<ターザン体操>
<ターザン体操>
体育の授業の始めは準備運動、終わりは整理体操を行うのが常識です。
準備運動には、普通はラジオ体操をやります。私も教員生活を送るにつれ、同じ事ばかりやっているのが辛くなってきたのかと思います。時々、ジャングルジムの下を潜らせたり、竹登りをさせたり、遊具の固定施設を活用して、子供達に運動をさせようと工夫した時もありました。
その頃の木尚小学校には、校庭の西側にジャングルジム(後のプール)、南の垣根沿いに、西から竹登り、固定平均台、高鉄棒と砂場、低鉄棒、南東角に野球のバックネット、東面に向かって、雲悌、ブランコと並んでいます。これを一回りすると結構な運動量になり、子供達にも移動しながら、競争し合いながらの運動が良い刺激になったようです。
時々、準備運動として使いますので、子供達が、
「先生、これ、何ていう体操?」
と訊いて来ます。
ちょっと、冷やかし気味の態度が見えたので、私もそれに乗って応対していましたが、私の思いつきですから名前などありません。今なら『サーキットトレーニング』とでも格好良く名前が付けられたかもしれませんが、その時はそんなハイカラな名前は思いつきもしません。
「これはねぇ、ターザン体操かな、いや、ジャングル体操だな。」
と言うと、
「ここにはジャングルなんて無いよ。ターザンも居ないよー。」
と憎たらしく言います。
「ジャングルはあるよ。」
「へぇー、どこ、どこに?」
「ジャングルジムがあるじゃないか。」
「あーっ、それじゃ、木登りする林が無いじゃない。」
「竹登りがあるだろう?」
流石に子供達も怪訝な顔をして二の句が告げませんでしたが、私は得意になって追い討ちを掛けます。
「ターザンが木から木へ飛び移るのは、雲悌だし、木の弦にぶら下がるのはブランコだよ。」
「学校の施設は、みんなジャングルから真似したんだ。そして、ターザンはお前達だよ。」
子供達は、納得したのかしないのか、その時はハッキリしませんでしたが、いつの間にか、この準備運動を『ターザン体操、ジャングル体操』と呼ぶようになりました。
子供自身がそう思いこむと不思議なもので、自分自身がターザンになった気分になって、想像の世界に浸りながら、固定施設を順番に巡りながら嬉々として準備運動をするのです。体育の時間が始まり、挨拶が済むと、皆がジャングルジムの方へ駆け足の姿勢を取り身構え、私の合図を待っているのです。子供の冒険心と挑戦心を感じ取れましたが、同時に『えらい事を教えてしまったなぁ。』とも感じていました。
教師であり、担任である以上、子供達に常にやる気を起こさせるような、元気でわくわくする様な雰囲気作りも必要であると考えます。とはいえ、その頃の私は、今までに無い『ガキ大将』になっていた感じがしないでも有りません。
まず、私の気分次第で、同じ遊具でも使い方が変わるのです。これは、子供達にとっては捨て置けない出来事です。先頭を走る私のやり方をシッカリ見ていないと、真似が出来ないのですから。子供の注意力を引き起こすのに大変役立ったと思いましたが、流石に毎回先頭を走るのも疲れます。
2・3ヶ月経った頃には、子供同士で話し合わせ、内容を決めさせ、変えさせたりもしました。子供に新しい興味関心を呼び起こすことと、自主性を育てる事や、年齢を配慮した指導だと自分で納得したものです。
そんな或る日、また新しい案を使おうと思い、私が先頭で走りました。ジャングルジムを潜った時に、最後の鉄棒に頭をぶつけてしまいました。一瞬痛みを感じましたが、そのまま続けて一周し、終わって整列を掛けた時です。子供の様子がおかしいのです。
「どうした?何を驚いているのだ?」
「先生、血が・・・。」
と、子供達が私の額を指差して言うのです。
手で触ってみると、真っ赤な血がべったりと指に付き、結構な出血であることが判りました。慌てて子供達を教室に入れ、読書の時間に切り替えてから保健室に行きました。
養護教諭が応急手当をしながら、
「先生、これは頭だから傷はたいしたことは無いけれど、とりあえず外科医院に行ってくださいね。校長先生には連絡しておきますから、急いでくださいね。」と言うのです。
慌てて自転車に乗り、病院に着くと、早速4・5針縫って治療は終わりです。その怪我が切っ掛けで、私も子供達も無理や無茶はしなくなりました。その頃私は「ガキ大将先生」を自認し、意気盛んな頃で、教師経験も積み、子供の気持ちも判りかけて来たし、話合いにも慣れてきていました。
また、木尚小学校の先生方も、子供を第一に考える姿勢や雰囲気、子供を見守る態度がみなぎっていましたから、私の怪我は、私自身にも、子供達にとっても良い戒めになりました。
この事件は、ジャングル体操に慣れてきて、私の準備運動指導の得意技の一つになりかかっていただけに、気の緩みもあったのかもしれません。まさに、若さと気力に溢れていた頃で、子供と触れ合うのが面白くて仕方がない時代でもあったと思います。
その頃の私は、まさに「ガキ大将先生」の真っ只中だったように思います。




