<いじめられっ子物語 その2>
<いじめられっ子物語 その2>
登山隊
雅伸先生は、国語・算数のテストの後、登山隊を作りました。テストの点数の低い子を数人残すのです。堂々と大きな声で名前を読み上げ、登山隊のメンバーとして居残りさせます。
登山隊は
『1倉沢山、2水室山、3浅間山、4男体山、5富士山』
の5つです。
『今日は、男体山登山隊』と言って隊員を指名します。
隊員は、自分のテストを返されて、間違ったところを教科書やノートを見ながらやり直せばいいのです。その他、漢字練習とか計算練習を30分くらいやって、最後に先生の面白い話を聞いて解散します。
雅伸先生は、点数の低い子供を『馬鹿』とか『頭が悪い』とは言いません。
『努力が足りないだけだ。高い山ほど登るのは大変だし辛い。それを乗り越えて頑張れば、誰だって良い成績が取れる。』
という事を口癖のように言います。
最初は、みんな、登山隊に指名されるのを嫌がったのですが、登山隊でやることが、それ程難しいことではない事や、努力すれば誰だって出来るようになる、という事が分かって来ると、だんだん希望者が増えてきました。でも、先生は『資格がない』と言って先生の指定者以外は登山隊に入れませんでした。ただ、『登山隊の準隊員』として、自分の家で勉強する方法を教えていたので、みなは納得していたようです。
でも、よく考えてみると、登山隊に入りたくて「家で勉強する」と、テストで良い点が取れるのだから、結局『登山隊には入れない』事になるんじゃないかと、不思議に思いました。
僕は、最初の頃はいつも登山隊の隊員に指名されていましたが、だんだんに資格がなくなってきました。
クラス編成替え
いつの間にか1年が過ぎ、5年生が近づきました。1学年が4クラスある学校なので、3年生、5年生になる時に、クラス編成替えがあります。それぞれのクラスを全体で合わせて、4つのクラスに分けます。
僕は、大変なことにあったなぁと思いました。雅伸先生が担任でなくなって、クラスのみんなが入れ替わると、また『春馬鹿コール』が起こるかもしれません。この一年のように、落ち着いて学校に来られなくなるかもしれません。
心配してお母さんに話しをすると、
『それは良かった。また内野先生に教えてもらえるかもしれないよ。』
なんて言っています。
僕は、あの恐ろしい3年生の頃のことを思い出して、ぞっとしました。
5年生の新学期、始業式の日です。5年生の校舎の入り口に、新しいクラスの編成表が掲示されました。僕は5年4組、担任は雅伸先生でした。不思議に思う前に、今まで悩んでいたことが吹き飛んで、嬉しさが込み上げてきたのです。
僕の頭の中では『春馬鹿コール』がいつ起こるのか不安で一杯でした。でも、3年生の頃の事を知っているメンバーが4分の1になり、新しいメンバーが4分の3になったのです。新しい友達が出来るのです。僕は、すごく気が楽になりました。
嬉しくなって、帰って直ぐにお母さんに話しをしました。お母さんはつまらなそうに、
『また一人先生かい、内野先生の方が良かったと思うけどね。』
と言っています。
僕は、心から安心して学校に行くことができるようになりました。雅伸先生は、新学年になっても僕を秘書にしてくれました。みんなの前で言うのです。
『先生は忙しいので秘書が必要だ。これからも春ちゃんにやってもらうよ。他に希望者がいれば誰でも秘書にするからね。』
と言いましたが、みんなは秘書の仕事ぶりを僕から聞いて、
『毎朝30分も早く学校に来るなんて出来ない。』
といって、結局、秘書は僕一人のままでした。
でも、僕も雅伸先生もその方が良かったのかもしれません。僕と雅伸先生の友情は、これからも続くことになったのです。
その頃はサッカーが流行りだして、お昼休みには、男子は集まってサッカーをやっていました。校庭の隅で、みんなでボールを蹴ったりパスしたりしていましたが、時々雅伸先生も参加していました。雅伸先生は、ボールの扱いが下手で、よく、トンネルしたり明後日の方向に蹴ったりしては、皆からからかわれていましたが、毎日が楽しいお昼休みでした。
2度目の家庭訪問
少し経ったころ、家庭訪問の季節になりました。雅伸先生からクラス全員の家庭訪問予定表を渡されました。お母さんに見せると、
『また家庭訪問かい?一人先生は本当に何もしてくれないよね。前の内田先生だったら良かったのだけど、一人先生とはお話しすることもないよ。』
と言われました。
でも、雅伸先生は僕を『秘書』にしてくれています。僕と雅伸先生は、先生と生徒だし、先生と秘書でもあるし、大事な友達でもあります。その事をお母さんに話すと、
『頭のいい子を秘書にするなら分かるけど、お前みたいな出来の悪い子を秘書にするなんて、雅伸先生は何を考えているんだろうね。他にやりたいって言う子が居ないから、仕方なくお前にやらせているだけなんじゃないのかい。そんなずるい事を考える先生はどうかしてるよ。内野先生の方が良かったのにねぇ。』
と言います。
でも僕は、雅伸先生が秘書にしてくれたから3年生の時の『春馬鹿コール』が無くなったのだ、と思います。もし、皆の前で
『先生の秘書をやってもらうからね。』
と言ってくれなかったら、今でも『春馬鹿コール』を聞かされていたかもしれません。
最初は、雅伸先生が助けてくれって言ったから始めた事だけど、最近は、僕の秘書としての仕事ぶりを誉めてくれる他の先生もいるし、『すごいね』って感心する友達だっています。
僕は皆から『春馬鹿コール』をされるのが嫌なんだとお母さんに説明しました。でもお母さんは、
『それは、お前が本当に出来が悪いんだから仕方ないんだよ。頭の良い子ならそんなことは言われないだろう。ともかく一人先生とお話しすることは何も無いから、家庭訪問は結構ですって伝えておくれ。』
と言います。
仕方ないので、次の日、
「お母さんが、家庭訪問は結構です、って言ってたよ。」
と言うと、先生は少し考えてから
「そうか、お母さんも忙しいのかもしれないね。春ちゃんちの今年の家庭訪問はやめにしよう。」
と言います。
でも、次の年もお母さんは雅伸先生の家庭訪問を断ってしまいました。雅伸先生も僕の家に来ることはなかったので、結局、お母さんは雅伸先生とお話しすることは二度とありませんでした。
お別れ遠足
6年生の3学期になると、お別れ遠足がありました。グループ毎に行動して、倉沢山を縦断しながら、名所・旧跡、植物や自然の様子などを調べるのです。
『太井の井戸』『底なしの井戸』『鏡岩』『天狗岩』『倉沢城石垣』『姫御殿跡』とか、名所・旧跡の説明の立て札を読みながら、手帳に記録をとります。
今まで何度か遊びに来た倉沢山なのに、色々調べることになると、何か、立派なものに思えてきました。
上杉謙信の古戦場へも登ってみました。峰伝いに北に進み、林の木々の名前や生え方なども調べて記録をとります。遠くから見る倉沢山の美しい峰々も、実際に登ってみると、険しい山道でした。
広い林や細い坂道、竹笹や藪の中を通り抜けて進んでいきます。林の中から、街並みや電車が走っていくのが見えることもありました。見慣れた倉沢山も、登ってみるとこんなに違うものかと不思議になりましたが、グループの皆と協力して、険しい道では声を掛け合い、手を取り合って、助け合いながら進みました。
やがて、山を下る道に出て、山裾に民家が見えるようになりました。『葛城町の中村』という地域だと先生が教えてくれました。やや広い国道まで出ると、ダンプカーや車の往来が増え、僕たちは一列になって南の方へ行進します。
北の方に行くと、葛城の町に出て、この国道は、茨城県の水戸にも通じているという事でした。
学校へ帰ってきました。大変疲れましたが、皆と仲良く遠足ができた事が本当に嬉しかったです。
遠足の後は、グループ毎に、遠足で見たこと、聞いたこと、記録をまとめて、発表しました。僕は、倉沢城に攻めてくる敵兵を鏡のように写し出す『鏡岩』を絵に描いたり、説明文を画用紙にまとめました。
落ち着いて楽しい学校生活が出来るようになりました。いつの間にか、僕の頭の中からは『春馬鹿コール』の恐怖も不安も消えていたのです。
卒業式
3月になると、卒業の行事が増えてきました。卒業写真、アルバム作成、卒業文集、謝恩会と、色々続きます。
そして、卒業式を迎えました。色々な思い出を残して、卒業する事になりました。貰った通知表を見て、驚いたことに、4年・5年・6年の3年間、僕は『皆勤』でした。その通知表を見て、お母さんは『春雄、よく頑張ったね。』と言ってくれたのです。でも、その3年間担任で、僕の友達になってくれた雅伸先生のことには、一言も言いませんでした。
中学校の新しい制服を着て、中学校の生徒になりました。部活にも入り、少し大人になったような気持ちになりました。これからの夢や希望が青空の雲のように、心の中に浮かんでは流れ、又、浮かんでは漂っている、とても大きな気持ちを感じていました。
でも、一週間も経った頃、小学校のことが思い出されてきたのです。『雅伸先生の顔が見たいな。』と思うと、居ても立っても居られません。『春馬鹿3人組』の2人に話すと、『うん、行こう。』とすぐに賛成してくれました。
4月も後半の暖かい日曜日の朝、3人とも自転車を漕いで雅伸先生の家に向かいました。先生の自宅は、木尚小学校のすぐ北の方だという事も聞いています。
まず、『稲榎市駅』を目指し、駅舎を左に通り過ぎると、歩道橋と踏切があります。それを渡って進むと、最初の信号がありました。車に注意しながら交差点を曲がって、少しすると家並みの奥に大きくて真新しい鉄筋校舎が浮かんできました。
『この辺だぞ。』
と思い、道端の人に
『雅伸先生の家はどこですか?』
と訊いてみました。その人は怪訝な顔をしていましたが、2・3軒先の家の門から竹箒を持った雅伸先生が道路に出てきました。
『やっぱり春ちゃんだ。聞き覚えのある声が聞こえたので、出てきたよ。』
と言うのです。門の前からは、木尚小学校の校舎が眼の前に、より大きく見えます。
お菓子やジュースを出されて、色々な思い出話が次から次に出てきました。
『春ちゃんには、世話になったね。僕の秘書をよくやってくれたよね。』
と、雅伸先生は感謝の気持ちを一杯話してくれ、僕は照れくさいような、恥ずかしい気持ちになりました。
あんなに僕を守ってくれたのに、恩着せがましいことも、僕を馬鹿にしたような事も一切言いません。どこまでも、雅伸先生と僕は友達なのだという態度なのです。雅伸先生は、受持ちの子供は、皆友達なのだと思い込んでいるのかも知れません。
これは、僕が、他の友達との間でも、こういう気持ちや考えが大事だし、必要なんだなと心に深く刻み込まれた事でもあります。
最後に、雅伸先生がひと言
『春ちゃんは、これからもいろんな事が起こるかもしれないけど、先生の秘書になったように、人が困った時は助け合って、友情を育てるのだよ。必ずいい事があるからね。』
と言いました。
僕は、雅伸先生のこの気持ちで『春馬鹿コール』から救われ、助けられたのだなと初めて分かりました。
『先生、大丈夫だよ。これからも困った人の秘書になって頑張るよ。』
と決意を答えました。雅伸先生は、ニコニコとした笑顔で
『頑張れよ。』
と又励ましてくれたのです。
奥さんの手料理を昼食に頂き、僕達は先生の家を出ました。振り返ると、先生は奥さんと並んで、いつまでも手を振って見送ってくれていました。
(「いじめられっ子物語」終わり)




