11. 教諭倫理協定
空隙教諭は足早に退室した佐藤 りんを見送ると指を鳴らした。その指先からは灰色の閃光が爆ぜた。
途端に部屋が教室が様変わりした。
時間を巻き戻すように吸い込まれるように空隙教諭の指先に調度品が内装の色が抜けていき。
すっかり個性のない談話室となった教室を見渡した後、空隙教諭はくるりと真神のほうに振り向いた。
不敵な笑みは変わらぬまま。
真神の呆れた顔を一瞥したらしいがますますその笑みは深まった。
「嫌だなあ………。
教諭間で結んだ協定は違反してないよ?」
ーーー自覚はあるのか。
真神が文句を述べる前に確信を話した。
話したと言うことは《違反事項》の侵害の恐れを承知の上だったと言うことだ。
たちが悪い。
「《現し世人類少女、佐藤 りん》の独占をしない。
勧誘しない。アポイントは母親の学園長を通す。
でもさ。
『あっちから教えを乞われても秘匿』とは決めなかったよね?
あの子は勝ち取ったんだよ?知ることは権利だ。
権利は行動しないものには与えられない。
寧ろ褒めてあげてよ」
「無防備と無謀を?貴方に接触するのは………」
ーーー愚策。
佐藤 りん本人に諭しても最早取り返しが付かないのにその言葉を紡ぐ意味はない。
代わりに眼鏡を外し拭きながらひょうひょうとしたその男を見つめた。
こめかみが痛い。
「嫌だなあ………。
君。そんな目で見ないでよ。
それは職務として必要だったか?
勿論教諭として接したさ。
確かに思わず反射で口説いて持ち帰りたくなった衝動は抱いたさ。
あのね。僕。女には困っていないんだよ?
口説き方も連れ帰り方も心得ているんだ。
そんな僕が扉も開けて色気のない肉料理を並べて………。
色気のない下世話な神話と倫理と政治の話をひたすら話したんだよ?
………梟ちゃんが察知したかな?
神格堕ちてないんだからセーフだよ?
意外と神もあの子の精神成熟度で子供と定義してない可能性が………」
「屁理屈は止していただきたい」
梟ちゃん。
空隙教諭が揶揄する相手は自ら動けないことに歯噛みしながら真神に託したのだ。
不貞腐れた顔をしながら。
その苦悩すら見えるようなのだろう。
空隙教諭の笑みは更に深まる。
「君だって同じ《花火士》だ。
彼女が視ている《善意に塗れた過保護》を打ち破りたい欲求は君が一番理解できるだろ。
君や御嶽先生も通った道だよ?」
痛い所を突かれた。
しかも学生時代に散々小言を言われた本人からだ。
「そこに足元を取られたから我等は………」
「《子供の時間》を失った?
失って気付いたから?
それはそれは過保護だ。
失うことすら権利なんだよ?
僕も君等の冒険を見守ったじゃないか。
可愛い子こそ旅させろだよ」
「我等は………男で。佐藤 りんは………」
ふは!
嫌味なほど美しい白い歯を見せながら空隙教諭は笑った。
「女だから《蝶よ花よ》を甘受しろと?
女なのだから大人しくしていろと?
知らないままの無垢さを強要するの?
素直さが知識でこずるくなることを危ぐ?
それは佐藤さんを逆に侮辱してないかな?」
「………………」
「それは《教諭》としての過保護かな?
それとも………」
「………………………………………………」
「ね。眉間のシワ少し、なくなった?」
「………………………………………………………………………………」
「ねね?それ嫉妬?
教諭として?男として?
なんで自分を頼らないかって怒り?それとも悲しみかな?
ねね?どんな気分なの?僕に教えてよ」
真神は。
取り繕うのを辞めた。
「貴方ッ………。
何十回元生徒と結婚して別れたを繰り返してるんですか?!節操なしの自覚はお有りじゃないと!!
これがッ………在学中からプラトニックを貫いて卒業二年目あたりからペロリと頂く手法だから倫理委員会には掛からないし何故か皆が円満離婚だし不可解な恋愛遍歴お持ちの貴方を解雇しない学園長も………。
常軌を逸していらっしゃる!!
我等が警戒するのは最早貴方の《過去の行い》に下内された感情です!!
根拠は我等の嫌悪感で十分事足ります!!」
「わお。
君が業務連絡以外で僕に20文字以上話すの初めてかも。
いやあ〜〜。りんさんいい仕事するよなあ〜〜」
「くそッ………………い」
「《いふかいなし》?
たわいない。こどもっぽい………くだらない………だっけ。意味。
いやあ………。君等のその余裕のなさを拝めているこの状況がエキサイティングだよ?
佐藤 りんは《中心点》だ。
宇宙で言う所の《太陽》だし、円環の始まりの点だよ。
小さく脆弱そうなのに始まりは動かないんだ。
周りが動かされ廻る。
いやあ………あの子の存在が神話倫理法律学の核だね」
「私には貴方こそ混沌の核ですよ」
「上手い!!座布団いる?現し世ではね〜『座布団一枚!』って褒める慣習があって客人に座布団をプレゼントしてそれが10枚溜まるとよいことがーー」
「長居する気はありません」
「も………せっかち」
空隙教諭が呟いた瞬間にはもう真神は踵を返した。
用は済んだ。
「あ〜あ。
僕に楯突くの。初めてじゃない?
君こそ学生時代から《いいこ》だったじゃないか。
年功序列。弱肉強食。そこへの敬意は忘れない。
黙るこそ美徳。
そこ覆すのが《恋》なんだよなあ………。
ほんと。
これだから《倫理学》はやめられないよ」
背後で弾む空隙教諭の声を真神は耳にしながらも無視した。
白檀の薫が《侮蔑》や《嘲り》よりも《安堵》なのが余計に鼻についた。
真神の到着を《待ち望んでいた》のだ。
真神の介入を望んでいた。
空隙教諭が一番。
佐藤 りんの危うさを理解しているのかもしれない。
それは理解していても尚止められなかったことを意味していた。
「ちッ………。食えぬお方だ」
真神の舌打ちに応えるように含み笑いが背後から聞こえた気がした。
「君の過保護はりんさんへかな。
それとも………」
実は空隙は教諭協定違反の狭間だった。
真神は指摘しなかったから論外だったもの。
それは。
《佐藤 りんに『危険』を察知させることは教育上必要な場合は申請が必要である。
申請なく《らん》を出現させた場合。
その一因となった教諭は《死刑》とする》
「ああ………。このスリル。
これだから坩堝はたまらないんだよ」
ぶるりと歓喜で震える身体を空隙は抱いた。
ぶわりと身体が霧になり消える。
興奮し高ぶると存在が薄くなるのだ。
興奮しないギリギリを維持しないと身体の肉感を感じることが出来ない。
肉欲は身体があってこそだ。
ここまでの興奮をかつてしただろうか。
空隙は記憶を反芻するようにうっとりと目を閉じた。
何回か滲み出したのだ。《覇気》を。
生徒にはぶつけない精神を探る空隙の気を纏った魔素を纏う霧だ。
いくら花火士でも《匂い》がないと察知しない。
その隙間を突いたのだ。
彼女の探知能力の精度を探った。
それは警告するように香ったのだ。
鈴蘭の薫。
その匂いと佐藤 りんの瞳の虹彩が漆黒の闇に煌めくのを見た。
「あれは確かに。《守護者》だ」
懐からファイルを取り出した。
《特異点観察日記》を記されたそれを空中に投げた。
それはバラバラと開きながら発光する。
『らん。
佐藤 りんが危険を察知しなくとも無意識下の《精神攻撃》を察知。魔素探知を取得。
炉度差3以下である。
彼女がもし自立したなら、炉度は推定6陸相当である。
尚出現には条件がある模様。
起因は佐藤 りんの感情の揺らぎと意識の有無の可能性』
「強い男は強い女に惹かれる。
幽玄異郷の民の本能としては真神くんは正しいだろうに」
ーーー抵抗しちゃって。まだまだ青いな。
空隙は欲に抗ったことはない。
繕うことを無くすことはちがう。
ないようにも見せられるけど自分は欺かない。
「らんさん。僕も欲しいなぁ〜。
らんさん攻略にはりんさんに好かれるようにしないとだなあ〜〜。難しそうだなあ〜」
しばらく退屈とは無縁そうだ。
空隙は誰も居ない廊下を歩きながら口笛を吹いた。




