<水中の生物観察>
<水中の生物観察>
理科の時間です。
『次の理科の時間には、2時間かけて、水中の生物の野外観察をします。』
と言うだけで、子ども達はこちらの説明など聞かないで、喜んで騒いでいました。
どこまでわかったのかなと思っていると、長い柄のついた網やバケツ、長靴まで履いてくるのです。今の子どもは、積極的で実行力が発達しているのには、びっくりしました。
元気良く学校を出かけたのは良かったのですか、広い田んぼは全部耕地整理されていて、上水路や下水路が全部コンクリートで、整然と作られていて、昔のような、水辺の水草や水中の生き物は、ほとんどいませんでした。
一つだけ小川が流れていて、ホテイアオイなどが生えていましたが、泥深く、危険なので、コンクリートの小川を探すことになりました。この時ほど、事前調査を怠ったことを悔いた事はありませんでした。
所々に、僅かな水草や水中の生物がいたので、採集することが出来ました。
自然観察の大切さを新教育は強調しますが、なかなか、農村地帯でさえ、教科書どおりには行かない場面が多過ぎます。
しばらく、自由に観察をしているうちに、
『あっ、メダカだ、』
と、甲高い声がすると同時に、10人の子どもが、一斉に、そこへ集まりました。
長い柄のついた網を持って、
『どこ、どこ、』
といいながら、メダカを追いかけるのです。
メダカが数匹、白いコンクリートの底の上を『すいー、すいー、』と泳ぎ去るのです。それを長い柄のついた網で叩くのです。
私がいくら、
『掬うのだよ。』
と教えても、聞き入れません。夢中で叩いて歩くのです。
とうとうメダカに逃げられてしまいました。でも、彼らは僅かな水草と水中の生き物を捕らえて、満足して帰りました。
次の理科の時間に観察をしたり、写生をしたり、図鑑で名前を調べたりしました。でも、あの時の、めだかを叩いた時の子ども達のエネルギーのすごさは、今でも、脳裏に残っています。
その後まもなく、自然繁殖のメダカは、姿を消したという話を聞きました。そこで、あれが自然に生息した、最後のメダカだったと、感傷に耽っています。
その頃叫ばれた、実験、観察の理科の授業は格好良く響き、実践に努力しましたが、自然の教材は、なかなか、教科書どおりに行かないものが多く、何か良い方法はないかなと、思案することが多くなりました。自然の実験・観察の教材が、手軽に活用できないと、昔のように、教科書一辺倒になりやすいと感じました。
それにしても、戦後の新教育のさきがけとなった、理科の観察・実験・思考・推理・まとめ等の思考力を高める教育に憧れ、満足のいく指導がなかなかできませんでしたが、これが、戦後教育の基本となったと、懐かしく思い出しています。




