<漫画本の山>
<漫画本の山>
その頃の子供の心を奪う物の一つに、漫画本がありました。今のような電子機器やゲーム機、通信機器の無い時代、漫画本は子供の心の捕らえて離さなかったのです。
一世を風靡した漫画は、当時の子供達を夢中にさせました。K君などは、漫画本をランドセルに詰めて背負い、教科書は風呂敷に包んで登校する始末です。授業中にも隠れてマンガを読む子供も現れ、教科書を机の前に立てかけ、その内側に漫画本を広げて読んでいるのです。
『先生!Y君が漫画本を読んでますよ。』
こうなっては授業が成立しません。全体の学習の雰囲気を壊されてしまいます。しかし、子供の興味・関心の燃え上がったバイタリティや意欲を否定し、壊してしまうのも残念です。
その頃の私は、興味・関心を持ち夢中になっている子供の気持ちを大切にしたい、という強い思いを持った『不良教師』だったのです。
子供は、生活の中でも何かに興味・関心を持つと、夢中になり熱中して、驚くほどの集中力で取り組む姿を見せてくれることがあります。好きな事や楽しい事、面白そうな事もそうですが、それが勉強や練習といったことでも、子供の興味をひく内容だったり、やり方だったりすると、周囲の雑音や他の物が眼に入らないのかと思われる位の集中力を発揮するのです。
私は、欠伸をしながら1時間の授業を受ける子供達よりも、クラス全員が夢中になって、集中して学習する授業を追い求めていたのです。
それは、個性の違う一人一人の児童の持つ、それぞれの感じる興味・関心を、全て授業に向けさせ、組み入れようとする不可能に近い無理難題かもしれません。授業中に、ちょっと面白い事を話したり、手品のような一瞬の興味をひく事をやったからといって実現できるものではありません。
しかし、私は教師である以上、この『野望』ともいえる欲求が捨てきれず、実現したい夢として、日々、教壇に立っていたのです。
とはいえ、漫画本に夢中の子供がこれだけいる中では、そんな夢の事など比較にならない低レベルの状態です。処置無しと感じた私は、教壇の真ん中に立ち、教卓に両手を乗せると、
「全員起立、手を頭の上に乗せろ。学級委員は、机の上にある漫画本を集めて先生の机の上に置きなさい。」
と、叫ぶように命じました。
学級委員を使ったのは、私にとっては、学級の生活態度はクラス全員で自主的に改めるべきだという自覚をもたらすための処置だったのです。
それから毎日、漫画本が摘発されていきました。一週間もすると、机の上に漫画本の山が出来てしまいました。
休み時間になると、2~3人の子供が近づいて来て、漫画本の山を心配そうに覗き込みます。自分の漫画本を確認したかったのでしょう。
『先生、いつ返してくれるのですか?』
と、とうとう本音が出てきます。
『いつでも返すよ。但し、皆が揃って、これから授業中には絶対に漫画を読まない、と先生と約束出来れば、返してあげるよ。』
と言うと、ニコニコと嬉しそうに微笑むのです。
数日経って、ホームルームの時間に、全員が約束しました。但し『今度取り上げられたら、燃やす。』という条件付です。画用紙に書き出し、掲示板に貼りました。
久々に、私の机の上もさっぱりし、我ながら「いつの間にか、段々と指導の仕方も上手くなったものだ。」等と、一人悦に入っていました。
この頃は、子供と駆け引きするのが面白くなり、色々アイディアも浮かんでくるのです。禁止・中止教育だけでは、子供の興味・関心が萎縮してしまいます。と同時に、伸び盛りのあらゆる能力が停まってしまうように感じられたのです。子供と駆け引きをしながら、約束や交渉をしながら子供の自主性を育てる方向で、私の夢にも近づいているような錯覚さえも感じていました。
気になったので、2~3人の子供に訊いてみました。すると
『漫画は読んでいるよ、家や公園で。図書室や図書館でも読んでいるし、最近は、漫画以外にも、童話や偉人伝なんかにも興味が湧いて読んでいるんだ。皆そうだよ。』
子供の逞しい追及心、探究心に驚かされました。
場所や時間や内容の選択など、自分たちで工夫して遣り繰りする事が、子供の次の興味・関心を育てる事になるのではないだろうか。今は未熟に見えても、一つ一つ、一段一段、時間をかけながらでも自らの足で進んでいくことが成長の過程なのではないかと気が付きました。
大人から見れば単なる遊び事のように見える些細なことにも、子ども達は、時として興味・関心を示し、どこまでも追求していくことがあります。その行動は、時に幼稚で幼く見えても、子供にとっては新しい世界への冒険であったり、探検のように感じているのかもしれません。その行動や気持ちが、子供に探究心や勇気や、根性や、時として助け合う友情であったり、思いやりであったりという、人生の宝物を掴み取らせているのかもしれません。一人一人が、そうやって自分を成長させ、大人になって行くのではないかと実感します。
しかし、そういう、それぞれの持つ成長するための興味・関心を一斉に多くの児童に体験・経験させていくことは、どのような事をすれば、どのような方法を採れば良いのでしょうか?
指導要綱などでも、こういった試みや工夫もされているようですが、現実に子供達に面した時、教師のたゆまぬ観察と適切な指導の積み重ねが基礎となるのではないかと感じられます。
子供達が興味を持ったゲームやスポーツは、どんどんやらせて行く内に、子供達自身で思考力や判断力が身に付き、更には創造力を発揮させて、新たなルールややり方などを生み出したりもします。しかし、あまり懲り過ぎると、すぐに「禁止命令」を発動したがるのが従来の学校教育には多かったように思えます。
このような、子ども自身から発生して伸び行く能力を見つめ育てて行くことや、周囲の人に迷惑を掛けない様にする配慮や判断力を身につけさせ、我侭をおさえて仲間と協力するなど、自分をコントロールする能力を育てていくことも、教師として大切な事なのではないかと思ってきました。私なりの努力と工夫を繰り返す中で、このような子供との触れ合いは奥深く、尽きる事を知りません。
うず高く積まれた漫画本の山を見つめて『ニヤリ』と笑う私の心の奥には、興味本位に走りやすい子供心をどうコントロールし、どのように一人一人の児童の人格形成に援助してあげることが出来るだろうかという野心と、厳しい心・強く逞しい心に育って貰いたいという、希望と願いが込められていたのです。




