魔を雇いました
翌朝。
「シロイチがいない」
凛は朝食の席でパンをちぎりながら言った。
「逃げた?」
「逃げてはいません」
リゲルは平然とスープを飲んでいる。
「じゃあどこ?」
「外です」
「なんで?」
「魔を館の中へ置くことに、皆が反対しました」
「そりゃそうか」
昨夜まで人を襲っていた。
いくら凛でも、それくらいは理解できる。
「でも怪我してるよ」
「手当てはしました」
「誰が?」
「ベテルです」
「ベテル?」
「私の護衛をまとめている者です」
「そんな人いた?」
「昨夜もいました」
「覚えてない」
「リンは魔と話すのに夢中でしたから」
「人聞き悪いなあ」
「事実です」
結婚して一日。
リゲルの遠慮が、少しずつなくなっている気がする。
「で、シロイチは?」
「中庭の小屋に」
「鳥小屋?」
「物置です」
「怒ってそう」
「かなり」
凛は残ったパンを口へ押し込んだ。
「見てくる」
「朝食は?」
「食べた」
「まだ半分あります」
「後で」
「リン」
「行ってきます!」
逃げた。
*
『遅い!』
小屋へ入った途端、怒鳴られた。
「元気じゃん」
『どこがだ!』
シロイチは藁の上に座っていた。
白い翼の一部に布が巻かれている。
「怪我どう?」
『お前が聞くか!』
「だから昨日謝ったじゃん」
『謝れば矢を射てもよいのか!』
「先に襲ったのそっち!」
『ぐ……』
どうやら、この一言には弱い。
「ご飯食べた?」
『食べていない』
「何食べるの?」
『肉』
「鳥?」
『……』
「鳥食べる?」
『食べるわけがないだろう!』
「やっぱり」
『なぜ嬉しそうなのだ』
「鳥っぽいから」
『鳥ではない!』
「じゃあ何の肉?」
『獣だ』
「分かった。あとで頼んどく」
『待て』
「何?」
『なぜ普通に世話をする』
「雇ったから」
『私は捕虜ではないのか』
「捕虜なの?」
『私に聞くな!』
凛は考えた。
「じゃあ雇用された捕虜」
『意味が分からん!』
「私もこの国の制度まだよく分かんない」
『お前、本当に領主の妻か?』
「昨日なったばっかり」
『なぜそんな者に私は負けたのだ……』
シロイチが項垂れた。
少しかわいそうになった。
「ねえ」
『何だ』
「昨日言ってた仕事」
『嫌だ』
「まだ何も言ってない」
『畑だろう』
「うん」
『魔に農作業をさせる人間など聞いたことがない』
「じゃあ私が最初だ」
『嬉しくない』
「でもさ」
凛はシロイチの前へしゃがんだ。
「人を襲って何になるの?」
『魔だからだ』
「魔は人を襲うもの?」
『そうだ』
「誰が決めたの?」
シロイチが止まった。
『……決まっている』
「だから誰が?」
『魔王様だ』
「魔王」
いかにも異世界らしい単語が出た。
「いるんだ」
『当たり前だ!』
「会ったことある?」
『ない』
「ないんかい!」
『下級の魔が直接お目にかかれる方ではない!』
「シロイチ下級なんだ」
『言うな!』
「じゃあ魔王から直接、人を襲えって言われたわけじゃない?」
『そういうものなのだ!』
「ふうん」
凛は腕を組んだ。
組織でよくある。
上が何を考えているのか分からない。
でも「昔からこうだから」で続いている仕事。
少し嫌な記憶が蘇った。
「それ、本当に必要な仕事?」
『必要に決まっている!』
「誰のために?」
『……』
「魔王?」
『そうだ!』
「魔王は喜ぶ?」
『当然だ!』
「会ったことないのに?」
『うるさい!』
「まあいいや」
凛は立ち上がった。
「とりあえず試そう」
『何を』
「草取り」
『嫌だと言っている!』
「死ぬ?」
『……お前は卑怯だ』
「知ってる」
『認めるな!』
*
午前中。
館近くの小さな畑。
「なぜ私まで」
ジェネが不満そうに立っている。
「護衛でしょ?」
「魔の護衛などしたくありません」
「私の護衛」
「なおさら魔から離れてください」
「でも仕事教えないと」
「鳥に草取りを?」
「魔だって」
『そうだ!』
「そこだけ意見合うんだ」
シロイチはまだ飛べない。
代わりに、少し離れた木の枝へ止まっている小鳥たちを呼んだ。
十羽。
二十羽。
さらに増える。
「おお」
凛は感心した。
「本当に来た」
『疑っていたのか』
「半分くらい」
『殺すぞ』
「雇い主に言わない」
『誰が雇われた!』
「お肉出るよ」
『……』
「住むところも」
『……』
「怪我の手当ても」
『……』
「結構いい職場じゃない?」
『騙されている気がする』
「気のせい」
凛は畑へ入った。
「この草」
作物の間に生えている雑草を指す。
「抜いて」
『鳥に?』
「できるって言ったよね」
『小さいものなら』
「じゃあお願い」
シロイチが鳴いた。
鳥たちが一斉に畑へ降りる。
「おお!」
嘴で草をつつく。
引っ張る。
抜く。
「すごい!」
凛の目が輝く。
「できるじゃん!」
『当然だ』
「これなら――」
一本。
鳥が緑の芽を抜いた。
「あ」
凛が止まる。
「それ違う」
もう一本。
「あっ!」
別の鳥。
「それ小麦!」
さらに。
「待って待って待って!」
鳥たちが次々と抜いていく。
雑草。
小麦。
雑草。
小麦。
「止めてーっ!」
『止まれ!』
シロイチが鳴く。
鳥たちが一斉に飛び上がった。
静かになった畑。
凛はしゃがみ込んだ。
「……やった」
ジェネが腕を組んでいる。
「何を?」
「小麦抜いた」
「見ていました」
「結構」
「はい」
「怒られる?」
「畑の持ち主には」
「だよね」
『私のせいではないぞ』
「シロイチのせいでしょ!」
『草を抜けと言ったのはお前だ!』
「小麦は抜かないと思うじゃん!」
『鳥に小麦と雑草の違いが分かるか!』
「分かんないの?」
『食える草と食えない草なら分かる』
「先に言って!」
『聞かれなかった!』
凛は頭を抱えた。
初仕事。
開始数分で失敗。
「どうします?」
ジェネが尋ねる。
「謝る」
「誰に?」
「畑の人」
「その後は?」
「弁償する」
「どうやって?」
「……リゲルに相談する」
「結局リゲル様ですか」
「私、お金持ってないもん」
異世界へ来たとき財布すら持ってこなかった。
領主夫人になったからといって、自分の金が突然湧いてくるわけではない。
「それから」
凛は抜かれた小麦を見る。
「やり方変える」
『まだやるのか!?』
「当然」
『畑を全滅させる気か!』
「今度は小麦のないところ」
『最初からそうしろ!』
「それ今気づいた」
『馬鹿なのか、お前は!』
「元国家公務員に向かって」
『何だそれは』
「……何でもない」
*
二度目の実験。
作物の植わっていない畑の端。
「ここなら何抜いてもいい」
『最初からここでやれ』
「うるさい」
鳥たちを呼ぶ。
草を抜く。
今度は問題ない。
「できた」
凛は時間を測ろうとして、また困った。
「時計ないんだった」
「どれくらいだったと思います?」
ジェネが尋ねる。
「太陽で?」
「だいたいなら」
「一時間……より短いかな」
「それくらいでしょう」
人が同じ範囲を手で取れば、もっと時間がかかる。
「使える」
『当たり前だ』
「でも畑全部は無理」
『なぜだ』
「作物まで抜くから」
『……』
「粗い仕事向きだね」
『粗いと言うな』
「畑の周り。道。休耕地」
凛は考える。
「あと虫」
『虫?』
「鳥は虫食べるでしょ」
『種類による』
「害虫だけ食べてって言える?」
『無理だ』
「ですよね」
便利だと思った瞬間、すぐ限界が見える。
でも。
「全然駄目じゃない」
『どちらなのだ』
「何でもできると思ったのが間違い」
凛は木片へ記録した。
――鳥による除草。
作物のない場所なら有効。
作物のある畑では危険。
細かな選別不可。
「これなら使える場所を探せばいい」
ジェネが木片を覗く。
「失敗したのに?」
「だから分かった」
「何がです?」
「できないこと」
凛は笑った。
「できることが分かるのと同じくらい、できないことが分かるのも大事」
『人間は面倒だな』
「魔に言われたくない」
*
午後。
凛は畑の持ち主へ頭を下げた。
「ごめんなさい!」
男は困惑している。
「お方様が頭を下げるようなことでは」
「私がやらせたから」
「しかし」
「小麦抜いちゃった」
「少しです」
「少しでも」
リゲルが横にいる。
「損失はこちらで補います」
「リゲル」
「リン一人では払えないのでしょう?」
「……お願いします」
「分かりました」
男は何度も恐縮した。
凛の方が申し訳なくなる。
「次から気をつけます」
「またなさるのですか?」
「うん」
男の顔が引きつった。
「あ、あなたの畑ではやらないから!」
「それなら」
「安心した!?」
男が慌てる。
リゲルが笑った。
「笑わない!」
「すみません」
「絶対笑ってる」
「少し」
「もう」
館へ戻る途中。
リゲルが尋ねた。
「諦めないのですね」
「何を?」
「魔を使うことです」
「だって使えるじゃん」
「今日は失敗しました」
「うん」
「普通なら、魔など役に立たないと思うのでは?」
「そうかな」
凛は少し考えた。
「シロイチが駄目なんじゃないよ」
「では?」
「仕事の振り方が悪かった」
「仕事の振り方」
「草を取れ、だけじゃ駄目だった」
前の職場でもあった。
目的を説明しない。
条件を伝えない。
ただ「これをやって」と頼む。
そして思っていたものと違えば、頼んだ側が怒る。
「できることと、できないことを確認して」
凛は指を折る。
「できる仕事を頼む」
「それがリンの国のやり方ですか?」
「私のやり方かな」
役所にいたころ。
凛自身が特別優秀だったとは思わない。
専門知識なら上がいた。
農業の実務なら農家の方が圧倒的に上。
研究者には研究でかなわない。
でも。
誰が何を知っているか。
誰に何を頼めばいいか。
どこをつなげれば仕事が進むか。
それを考えることは、嫌いではなかった。
「もしかして」
「はい?」
「私がこの国で一番使えるのって」
農業知識ではないのかもしれない。
「人に仕事振ることだったりして」
「領主夫人らしいではありませんか」
「嫌だなあ」
「なぜです?」
「役所と同じじゃん」
そう言いながら。
凛は笑っていた。
*
夕方。
シロイチのところへ肉を持っていった。
『遅い』
「雇い主に態度悪いな」
『だから雇われていない!』
「今日働いたじゃん」
『脅されたのだ!』
「でも肉食べる?」
『食べる』
「素直」
皿を置く。
シロイチが食べ始める。
「ねえ」
『何だ』
「鳥を使って、遠くを見ることできる?」
『できる』
「どれくらい?」
『鳥がいる場所なら』
「人を探すのは?」
『姿が分かれば』
「荷物運ぶ?」
『小さいものなら』
「手紙?」
『それくらいなら』
凛の頭の中で仕事が増える。
「偵察」
『何?』
「連絡」
『おい』
「害虫の発見」
『待て』
「収穫時期の確認」
『待てと言っている!』
「すごいじゃん、シロイチ」
『嫌な予感しかしない!』
「草取りだけじゃなかった」
『私は魔だぞ!』
「優秀な魔だね」
『褒めても働かん!』
「肉、美味しい?」
『……うまい』
「明日も出るよ」
『……』
「働いたら」
『卑怯者!』
「交渉と言って」
『同じだ!』
凛は笑った。
魔だから。
敵だから。
危険だから。
殺す。
たぶん、それがこの世界では普通なのだろう。
でも。
使えるものを捨てるのは、
どうにも凛の性に合わなかった。
人でも。
知識でも。
腐った葡萄でも。
そして魔でも。
「もったいないよね」
『何がだ』
「こっちの話」
凛は立ち上がった。
「明日は村を見に行くよ」
『勝手に行け』
「シロイチも」
『なぜだ!』
「空から見てもらう」
『怪我人だぞ!』
「明日はまだ飛べない?」
『……短い距離なら』
「じゃあ明後日」
『聞け!』
小屋を出る。
後ろからシロイチの怒鳴り声。
凛は振り返らなかった。
敵だった魔を、
殺さず、働かせる。
それがこの先、
アンジェルを大きく変えていくことになるなど、
このときの凛はまだ知らない。
ただ一つ考えていたのは、
人手が足りないなら、魔の手だって借りればいい。
それだけだった。




