13. 魔術薬学
その教室は湿布の匂いに満ちていた。
ぶくぶくと泡立つ大釜にガラス戸棚には極彩色の標本。薬瓶。坩堝学園にしては普通の理科室といった教室だ。
教諭の個性が発揮された部屋や城が多い中でそこは珍しい所だった。
その疑問はすぐに晴れた。先輩方が面白おかしく脅すからだ。「君等ひよっこにトラウマを植え付けないように、お優しい教諭が表の薬棚には刺激の優しい材料や標本を置かれている」と。
それを知ったら裏も知りたくなってしまうのが人間の性だと思う。備品整理の手伝いがてら見せてもらえるだろうか。
りんは真剣に考えてしまった。
少し面白いのは養護室でもないのに点滴パックがあること。それは教諭の私物だと言うから益々面白い。
実験に没頭すると寝食を忘れるタイプなのだそうだ。
さらに面白いのは見慣れた現し世日本製の医療器具や実験道具があるのだ。
「現し世日本製の医療器具は至高の逸品ですよ。野戦で魔術切れを起こしてもエラーなく処置するにはやはり道具の性能がものを言いますからね。
メイドインジャパン。素晴らしいブランドです」
そう語るのはナイスミドルな男性教諭だ。
真っ白な頭髪は短く刈り込まれ鼻眼鏡をかけている。小さなちょび髭がトレードマークだ。
タキシードの上から黒い割烹着のような教諭服を纏っている。白衣よりも割烹着のほうが実験中の事故が防げるらしい。(教諭個人の体感だと助手は言う。因みに助手は白衣だ)
要するにこの教諭は割烹着がお気に入りなのだ。
薬草を煮詰める後ろ姿は料理をする『おかん』のようである。ぽってりした割烹着の裾が可愛らしい。
セブ・セルパン教諭。《魔術薬学》の教諭。
にこやかなおじいさん先生である。
教室が湿布臭いのは文字通り彼は腰痛持ちだからだ。
彼はおもむろに教台に置かれていたプランターからそれを引き抜いた。
まだ幼体のそれは引き抜かれた瞬間赤子のように泣き叫んだ。
耳にくるつんざく叫び声。
憐れみを誘う声色だった。
掘り返された新鮮な土の匂いが教室に立ち込めた。
顔は老婆のようにしわくちゃなのが不釣り合いな鳴き声だった。
「《嘆きのマンドレイク》
この哀れなる魔植物の効能を応えられるものはーーー」
珍しく手を挙げたのは岸だった。
現し世人類代表の摩訶不思議大好き少年だ。彼はりんに巻き込まれてこの世界に来た割にはりんよりも楽しんでいる節がある。
現し世での授業風景では彼のつむじをつついて起こした記憶しかないから挙手する姿はレアだった。
りんは思わずニッコリした。
それらをうれしそうにセルパン教諭は見やると彼もニッコリと笑った。
「ほう。Mr.岸。述べてみなさい」
「ごはんを美味しくします」
どッーーー。
教室が沸いた。
セルパン教諭も「ほっほっほっ」と笑う。
その後可愛らしくウィンクをした。
「ふむ。当たらず遠からずだ。
スパイスとしての効能もありますね。
君等が身近に体験した効能はそれでしょう。食堂でもおなじみですからね。
しかしそれだけではないのだよ」
バチリ。
手を挙げていないのにセルパン教諭とりんが目が合う。
りんは恥ずかしくて目を逸らしたのにセルパン教諭はさっきよりもニッコリと笑った。
「Miss、佐藤。君ならどう応えるかな」
「あわわッ………私?」
りんは反射で立ち上がってしまった後に後悔した。
身に染み付いた優等生は発言を促されたら反応してしまった。
今回はまったく発言するつもりはなかったのに。
挙手しようとしていたらしい琥珀の視線が射抜くように痛い。
「いかにも。Miss、佐藤。
君の瞳は『知っている』と美しく煌めいていたよ?」
可愛らしいウィンクを浴びてしまったらりんに拒否権などなかった。
「わわわッ………え………と」
へんな声が漏れてしまうのを噛み締めながらもりんは咳をして言葉を紡いだ。
「効能は無限大………です。
嘆きのマンドレイク。
現し世の西洋からの外来種は御伽噺の中のマンドレイクとは一線を画します。
嘆きの《質》で効能が変化するためです。
嘆きは引き抜いた《功労者》の望みに付随します。
美味しい料理を目の前にすれば《スパイス》に。
憎き相手を思い浮かべれば《毒薬》に。
………セルパン教諭のように腰が痛ければ《腰痛の薬》になります」
どッ………。
教室が沸いた。
セルパン教諭も愉快そうに目を細めた。
「彼等は人の《心の嘆き》に反応するのです。
大人の嘆きのマンドレイクは希少です。
育ち切る前に幼体のうちに食べられるか人工飼育では育たないからです。
大人の嘆きのマンドレイクの悲鳴に野生下で遭遇することは悲劇です。
魔素を耳に纏わない場合1週間は昏倒………します………かな?
あ。
あと。
幼体のほうが美味しい………らしいです」
教室が静まり返った。
琥珀の舌打ちだけが響いた。「ち。食いしん坊目線の解釈も完璧かよ」とやさぐれた呟きも聞こえた気がした。
りんは苦笑いした。
セルパン教諭は顔の横で優雅に手を叩いた。
まるでオペラ鑑賞を終えた紳士のような微笑みだった。
「………素晴らしい。『何故』をしっかり探求しておりますね。日頃から知的探究心が旺盛なのだろうね。
ふむ………。これらは教科書にはない説明だ。図書館で調べましたか?努力家ですね
これは加点発言ですね」
「ありがとうございます!」
教室中に拍手が鳴り響いた。
岸と澪が手を高く上げてまで叩いてくれる。
りんは下を向いてあせあせした。
何故か岸と澪の視線が生温かい。
「キャラちがくね?急に恥ずかしがり屋か」
「頬が赤いですね?」
「う〜〜二人ともセルパンせんせいの賛辞に浸らせて〜〜」
りんは感嘆のため息をつきながら席につくとノートに書き殴った。
「セルパン教諭の繊細な指先は嘆きのマンドレイクをあやすように一撫でした。『鎮静』の魔術をかけるのだ。酩酊させるような果物を発酵させたような薫が漂った。魔植物を捌く瞬間の苦痛が薬剤の雑味になると語る口調は穏やかだがその榛色の瞳が同情と憂いを孕んでいる。皮を剥ぐ瞬間も無音で無駄がない。道具をよく手入れし切れ味を鈍らせないことは戦闘にも料理にも通じると語るその言葉の中にセルパン教諭の生き様を感じるーーー」
「オタクりん。趣味と勉学を混同してるわ」
「りん様は全ての教諭の授業を記すのですか?」
岸と澪が不思議げにりんの手元を覗き込む。
りんの筆は唸っていた。
速記の先、爆記と言ってもいいほどの覇気を放っていた。
「違うの。セルパンせんせいは癒しなの。
あとあの熟練の先のささくれた指先が紡ぐ芸術的な調合が………」
「おや。君は私の授業風景まで筆致を?
このまま職員会議の業務日記にしてしまいたいほどだよ」
セルパン教諭に覗き込まれるまで夢中で語り書き殴っていた。授業中なのに。
岸と澪が苦笑いしている。
りんだけが、彼が近づいていたことも気付かないまま。
「ひッ………」
りんはひきつる喉をおさえた。
隣の岸はニヤつき澪は憐れんでいた。
りんは慌ててノートを隠そうとしたのにそれをヒョイと取り上げられてしまった。
セルパン教諭は唸りながらノートをめくる。
公開羞恥プレイの幕開けだった。
「おお!!《鎮静》の魔術の『匂い』の記述まで。
流石は花火士ですね?
釜の中の神秘もガラス瓶に詰め込む時には変容する。
素材の新鮮度は魔術では測れないこともある。
惜しい………。実に惜しい。
君がその嗅覚と叡智と好奇心を発揮するのは我が《魔術薬学》であったはずです。勧誘の機会を失い涙を飲んで乞い願うしかない…………。
この哀れなる年寄りの個人レッスンに興味はないかね?」
胸に手を置きセルパン教諭はにこやかにりんに手を差し出した。
それに恥じらんでパニックを起こしていたりんは思わず手を添えそうになった。
ガラリ。
奥の扉が開いた音で教室の動きは止まった。
「セルパン教諭〜〜。うちの後輩口説かないでください。
教諭倫理協定違反ですよ〜〜〜」
セルパン教諭の教室の奥の扉は準備室だ。
そこから大きな鉢植えを両手に担ぎ上げて現れたのは白衣の大柄な白い影だった。背後からのっそりと現れるとテキパキと生徒達に鉢植えを配った。
ひょろりとしているのにどこにそんな力があるのかびっくりしてしまうほど大量の鉢植えを抱えていた。
人参のような葉っぱがピクピク震えている。
マンドレイクの幼体苗らしい。
その姿を見やってセルパン教諭はためいきをついた。
「すまんすまん。つい。
彼女は君のサークルだったね。
でもね御嶽くん!彼女は君に匹敵する逸材だ。
君の勧誘を逃したあの四年前の悲劇の再現ですよ。
私が嘆いて嘆いて数多の毒薬になる体質ならこの坩堝学園はすでに二度は滅んでいるさ!!」
御嶽くんと呼ばれたのは我等が現し世人類研究サークルの部長、四郎先輩だ。
永久資格者として教諭同等の権限があるのは聞いていたけど実際に授業で会うと実感する。
彼は助手と呼ぶには足りないほど色んな授業で働いていた。
過労死を心配するレベルの遭遇率だった。
そんな四郎先輩に語りながらセルパン教諭は割烹着を脱ぎ捨てる。
まるで不要だと言わんばかりに。
ーーーあ。脱いじゃうんだ。
とりん達が思っている間にもセルパン教諭はブツブツ呟きながらマンドレイクの苗を引き抜き刻み鍋で煮るを繰り返しだした。顔はにこやかなのに目がイッている。割烹着の意味とは。実験には必要ないみたいだ。
「はいはい。
新入生。セルパン教諭はご乱心だ。
………続行は無理そうだな。
その配った嘆きのマンドレイクは持ち帰って調理してみて。
ページ564の調合方法の種類分けとその理由を和紙はがき一枚分に書くことが宿題だよ。味の感想もね」
どッ……。
教室が沸いた。
たぶん今日一番の盛り上がりだった。
生徒達は狂喜乱舞した。
猿田は琥珀を胴上げするしナタージャは踊りだした。
「半紙より小さい単位だ!!」
「条幅覚悟したけど四郎教諭優しいッ………」
坩堝学園での宿題は大体和紙の大きさで決まる。
和紙は大体一巻10メートルから20メートルある。
蛇腹にして製本風にしたり巻き取り式にしたりは様々だ。
日本人なら「半紙」「条幅」は夏休みの宿題ではお馴染みな大きさだ。
それよりも小さなはがきサイズの宿題。
厳しい教諭など和紙一巻のレポートはザラだった。
なんせ魔術の基礎は「正確に速く記す」ことは重要らしいのだ。
段々と高度な魔術には頭での演算や構造は暗記暗唱になっていく。
ただ基本は「紙に記す」ことは一番魔素量を必要としない方法なのだとか。
だからとにかく筆記が多い。
そんな宿題が当たり前の中それは確かに優しかった。
そんな沸き立つ生徒を見回しながら四郎先輩はうっそりと笑った。
「あ。呪文を小さく正確に記す訓練にもするから、はがきサイズに2万字だよ。
裏は使わないで。表だけでね?」
空気は固まった。
ーーーあ。四郎先輩。
笑いながらスパルタ出来る人だった。
りんはやっぱり四郎先輩の解釈が間違っていないことを痛感した。
「「「終わった………」」」
「米に文字を書く練習するのがコツだよ〜〜」
「「「最早職人芸!!」」」
ふとりんは鼻をこすった。
焦げた酸っぱい匂い。
それは薬草を煮詰めたと呼ぶにはあまりに鼻がピリピリと痛む薫だった。
「あ。すまない。皆防御姿勢とって」
珍しく焦ったセルパン教諭の声を聞き取れた生徒は何人いただろうか。
りんも声より鼻を頼りに動いたから一番早かったかもしれない。
セルパン教諭の混ぜていた鍋からおどろおどろしいまでの紫色とも漆黒とも極彩色とも呼べる光がパチパチと爆ぜて音が大きくなっていく。
その音でやっと気付いた生徒達は真っ青になった。
りんは反射的に隣にいた岸と澪の首根っこを掴み机の下に隠れた。
横目で猿田が悲鳴を上げるアンテと琥珀を教室外に窓から投げ、星がナタージャと咲にマントを被せてからりんのほうに身体を翻したのは見えた。
ボボボ………ボンーーー。
皆が騒がしくする中ボコボコ光が爆ぜて爆音が響いた。
視界を遮る湯気と熱気が深緑の薫に包まれた。
キーーーーン。
爆音と湯気と爆風が限界突破したのか辺りは耳が痛くなるほどの無音だった。
まるで音すら吸い込まれたかのように空気が澄んでいた。
「ブラボー………。御嶽くん」
セルパン教諭の呟きで目を開けた。
りんに覆いかぶさる岸と澪、星の背後に悠然とそびえる白い背中が見えた。
彼の黒い手袋が破けて白衣もボロボロだ。
教室内も瓦礫の山。
なのに不自然なほど生徒とセルパン教諭だけが無傷だった。
ブォーーーンと唸った空気が美しい翡翠色の透明な蔦となってりん達を覆っていた。
「ッ………。みんな無事?」
四郎先輩が振り向いた。
眼鏡が吹っ飛びマスクも溶けたらしい。
いつもの血の気がない真っ白な肌が煤けて浅黒い。
そのまん丸の翡翠色の瞳がなんてことないような色をしていた。
現に彼は指先を軽く鳴らして翡翠色の閃光が爆ぜたのを瞬きした瞬間には元通りの姿になっていた。
汚れ一つない白衣に割れたはずの眼鏡をかけ直し、純白のマスクを抑えるように口を隠す。
ぼそぼそとセルパン教諭に言っている言葉は聞こえないのにセルパン教諭の表情から諌めているのがわかる。
セルパン教諭が生徒のようにシュん………としている。
どっちの教室だかわからない。
「かっこいい………」
岸が呟いた声がりんの耳に届かなかった。
バクバクと心臓の音がして耳が熱くて痛い。
鼻につくその薫と四郎先輩の姿がチグハグでりんは混乱した。
「すげ!!防御魔術初めて見た!!」
「広範囲防御魔術だろ?!流石永久資格者!」
「御嶽先輩って魔術のスペシャリストだろ?なんで魔術研究サークルにいないんだ?」
「セルパンせんせい!!
爆発する時はもっと速く言ってくださいよ!」
生徒達の歓声が止まない。
「りんさん?無事?
「あ………ありがと。大丈夫………」
りんを立ち上がらせる星の心配そうな顔に笑いかけながら教室内の熱狂をりんは見つめていた。
熱狂とざわめきがチャイムの音と共に静まり返った。
皆が教室から退室するのを眺めながらりんはしばらく動けなくなってしまった。
「りん?どした?」
「りん様?」
岸と澪が心配そうにりんを覗き込むのをりんはヘラリと笑い応えた。
「ん。私は大丈夫………大丈夫………なんだけどさ」
りんの言葉が尻窄みするのを岸も澪も不思議そうにみつめていた。
「ん………?なんだろ。もやもやする。
セルパン教諭のとこ行ってくる!!」
「おう?」
「手助けすることはありますか?」
岸も澪も理由を聞かない。
そんな所が優しい友達だ。
聞かれても今はりんも言葉に出来ないから。
「ん!私の問題だから!まずは私が動いてみる!」
りんは後片付けに忙しいセルパン教諭のほうへ駆け出した。




