じゃない」
センスのよいお出迎えだろ?と微笑む四郎先輩は心なしか自慢げだ。
そこをツッコむ非道さはりんは持ち合わせてはいなかった。
花の出迎え。
確かにロマンチックかもしれない。
「現し世の花は………普通に妖精も食べませんね?」
「あ。それは珍しいね」
現し世の普通が珍しい。
幽玄異郷らしい会話にクスリとりんは笑った。
「せんせいに教えを乞いに行っただけで、安否確認ですか?心配性ですね?」
「教諭によるよ〜」
四郎先輩はお茶を用意しだした。
すでに煎餅を食べていた岸が「よ!」と、手を挙げている。
「坩堝学園の優秀な教諭陣なのにですか?」
りんはいそいそと岸の隣に腰かけた。
相変わらずお尻を包みこんでくれる快適なソファだ。ふわふわなのにりんが座っても岸が沈まない。
「坩堝学園だからこそだよ。魅力的だろ?彼等は。
で………。どの教科?僕でも教えられたのにーーー」
湯気だった湯呑みをりんの目の前に出しながら四郎先輩のまゆは下がっていた。
「空隙せんせいです。倫理学ですもの」
りんが口にした瞬間。
ニメートル近い白い白衣の巨体が崩れ落ちた。
お盆が一緒に床に落ちたのを岸がすばやく回収した。
せっかく綺麗に結われた銀髪が逆立ち汗が滝のように流れている。
眼鏡をせわしなく直しながら呟きが文字のように連なって見えた。
「な………なんて無謀な………。やっぱり危険を察知した僕の勘は正しかったんだ。ヴォルグくんに様子を見に行かせて良かった………そうでなかったどうなっていたんだ?あんな色気と倫理観カンストした御仁と女の子が放課後に遭遇させるなんて最早事故だ。りんさんはなんで数いる教諭方の中から一番を選ぶ………?これじゃ学園の中ですら心臓がもたない………」
ブツブツ呟く言葉はりんには聞こえなかった。
「こいつ。そういう行動力凄まじいから慣れたほうがいいっすよ」
「聞いてはいたけど目の当たりにすると………」
そこにすかさず岸が慰めるように四郎先輩の肩を叩いた。
大げさだ。
しかもりんが悪いかのように。
「それにしたって………空隙教諭………」
りんは白い肌をますます青くして項垂れる銀髪のつむじが少し後頭部に位置しているのをじっと観察した。
りんが部室に入室すると部員は二人だけだった。
四郎先輩は項垂れ岸が慰めている。
珍しく入室した瞬間から彼の匂いが揺れていたのだ。
それは動揺とも焦りとも取れる揺れだった。
りんが顔を出したらその揺れが止まったのだ。
なら。
明らかに原因はりんなのだろう。
ならりんが無事なことを知れば収まるはずだった。
それなのに。
『神話倫理法律学』の解釈を教授してもらったと伝えたのにますます彼は項垂れてしまった。
過保護な先輩である。
しっかりサークル活動を遅刻する旨も行き先も伝えたのにこれだ。
淡い西日が彼の銀髪を茜色に染め始めている。
高い塔の上から降り注ぐ太陽光は神々しい。
地上より太陽が近く感じるのは気のせいだけど空気が澄んでいるのか光も澄んで見えるのだ。
彼の空気だけが重く沈んで見えた。
「大丈夫ですよ。空隙教諭は紳士的でしたよ?」
「そりゃ………生徒には横暴しないとは信じているよ………。
だけど信じることと心から信用することは別なんだ」
頭では分かっているけど気持ちが追いつかない。
そんな口調だった。
「空隙せんせいと何かありました?」
「色々あり過ぎて………」
「ああ………」
この学園に空隙教諭と何もない人を探す方が難しいのかもしれない。
神出鬼没の風来坊。
そんなお方だからだ。
四郎先輩が人差し指をこねこねしながらりんを見下ろした。
瞳がまん丸で肌が白く挙動が可愛い。
巨体だから威圧感があるはずなのに可愛いことが不思議だ。
「ね?………僕も資格者なんだ。教諭同等なのに。頼りない?なんで………」
きょとり。
りんは首を傾げた。
論外だったから。
「嫌ですよ。四郎先輩に教えを乞うのは」
「え………」
「おいおい」
ピシリ。
四郎先輩の眼鏡がひび割れた音がした。
岸ですらりんを恐ろしいものを見るような目つきでいる。
空気が完全に凍った。
チっクタク。チクタク。チクタクチック。
柱時計時計の音が癖がつよいことにりんは初めて気付いた。
ーーーあ。間違えた。
りんは慌てて手を振った。
岸の目線も痛い。誤解だ。
「ごめんなさい。違います。誤解です。
頼りないとか。信用とかとは違うんです。
ほかの科目なら兎も角。
下世話な下ネタだらけの神話を四郎先輩と?
どんな顔して討論しろと?
岸や澪ちゃん、お母様にすら聞けないのに?真神教諭にも恥ずかしいです。
申し訳ないけど、空隙教諭へは『なんとも感じない』から頼りました。醜態晒そうが笑われようがあの方なら私なんとも思わないんですよね。
四郎先輩に幻滅されたり引かれたりしたら私泣いちゃいますよ?だから嫌です」
また空気が固まった。
岸が天を仰ぎだした。何故。
四郎先輩はというと頭から湯気がたった。
こんな恥ずかしがり屋の先輩に下世話な下ネタ?それは鬼畜の所業である。
純粋な翡翠色の瞳を陰らせないためには必要だった。
そこは信頼とか頼りがいとかの次元ではない。
りんは大きな可愛い梟先輩を守りたかったのかもしれない。
言わない。
先輩のプライドに関わるだろうから。
身体が大きな先輩を可愛いと思うりんが変なのは自覚している。
「でも………頼ってほし………あの………その………」
「四郎先輩。正しいことにはスパルタな方ですよね?
私の倫理観が現し世でも危ういんです。岸にもよく怒られますよ?貴方に正しさを提示できる気がしない。
たぶん幻滅なさると思います。
私、結構ポンコツですよ?倫理観が。
私、四郎先輩に厳しくされたら泣く自信があるんですよ。
甘えるな!!って真神せんせいに言われても大丈夫なのに。四郎先輩には幻滅されたくないんです」
「おい。オーバーキルだ」
岸の呟きに気を取られ振り向いた。
空隙教諭と真神教諭を下げ過ぎただろうか。反省。
確かに人と比較されて褒められて嬉しい人間はいない。
教諭としての頼りがいを比較したかったのだけど、失敗した。
どうも駄目だ。
四郎先輩にやっぱり正解を導き出せない。
「そ………それは………その意味は………」
「四郎先輩?耳が赤い………」
「うわわわわっ………見ないでっ………」
「なんだ。この空気。俺は何を見せられてるんだ」
岸はお茶を飲みながら改めて煎餅を貪りだした。
ボリボリ音を鳴らしながら頬が膨らんでリスのようだ。
「てか。現し世人類仲間の俺を連れて行けよ。
ここの倫理観わけわかんないの。俺もなんだけど?」
りんはキョトリとした。
「食欲なくすよ?」
「どんなえげつない下ネタかまされたら、食欲失せるの?!」
岸がわなないだ。
「岸君。神話は下ネタばかりじゃない。
臓物を食卓にぶちまけたような腐肉を屠る話もあるんだよ。
………………君にはまだ早いと思う」
「まじか………」
四郎先輩も同調したからかぶるりと震える岸を見てりんはホッとした。
やっぱり岸が普通なんだ。
神話に感情移入しないりんの感覚で安易に岸を誘わなかった判断は正しかった。
「普通って難しいなあ………」
「大丈夫だよ。りんさん。
この幽玄異郷は《普通》と懸け離れてるんだから。
個性こそ力。変は理を曲げる力。
君の《普通》は君だけのものだよ」
四郎先輩もお茶を一口口につけたら落ち着いたのかやっといつもの彼に戻った。
「私。普通になりたいんですよね?」
「君は普通に優しいいい子だよ?」
「それは褒めてないんですよね〜?いい子やめたんです。私」
「ふふふ。普通に悪い子だね?」
「あ。お世辞」
クスクス笑いながらりんは四郎先輩を見上げた。
不思議だ。
四郎先輩の言葉は何故すとんと落ちるのだろうか。
りんが自覚しない言葉をくれるのだ。
腑に落ちるを真に分かるようになったのは四郎先輩と話すようになってからだ。
りんよりもりんを理解しているのが四郎先輩なのかもしれない。
「四郎先輩。貴方が教祖様になったら私信者に立候補します」
ピシリ。
今日は何回四郎先輩は固まるのか。
今度はわなわなと震え出した。
「なる気はないよ?!なんで狂信的な思想の押し売りをする大罪人に推薦するの?!
君。………もしかして《悪い男》好きなの?」
「好き………?好きなのは可愛らしいものですよ?」
「ショタ思考なの?!君の性癖は尊重するけどショタは僕には………」
「性癖………?
ドキドキするかですか?
でしたら寧ろ老紳士の悟りを開いた瞳や湿布に似た薬草の匂いを放つダンディーな薫が好きですしトキメキますね。
年齢を重ねた憂いと深みが薫に年輪のようにーーー」
「枯れ専は確定なのかッ………………難しいぞ………」
「話が噛み合わないのに話が尽きないって恐ろしいな」
岸の煎餅を貪る音が四郎先輩とりんの討論に打ち消されていった。
「りんが口数が多くなるって。
もう大分素を見せてるんだよな………。四郎先輩すごいな」
岸は四郎先輩の能力を知らない。
彼は心理のスペシャリストだ。
嘘も繕いも隠せない。
触れば他者の思考を読めてしまう能力持ちがりんと岸に触らない。
その《異常なほどの優しさ》こそ四郎先輩だ。
「四郎先輩って優しいですよね」
「狂信的な思想の持ち主って言ったのに?」
「もしもの話ですよ。もしも」
「僕が宗教家はないよ………………」
「いや確かに。あのラフレシアを《優しい乗り物》と思える倫理観は狂信寄りかもな」
「花は《愛の象徴》だよ?!」
翡翠色の目をまん丸にして四郎先輩が叫ぶ。
岸にからかわれている。珍しい光景だ。
岸がからかう。
それは大分岸が四郎先輩に懐いている証拠だ。
岸はからかわれることはあってもからかうのはレアだ。
やはり岸にも優しい人はわかるのだろう。
「花のチョイスのセンスっすかね。敗因は」
「かすみ草なんかにしたほうが痛々しいんだよ?!」
「薔薇渡す星よりマシですよ」
「薔薇かあ………重いなあ。現し世ではプロポーズに使うよね?」
「俺に聞かんでください。プロポーズする年ではないんで」
「………愛の告白には年は関係ないよ?」
「現し世では関係あるんす。自立とか地位とか………」
「そんな事してると、かっさらわれるよ?」
「うぐ………」
ーーーかすみ草ってとげあったっけ。あと。薔薇ってそんなに質量重くないはずだけどな?
疑問はすぐには口にしない。
りんも少しは大人になった気がした。
あせあせと戸惑う四郎先輩の背後には蠢く魔植物が植えられた現し世テレビが積み重ねられている。
部屋中に吊るされた極彩色の旗には《夜露死苦》や《横浜最強》などの刺繍が煌めいている。
扇風機を頭につけた魔生物が教室の天井にぶつかっているし洗濯機からは煌めく糸が吐き出され掃除機はそれを吸い込みお尻から布が織られている。
そこは摩訶不思議と混沌と無駄が混在した部屋。
《現し世研究サークル》
現し世オタクの四郎先輩が創った同好会はいまや総勢部員五人の立派なサークルだ。
その部室内は現し世の道具が魔改造された《普通》じゃない空間だ。
確かに幽玄異郷の民から見てもここは《物置》だ。
でも。
りんにはここは《心の平和のための物置場所》なのだ。
「四郎先輩。魔術学教えてください」
「あ。俺は《数学》と《魔植物学》と………」
わかりやすく四郎先輩の背後にお花が咲いた。
ニコニコした瞳は細まり黒革の手袋が口元でワキワキと動く。
戸惑いと喜びの匂いがした。
「わわわ。急に頼られた。嬉しいよ!はい喜んで!!」
ーーー守りたい。この笑顔。
「普通って大事だよね」
「普通をここで求めるのも酷だろうけどな」
りんと岸がほっこりする中、四郎先輩の嬉しそうな悲鳴が響いた。




