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選べる国



「領主夫人が来ている?」


「はい」


「アンジェルの?」


「はい」


「なぜ知らせなかった!」


「お忍びだと――」


「誰がお忍びって言ったの?」


 凛は首を傾げた。


 ミルンの港湾役所。


 朝から妙に騒がしい。


「リン様」


 ジェネが小声で言った。


「私たちが正式な訪問を知らせておりませんので」


「旅行だもん」


「八割仕事では?」


「そうだった」


 そこへ。


 軍服姿の男が駆け込んできた。


 五十歳前後。


 がっしりした体。


「アンジェル領主夫人リン様でいらっしゃいますか」


「はい」


 男は姿勢を正した。


「ミルン国軍レグス大佐です」


「こんにちは」


「このたびは、ご来訪を知らず――」


「普通に来ただけだから」


「しかし、領主夫人ともあろう方が――」


「買い物もした」


「は?」


「学校も見た」


「はあ」


「本屋も」


「……」


「港も」


「リン様」


 ジェネが止める。


「大佐が困っております」


「あ、ごめんなさい」


     *


「リゲル様より書状が届いております」


「リゲルから?」


「はい」


「いつ?」


「昨日」


「私より速い!」


「早馬を使ったのでしょう」


「何て?」


 レグス大佐が書状を差し出す。


 簡潔だった。


 妻リンがミルンを訪れている。


 本人は私的な見聞のつもりだろうが、アンジェルを代表する立場でもある。


 迷惑をかけるかもしれない。


 よろしく頼む。


「最後の一文いらなくない?」


「必要かと」


 ジェネが言う。


「私、迷惑かけた?」


「……」


「なんで黙るの!」


     *


 結果。


 凛はミルンの統治者と会うことになった。


「大統領?」


「そのようなものです」


「王様じゃないんだ」


「ミルンは王国ではありません」


「へえ」


「リン様」


「何?」


「今知ったのですか?」


「うん」


「外国を見に来たのでしょう!」


「だから今見てる!」


 ジェネが頭を抱えた。


     *


 大きな建物。


 日本の官庁ほどではない。


 でも。


 凛には懐かしい空気がした。


「役所だ」


「楽しそうですね」


「ちょっと」


「なぜ?」


「嫌だったけど懐かしい」


「分かりません」


「私も」


 案内される。


 応接室。


 そこに。


 ミルンの大統領がいた。


「ようこそ」


「初めまして」


「アンジェルのリン殿」


「はい」


「噂は聞いております」


「魔を働かせてる?」


「それも」


「それも?」


「葡萄酒を造ったとか」


「あ、それならいい!」


 大統領が笑った。


     *


「アンジェルは変わりましたか?」


 尋ねられた。


「少し」


「豊かになった?」


「……それ」


 凛は考えた。


「よく分からなくなりました」


「ほう」


「葡萄酒は売れました」


「はい」


「道も開いた」


「はい」


「米も作った」


「米?」


「新しい穀物」


「なるほど」


「学校も作るつもり」


「素晴らしい」


「でも」


 凛は首を傾げる。


「それで国が豊かになったって言っていいのかな」


 大統領が笑った。


「領主夫人が私に聞くのですか?」


「だって分かんないから」


「正直な方だ」


「よく言われる」


「考えなしとも言われます」


 ジェネが加える。


「言わなくていい!」


     *


 凛はミルンで見たものを話した。


 道。


 学校。


 本。


 港。


 市場。


「アンジェルより、いろんなものがある」


「そうでしょう」


「仕事も」


「はい」


「行ける場所も」


「はい」


「でも貧しい人もいた」


「おります」


「学校へ行けない子も」


「おります」


「じゃあ」


 凛は聞いた。


「ミルンの人って幸せ?」


 大統領は少し驚き。


 笑った。


「それを私が決めるのですか?」


「あ」


 同じだ。


「そうですよね」


「ただ」


 大統領は続けた。


「選べるものは、多い方かもしれません」


 凛が顔を上げた。


「選べるもの?」


「農民の子が商人になることもある」


「うん」


「商人の子が学者になることも」


「うん」


「軍人になる者も」


「うん」


「故郷を離れる者も」


「うん」


「残る者も」


「うん」


「もちろん、望めばすべて叶うわけではありません」


「はい」


「金も、能力も、運も必要です」


「はい」


「ですが」


 大統領は言った。


「道はいくつかあります」


 道。


 凛は。


 昨日サエと話したことを思い出した。


     *


「それだ」


 建物を出て。


 凛は突然止まった。


「何です?」


 ジェネが聞く。


「私がやりたかったこと」


「何を?」


「国を豊かにすることじゃない」


「では?」


「道」


「道路ですか?」


「違う!」


 凛は笑った。


「選べる道!」


「……はい?」


「マイは学校に行きたい」


「はい」


「ポクルは船乗りになりたい」


「はい」


「米を作りたくない人もいる」


「はい」


「今の暮らしでいい人も」


「はい」


「だったら」


 凛は両手を広げた。


「それでいいんだよ」


「何が?」


「みんな同じにしなくていい」


 学校へ行く。


 行かない。


 畑をする。


 船に乗る。


 商売をする。


 アンジェルに残る。


 外へ行く。


「できるかどうかは別」


「はい」


「でも最初から一個しかないより」


 凛は言った。


「いくつか選べる方がいい」


 ジェネは少し考えた。


「それが、リン様の作りたい国ですか?」


 凛は答えようとして。


 止まった。


「私の?」


「はい」


「うーん」


 違う。


「私が作る国じゃない」


「では?」


「リゲルの国」


「……」


「みんなの国」


 そして。


「私も住んでる国」


 凛は笑った。


「そこで、選べるものをちょっと増やしたい」


「ちょっと?」


「全部なんて無理だから」


 ようやく。


 そのことも分かった。


「学校一個から」


     *


「お方様」


 後ろから声。


 ポクルだった。


「何?」


「船の学校」


「忘れてないよ」


「行ける?」


「まだ分かんない」


「そっか」


「でも」


 凛はしゃがんだ。


「リゲルに手紙書いてもらおう」


「うん」


「それまで勉強」


「うん」


「泳ぐ」


「うん」


「お母さんに話す」


 ポクルの顔が曇る。


「……うん」


「そこが一番難しそうだね」


「うん」


 二人で笑った。


     *


 その夜。


 凛はリゲルへ手紙を書いた。


 ミルンは豊かです。


 でも、豊かだからみんな幸せ、というほど簡単ではありませんでした。


 学校があります。


 本があります。


 仕事があります。


 船があります。


 そして。


 ポクルが船乗りになりたいと言いました。


 タルシアに航海学校があるそうです。


 帰ったら相談があります。


 それから。


 私、少し分かった気がします。


 アンジェルを日本みたいにしたいわけじゃありません。


 米を作りたくない人は、作らなくていい。


 学校へ行きたくない人も、行かなくていい。


 でも。


 やりたいことができたとき。


 最初から「そんな道はありません」で終わらない国にしたい。


 そんなことを思いました。


「……恥ずかしいな」


 凛は読み返す。


「消そうかな」


「もう書いたのですから」


 サエが言う。


「送ればよいのでは?」


「そう?」


「はい」


「じゃあ送る」


 書状を畳む。


 最後に。


 一行だけ足した。


 **帰ったら、いっぱい話します。**


 それが。


 今は一番楽しみだった。


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