<屋上からの学習 その2>
<屋上からの学習 その2>
明治以前の江戸末期頃までは、船水川と大鳥を結ぶ渡し舟の船着場があったとかの噂を、夢か幻のように聴くだけでした。
校舎の屋上へ上がって、南の広い関東平野を直接眺めることができました。その南の奥に、青い山脈が続き、冬は、白い雪を被った富士山が見える日もあります。その田園の西端に東部鉄道や、工場の建物が見えます。時々東部鉄道の電車が走り、館木街道をトラックやバス・乗用車が小さく走り抜けていきます。
処が、突然、その南の土手際が、賑やかになってきたのです。トラックやタンプカーやブルトゥーザーが毎日走り出したのです。子ども達の目ざとい感覚が見逃す筈がありません。
『なんだろう、大工場団地だよ、』
『大病院だよ、』
『住宅団地だよ、』
子ども達の夢の発想は、留まるところを知らないのです。土手と土手の向こうです。手を伸ばせば届きそうな所が、高い大きな土手に遮られて、音信不通といった、見知らぬ暗黒の世界になっていたのです。
一週間に一度ぐらいは、屋上を使いますが、子ども達はこの頃になると真っ先に南の塀にしがみつきます。さっぱり事情はわかりませんが、大工事であることは、確かです。子ども達は、関心が高まってきたのか、ちょっとした変化も見逃しません。道路のようなものが、幾筋か浮かんできました。子ども達は子どもなりに、建設される建物を想像しながら、しゃべり合うのが日常になりました。
しかし、階下では誰も知らない世界が、屋上では展開されているのです。工事は、日を追う毎に活発になり、幾筋かの道路が、はっきりと浮かび上がってきました。
このような、大工事を身近に見ることは珍しい事です。しかも、今まで見ることも、知ることもできなかった世界です。あの、広大な工事の現場を見た者だけが、あの驚きと、正に幻の世界を、屋上から覗く事ができたのです。
屋上の学習は尚も続きます。
菊の花が咲き乱れ、奥日光の山々が白い雪を被り、それが解け始めた頃、一人で西風の吹く屋上へ上がってみました。懐かしくなった関東平野が、私を大きく包み込みました。南の土手の向こうは、相変わらず、荒地の中に、道路だけが浮き上がっていました。
ある知人から、『大鳥住宅団地に住宅を建てたから、見に来て下さい。』と、招待されました。街道を通って、渡瀬大橋を渡ってすぐに、工場の北側を東に通って、渡瀬川の土手際を尚も東へ行くと、新しい住宅の群が並んでいるのです。いずれも立派な高級住宅が、百軒ぐらいは建っていたでしょうか。
そこが、正に大鳥住宅団地でした。
もしやと思い、南の高い土手の上へ上がって、北の土手を眺めました。ちょうど向かい合いの土手の向こうに、鉄筋校舎の三階部分が見えました。船水川小学校です。船水川の集落は、何も見えません。船水川町にある屋敷の大木の梢が、ちらちらと、北の土手の上に見えるぐらいです。こちらから見ると、やはり、船水川の集落も幻の集落だったのです。
屋上の学習を思い出しました。子ども達と、あの、屋上で、この、大鳥住宅団地を眺めたかったなあと、思いました。そして、どんな想像とおしゃべりが続く事かと。
それにしても、川は不思議なものです。高い大きな土手が、川の両側の世界を分断してしまうのです。船水川小学校から街道まで、約1,5キロメートル、渡瀬大橋を渡って東の曲がり角まで1キロメートル、そこから、東へ1,5キロメートル、結局4キロメートルの道のりになってしまうのです。船水川から一番近い、手の届きそうな集落が、4キロメートルも離れて,しかも、高い、大きな両側の土手に遮断されてしまうのです。そして、遠い見知らぬ世界となってしまうのです。
この不思議な世界を、船水川小学校の屋上は、私と、子ども達に、教え、見せてくれたのです。
北の日光連山や西の関東山脈・東の筑波山は、いくら遠くても見えます。そして、春夏秋冬の風景を見せてくれます。しかし、南の高い土手の向こうは、遮断された、暗黒の社会になってしまうのです。本当に不思議な感じがしてならないのです。
私は、これまで四つの新校舎を経験しましたが、屋上の学習はこの船水川小学校だけでした。




