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赤木の森の下影に  作者: 一人雅伸
吾が学び舎と共に
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 <郷土の偉人>

 <郷土の偉人>


 私が五口小学校へ赴任した時、校庭を見下ろす大きな時計台や、その他いろいろな施設に、○○、○子寄贈と記してあるのです。このようなことは、他の学校ではあまり見かけませんので、不思議に思っていました。その内に、校長先生が、学校に縁の深い方の葬儀に参列することになりました。その人の名前と、時計台の名前が一致したのです。


 校長先生が、葬儀の結果を皆に話してくれました。

『いや、驚いたよ、花輪や参列者が、今を時めく政治家や経済界の大物ばかりで、肩身が狭かったよ。その上、会社の重役らしい人々の弔辞が、前社長の遺志を継いで、必ず、年収一兆円を突破させることを誓います。と、言うようなことばかりで、判っていたけれど、我々と、住む世界が違うのだね。』

と、感想まで付け加えてくれました。


 その事で、いろいろな情報や噂が流れてきました。それを私なりにまとめて、児童への心の教育として、郷土の偉人として、称えさして頂きたいと思い、社長の業績と、その概略を簡単で畏れ入りますか、まとめさしてもらいました。


 『上田町のある家で、長男がまだ小さいので、長女に婿を取らせて、家を継がせることになりました。何年か経って、長男が成人してきたので、夫婦で相談の上に、見知らぬ東京へ出て行き、インク製造の仕事を始めました。

 その頃は、30歳位で大正末期から昭和初期と推定されます。生活は貧しく、時には、一匹の魚を、二人で突っついて食べた時もあったとか、インクの樽を荷車に載せて、銀座の街を夫婦で運んだとか、いろいろな苦労の末に、仕事も軌道に乗り、会社を設立して、夫が初代社長になりました。

 時代の波に乗り、事業を拡大したようです。会社は、成長拡大していきました。そういった流れで人材が必要になり、初代社長の故郷や、奥さんの故郷の小・中の学校との就職問題で、深く関わってくることになりました。』

と、言うことで、時計台の件は納得しました。


 それから、印刷とインキの関わり合いについて、はなはだ大雑把では有りますが、

『私の子ども時代の筆記用具は、ほとんど鉛筆でした。学生の間では、小さなインク壷をぶら下げて、ペンで書くのが流行っていました。そのうち、和製の万年筆も普及し、ボールペンが流行り出して、しまいには、公文書にまで使用可能となりました。

 その後、印刷技術やコピー技術がいろいろと開発されて、役所や学校、大企業だけでなく小さな会社にまで行き渡り、それに応じるインクの開発も、盛んになりました。

 現在、ワープロからパソコン時代になり、その普及が一般家庭にまで及ぶと、インクの開発も一段と必要とされ、その需要は益々増大したのでしょう。』


 業界トップクラスの優良企業としてグループを形成しながら、記念館や文化活動に積極的に係わり、地元の小中校に寄付をされるなど、その社会貢献活動には本当に頭の下がる思いです。


 故人のご冥福を祈念申し上げると共に、益々、郷土の偉人として、後輩の子ども達に、誇りと勇気を与えてくれますようにお願い申し上げる次第です。




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