魔王のお仕事
「魔王って、何してるの?」
翌日の朝食。
凛が尋ねると、リゲルの手が止まった。
「突然ですね」
「昨日シロイチから聞いた」
「何を?」
「魔は人を襲うもの。魔王がいる。以上」
「ずいぶん簡単ですね」
「シロイチ説明下手だから」
『聞こえているぞ!』
窓の外から声がした。
「なんでいるの?」
『お前が呼んだのだ!』
「そうだった」
怪我が少し良くなったシロイチを、今日は館の近くへ連れてきている。
ただし中へ入れることには、まだ反対が多い。
「人の姿になれたらいいのに」
凛が呟く。
『なれるわけがない』
「魔法で?」
『そんな便利なものではない』
「あるんだ、魔法」
『今さらか!』
そのとき。
「できますよ」
別の声がした。
振り返る。
背の高い男が立っていた。
黒を基調とした服。
剣。
年齢はリゲルより上に見える。
表情がほとんど動かない。
「あ」
「おはようございます、お方様」
「……誰?」
男の眉がわずかに動いた。
「ベテルです」
「ああ!」
シロイチを手当てした人。
「昨日聞いた」
「昨夜もお会いしております」
「ごめん、覚えてない」
「存じております」
「それ傷つくな」
ベテルは窓の外のシロイチを見る。
「短時間なら、人の姿に近づけることは可能です」
『やめろ』
「やって」
『やめろ!』
ベテルが何か短い言葉を唱えた。
光。
「うわ!」
凛が身を乗り出す。
窓の外。
白い鳥が消えた。
代わりに。
白い髪の少年が座り込んでいる。
「……服ある」
「そこですか」
ベテルが言った。
「大事でしょ!」
少年が自分の手を見る。
「何だこれは!」
「シロイチ?」
「その名で呼ぶな!」
「声同じ!」
「当たり前だ!」
見た目は十五、六歳ほど。
白髪。
少しつり上がった目。
不機嫌そうな顔。
「かわいい」
「殺すぞ!」
「かわいくない」
「どちらだ!」
リゲルが頭を抱えている。
「朝から賑やかですね」
「いいことじゃん」
「そうでしょうか」
凛はベテルを見る。
「ずっとこの姿にできる?」
「無理です」
「残念」
「私の術では一時的なものです」
「じゃあ鳥に戻る?」
「はい」
「服は?」
「消えます」
「便利だな魔法」
「そこだけ聞くと、かなり違うものに思えます」
ベテルは淡々としている。
凛は少し気になった。
シロイチを見る目。
警戒している。
それは当然だ。
だが。
ただ嫌っているのとは、少し違う気がした。
「ベテルは魔に詳しい?」
「多少は」
「魔王にも?」
ほんの一瞬。
ベテルの表情が止まった。
「……多少は」
「ふうん」
何かある。
でも今は聞かないことにした。
「それで、リゲル」
「はい」
「魔王のお仕事」
「その言い方はどうなのでしょう」
「だって仕事なんでしょ?」
「仕事と言えば……」
リゲルは少し考えた。
「最初から説明した方がよいでしょう」
「お願いします」
*
この世界を作った神は、
最初、人間が争わない世界を望んだ。
「神様、平和主義なんだ」
「そう聞いています」
「聞いています?」
「私は生まれる前のことですから」
「神様本人に聞けば?」
「何でも答えてくださるわけではありません」
「そうなんだ」
神は人間を作った。
土地を与えた。
食べ物を与えた。
魔法を与えた。
だが。
人間は増えた。
土地を奪い合った。
食べ物を奪い合った。
争った。
「……まあ、そうなるか」
「リンの国も?」
「似たような歴史はいっぱい」
そこで神は考えた。
人間同士が争うなら。
共通の敵がいればいい。
「待って」
「はい」
「嫌な予感」
「魔王を作りました」
「やっぱり!」
凛は額を押さえた。
「神様、解決方法が雑じゃない?」
「神を批判するのは」
「だって!」
共通の敵。
確かに人間同士の争いは減るかもしれない。
しかし。
「魔王が人を襲う?」
「はい」
「魔が増える?」
「はい」
「人間は魔と戦う?」
「はい」
「人口も増えすぎない?」
「そうです」
「……それ」
凛は嫌な顔をした。
「人口調整じゃん」
「人口?」
「人が増えすぎないようにする」
「その役目もあると聞いています」
「怖っ」
神様。
思っていたよりだいぶ怖い。
「でも神様なら、魔王消せばいいじゃん」
「できません」
「なんで?」
「一度生み出した魂を、都合が悪くなったからと消すことはできないそうです」
「ルール?」
「神自身の決めたものだと」
「自分で作ったルールに縛られてるの?」
「そのようです」
「神様も大変だな」
凛は少し考える。
「魔王はどう思ってるの?」
「分かりません」
「人を襲いたいの?」
「それも」
「本人の意思は?」
リゲルが黙った。
「誰も知らない?」
「魔王と直接話した者はほとんどいません」
「ベテルは?」
凛は横を見る。
ベテルは表情を変えない。
「私はお答えできません」
「知らないじゃなくて、答えられない?」
「はい」
やっぱり何かある。
「じゃあベガって人」
以前、リゲルから名前だけ聞いた。
父親の妹。
山で暮らす叔母。
「魔王に詳しいんでしょ?」
「……誰から?」
「シロイチ」
『私は言っていない!』
「じゃあ誰だっけ」
「リン」
「何?」
「ベガ叔母上の話は、またいずれ」
「怪しい」
「怪しくありません」
「絶対怪しい」
「今は村へ行くのでしょう?」
「あ、そうだった」
話を戻された。
でも。
凛の頭には一つの疑問が残った。
魔王。
神に作られた。
人間を襲う役目を与えられた。
それを魔たちも当たり前だと思っている。
「ねえ、シロイチ」
「何だ」
「魔王って、仕事辞められないの?」
「知らん」
「辞めたいと思ってるかも」
「魔王様がそんなことを思うものか!」
「会ったことないくせに」
「うるさい!」
凛は笑った。
でも。
もし。
魔王自身も、人を襲うことを望んでいないのだとしたら。
この世界の仕組みは、
凛が最初に思ったよりずっと複雑なのかもしれない。
*
村へ出発する前。
シロイチの人型の術が切れた。
「うわ!」
白い鳥へ戻る。
『見るな!』
「別に何も見えてない」
『そういう問題ではない!』
「便利だね」
『二度とやらん!』
「村で喋る鳥連れて歩く方が目立つよ」
『なら行かん!』
「肉」
『……』
「お昼に肉」
『卑怯者』
「交渉」
『お前の交渉は全部脅迫だ!』
ベテルが小さく笑った。
凛は見逃さなかった。
「笑った?」
「いいえ」
「今笑ったよね」
「参りましょう」
「ごまかした」
リゲル。
ジェネ。
ベテル。
シロイチ。
そして凛。
村へ向かう。
凛はホルクのファルコンへ跨がりながら、もう一度考えた。
魔を倒す。
魔王を倒す。
そういう物語なら分かりやすい。
けれど。
シロイチは昨日、肉を食べて文句を言っていた。
今日も働きたくないと騒いでいる。
敵というより。
「……面倒な新人だな」
『聞こえているぞ!』
「耳いいね!」
『鳥ではない!』
空へ飛ぶ白い影を見上げる。
敵にも。
事情がある。
仕事がある。
役割がある。
なら。
戦う以外の方法もあるかもしれない。
まだ凛は、
そんな程度にしか考えていなかった。
だがこの小さな疑問は、
やがて魔王その人へ届くことになる。




