先生になりませんか
「給料?」
「うん」
サエが聞き返した。
「出るんですか?」
「出すよ!」
「学校なのに?」
「先生が霞食べて生きられるなら別だけど」
「霞?」
「何でもない」
凛は指を折った。
「住むところ」
「はい」
「食べ物」
「はい」
「それと給料」
「そんなに?」
「働いてもらうんだから当然でしょ」
サエは困ったように笑った。
「私、教師じゃありませんよ」
「知ってる」
「教えたこともありません」
「聞いた」
「では、なぜ私なのです?」
「読み書きできる」
「はい」
「計算も?」
「簡単なものなら」
「本を書くくらい文章も書ける」
「それは」
「子供に話をするのも下手じゃなさそう」
「なぜ分かるんです?」
「本読んだから」
「それだけ?」
「あと」
凛は少し考えた。
「学校に行けたから、今のサエがいる」
サエの顔から笑みが消えた。
「もし、あのとき」
両親を失った少女を。
国が拾わなかったら。
読み書きを教えなかったら。
「この本、なかったかもしれないでしょ」
机の上。
『海がきらめく』
サエは本へ視線を落とした。
「……そうですね」
「アンジェルにもいるんだ」
「誰が?」
「まだ自分が何をしたいか知らない子」
マイは学校へ行きたいと言った。
ポクルは船に乗りたいと言った。
でも。
カスルは。
まだ分からないと言った。
「分からない子がいてもいいと思う」
「はい」
「でも」
凛は言った。
「知らないから選べないのは、ちょっと嫌だなって」
サエが顔を上げた。
「だから学校を?」
「たぶん」
「たぶん?」
「最初は違ったから」
「何が?」
「学校ないなんてかわいそうって思った」
凛は苦笑する。
「私の国では、子供が学校に行くのが普通だったから」
「はい」
「だから、こっちもそうした方がいいって」
「今は?」
「行きたい人が行ければいい」
「全員ではなく?」
「うん」
「子供を働かせている家も?」
「無理に行かせない」
「それでは、来ない子もいます」
「いると思う」
「よいのですか?」
少し前なら。
迷ったかもしれない。
「いい」
凛は答えた。
「でも、行きたくなったときに行けるようにはしたい」
*
「建物は?」
「ない」
「教材は?」
「ほとんどない」
「本は?」
「今買って帰る」
「何冊?」
「予算と相談」
「生徒は?」
「分かんない」
「授業時間は?」
「決めてない」
「何を教えるかは?」
「読み書きと計算から」
「ほかは?」
「相談」
サエは黙った。
「……本当に何も決まっていない」
「これから決める」
「私に?」
「一緒に」
「お方様が決めないのですか?」
「私、先生やったことないもん」
「私もありません」
「じゃあ二人で考える」
「二人とも素人ですよ」
「クルムもいる」
「クルムさんは?」
「読み書きできる」
「教師では?」
「ない」
「素人が増えただけでは?」
「あ」
ジェネが吹き出した。
「笑うな!」
*
「農繁期は?」
サエが聞く。
「休みにする」
「冬は?」
「増やしてもいい」
「朝、畑仕事をする子は?」
「午後」
「午後に仕事がある子は?」
「朝」
「毎日来られない子は?」
「来られる日」
「それで授業になります?」
「分かんない」
「また」
「だから試す」
サエが凛を見る。
「失敗したら?」
「失敗したところ変える」
「……それ」
「何?」
「本を書くのと似ています」
「そうなの?」
「書いて」
「うん」
「読んで」
「うん」
「駄目なら直す」
「同じじゃん!」
「同じですね」
二人で笑った。
*
その日の夕方。
サエは一人で考えたいと言った。
凛たちは宿へ戻った。
「来るかな」
「分かりません」
ジェネが答える。
「来てほしい」
「なら、もっと押せばよかったのでは?」
「駄目」
「なぜ?」
「本人が決める」
「成長しましたね」
「馬鹿にしてる?」
「褒めています」
「ほんと?」
「八割ほど」
「残り二割!」
翌朝。
宿を出ると。
サエが待っていた。
小さな鞄を持って。
「……え?」
「おはようございます」
「それ」
「荷物です」
「何で?」
「アンジェルへ行きます」
「本当に!?」
「ただし」
「はい!」
「まだ教師になるとは決めていません」
「はい!」
「まず見ます」
「はい!」
「子供たちとも話します」
「はい!」
「それから決めます」
「はい!」
「……聞いています?」
「聞いてる!」
「顔が教師になったって言ってます」
「言ってない!」
言っていた。
サエが笑った。
「それから」
「何?」
「私もお願いがあります」
「何?」
「アンジェルでも本を書いていいですか?」
「もちろん」
「教師になっても?」
「当たり前じゃん」
「仕事は?」
「学校だけが人生じゃないでしょ」
サエが少し驚いた。
凛も。
自分で言って。
「あ」
「どうしました?」
「今のいいこと言った」
「自分で言います?」
「覚えとこう」
*
その日の午後。
港へ向かった。
ポクルがもう一度船を見たいと言ったからだ。
「今日は大きいのいる!」
昨日より大きな帆船が入っていた。
「すごい!」
少年は夢中だ。
その隣で。
サエも海を見ていた。
「海がきらめく」
凛が言う。
「はい」
「本の題名と同じ」
「そうですね」
「なんでその題名?」
「夢で見たんです」
「札幌じゃない?」
「違います」
「どこ?」
「分かりません」
青い海。
大きな船。
「でも」
サエは言った。
「知らない場所を見ると、行ってみたくなります」
「うん」
「知らなければ」
少し考える。
「行きたいとも思わないんでしょうね」
凛は。
隣で船を見ているポクルへ目を向けた。
「そうか」
知らないから。
選べない。
知ったから。
行きたいと思う。
「学校って」
「はい?」
「そういう場所でもいいのかも」
「何を教えるのです?」
「世界には、いろんなものがあるってこと」
サエは海を見る。
「それなら」
小さく笑った。
「少し、やってみたいです」
「先生?」
「まだです」
「ちぇ」
「急かさないでください」
でも。
アンジェルへ帰る人数は。
一人増えた。




