<雷電神社>
<雷電神社>
三学期を迎え、自分の担任する子供達が卒業するため、恒例の『お別れ遠足の計画書』を作成して校長室へ入りました。校長先生に見せると、
『君ね、今は、新教育の時代だよ。今は地域の文化財や伝統行事を取り入れて教育する時代なんだ。倉沢山まで子供達を連れて行くなら、地域の文化遺産や伝統行事等を調べて、それを子供達にどう指導するか、どう興味を持ってもらうか考えてよ。それは卒業生だけでなく、各学年毎に文化遺産や伝統行事等を調べて、資料集を作って、遠足計画に組み込んだ計画を作りなさい。』
と指導を受けました。
私は驚いて、
『それは教務の仕事ではないでしょうか。』
と言うと、
『お別れ遠足の計画を持ってきたのだから、君がやりなさい。校長の命令だからね。』
と言うのです。
とんでもない事になったと思いながら、教務の担当と相談したところ、校長先生から根回しされていたようで、快く了承を得て協力して頂く事が出来たので、校長先生の指導通り、実施計画書を練り直して職員会議にかけました。校長先生の、卓越した新教育の実践化に感銘しながら、練り上げた計画は、
・ 学年に応じた地域の文化財や伝統行事などの資料作り(概要)
・ それを利用した遠足の計画と実践方法案(概要)
これには、各学年の先生方も騒然としましたが、従来の遠足ではなく、指導要綱の主旨を学校行事に取り入れて実践する事の意義や目的が理解され、決議されました。
地域の文化や伝統を教材化、資料化し、遠足を通して体験学習に展開するという、素晴らしい構想の学校行事が成立したことは、私自身感心しましたが、それだけ大変で忙しさが増したなぁとも感じていました。
① 雷電神社
学年毎の、遠足の資料作りが始まります。
同学年の女の先生が
『一人先生、田水から葛城に向かう2キロほどの所に、あんなに大きな雷電神社が2つもあるのは不思議だと思いませんか。私は気象条件が関係するのではないかと思いますが、先生、よかったら、一緒に調査してくれませんか。手配や交渉は私がします。』
ということで、雷電神社に調査に出かけることになりました。
穏やかな物知りの宮司さんでしたが、古文書や資料はありません。その代わりに、神社に係わる言い伝えや伝説を詳しく説明してくれました。
『昔から、高い山間にある街道は雷が多く、往来の安全を祈念する、神様に頼る信仰が続いてきたのでしょう。』
ということで、女の先生の疑問もやや解決されたようです。
これは、社会科の地域の伝統や文化遺産だけでなく、気象条件の推移や、その原因までを考える理科の授業に応用されたことは、言うまでもありません。
私の頭の中は、お別れ遠足の構図で一杯になりました。残念なことに、教材に必要な資料が少なく、『伝説』や『伝承』に頼らざるを得なかった部分はありました。地域教材を取扱う場合、資料と伝承をよく理解し、使い分けて指導をすると、子供達の夢も膨らみ、自由な発想を生むという楽しい学習になるということも分かってきました。
校長先生は
『だから、資料作りが大切なのだよ』
と、更なるアドバイスをしてくれました。
② お別れ遠足
体験学習の資料もまとまり、遠足の目的地の史跡や文化財などの資料とコースを入れた『計画書』を校長先生に提出すると、
『面白そうだな、私も行くよ。』
ということになり、当日の引率指導にあたってくれました。
倉沢城跡(資料と伝説)、太井の井戸(資料)、底なしの井戸(資料)、秀郷神社(資料と伝説)、南城館と江戸の大火(資料と伝説)、上杉謙信の古戦場(資料と伝説)、鏡岩(資料)、天狗岩(資料)、雷電神社(宮司からの伝承)等を取り入れた、子供達が自分の足で歩いて、調べたり、学習する遠足コースになっていました。
新教育とはいえ、事前にこれ程の準備と確認をしながら迎えた遠足はありませんでした。しかし、私の頭の中には、全ての指導内容が入っており、資料の殆ども暗記していたので、これ程気楽なものもありませんでした。場面、場面で説明する事、話し合うこと、調査する事など、全て頭に入っています。後は、事故の無いように、安全と間違いの無いスケジュール、行動をすればいいのです。
当日、子供達も、グループ毎に固まってメモを取ったり、調べたり、話し合ったり、調査研究に没頭します。倉沢城の周囲を見学し、倉沢城跡南館から見る『関八州の遠景』に声を張り上げ、そこから見えたと伝えられる『江戸の大火の伝説』を聞いては、目を輝かせて頷いたり、メモを取っていました。
倉沢城を後にして、東に回りこむと、以前キャンプをやった「青年道場・姫御殿跡・鳩が峰キャンプ場」に出ます。それらを抜けると、倉沢山の山道に入り、左手は深い谷底が広がっています。倉沢城の裏手にあたり、谷を挟んだ先には、険しい山坂が聳えています。
『ここが、倉沢城の軍勢と上杉軍との古戦場跡です。』
と、クラス毎に、資料に近い『伝承』を説明します。
私も、身体を谷間のほうに向け、顔を子供達に向けながら、大きな声で話しをしました。
『上杉軍が倉沢城に来たのは12回、そのうち半分が敵で、半分は味方でした(史料)。ここは、敵として攻めてきて、下から城を落とそうと攻め上がった時の戦場跡です。
倉沢方の軍師が、右の山に群がる上杉軍の軍勢と対峙して、兵達に弓を半分に引いて打て、と命じました。力の無い矢は、あの谷底に「ひょろ、ひょろ」と落ちて行き、それを見た上杉軍は、この谷は見た目より遠いのではないかと思って、進軍を命じました。上杉軍が谷底へと降り始めたので、倉沢軍の軍師は、今度は慢心の力で射よ、と命じた、という事です。』
このような話を現場でする事は初めてだったので、辺りは静かな山の中なのに、教室では味わえない緊張感と緊迫感、興奮がみなを包みます。
元気な子ども達は、峰伝いの遠足を続けます。峰の終わりは、葛城町になります。国道に出ました。例の雷電神社に立ち寄り、宮司のお話を聞きます。
『この地域は、山と山の間に挟まれているので、雷が多いのでしょう。そこで、昔の人は、雷が落ちないように雷電様を祭って祈願したのです。』
その後は裏の水道山を見学して学校に戻りました。子供達にとっても、教師たちにとっても、学習する事の多かった『お別れ遠足』になりました。




