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赤木の森の下影に  作者: 一人雅伸
赤木の森の下影に
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 <児童詩>

 <児童詩>


 教科書に児童詩が載っていました。

 その詩の授業を進めていくうちに、子供が詩を作ることになりました。

 子供らしい色々な作品が集まりました。


 その中で、学校から1km離れた田園の大呉谷から通学しているK君の作品が眼に留まりました。K君は元気で腕白な子です。


 原稿用紙を見て驚きました。左の端のほうに、原稿用紙の罫線も無視して、字の大きさもバランスも無頓着に、二行ほどの文章がごちゃごちゃと書いてあるのです。当人に訊きながら、半分くらい読めない文字を判読したところ、


『はるの おがわは さらさらいくよ

 めだかも およいでいるよ

 ぼくは いつかしぬけれど

 はるの おがわは しなないよ』


 教師として多くの子供に触れ合ってきましたが、この詩を読んで愕然としました。一人一人の子供の心を知り、理解する事は困難であり、大変なことなのだと思いました。この詩を何回か読み返し、自己流ですが、心に浮かんできたことがあります。


『毎日、学校と家を往復しているうちに、田んぼに水を引いたり流したりする用水路の水の流れに眼が留まります。彼には、季節ごとに咲く花や水面をスイスイ泳ぐメダカやアメンボが眼に入ったのでしょう。流れのほとりに咲く美しい春の花や、暑い夏や、紅葉の目立つ秋も、木枯らしの吹く冬も過ぎ、繰り返し年を経て行くと、童謡の「春の小川」でも口ずさみたくなったのかもしれない。そして、自然の営みに触れ、自分の存在を、子供なりの、本人なりの感性で感じ取り、育っていくのではないだろうか。』


と、K君の心の内を勝手に想像し解釈したのです。


 教師といえども子供の考えや気持ちを理解する事は、子供によっては案外難しいのです。そんな時は、教師のフィクションを加えることも必要なのではないかと考えてみました。


 K君の詩は、当時、教育界で叫ばれていた『児童理解』の異色の資料となりました。特に、子供は外見だけからは見ることのできない能力や才能、情緒と可能性を持っていることに気付かされました。教師は、触れ合う子供から、沢山の事を学んでもいるのです。


 子供は、学校という環境と、自然や家庭環境という全てのものから、日々色々なものを吸収しながら、感じながら、考えながら成長していくのです。成長していく子供を見たとき、その成長スピードと成長へのエネルギーに驚かされます。


 それからは、作文や児童詩は、子供の人格形成に欠かせない大切な教材と信じて、実践し、指導を心がけて行かなければ、と肝に銘じてきました。




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