ありえない本
「作者に会いたい?」
「うん」
「なぜです?」
クルムの父が尋ねた。
「この本の風景に見覚えがある」
「お方様の故郷ですか?」
「たぶん」
凛は本を机へ置いた。
「でも」
説明が難しい。
「私、この世界の人じゃないんです」
沈黙。
「……はい?」
「ですよね」
凛はリゲルに説明したときより困った。
「別の世界から来た」
「お方様」
クルムの父が娘を見る。
「大丈夫なのか?」
「私に聞かないでください」
「大丈夫!」
凛が言う。
「たぶん!」
「たぶん?」
「そこ突っ込まないで!」
*
簡単に事情を話した。
日本。
死。
この世界。
「信じられませんな」
「普通そうですよね」
「ですが」
クルムの父は本を見る。
「神や魔がいる世界です」
「うん」
「別世界くらい、あってもよいのかもしれません」
「適応早い!」
「商人は珍しい話が好きですから」
「そういう理由?」
「それで、サエという作家ですが」
「知ってる?」
「直接は」
まだ若い。
十七歳ほど。
「十七!?」
「はい」
「この本書いたの?」
「そう聞いております」
「どこにいる?」
「王都パンです」
「パン?」
「首都です」
「美味しそう」
「リン様」
「はい」
*
パンまでは二日。
「行くのですか?」
ジェネが聞く。
「行く」
「予定にありません」
「増えた」
「簡単に増やさないでください!」
「でも会いたい」
「なぜ?」
凛は本を見る。
「確かめたい」
日本を知っているのか。
自分と同じ転移者なのか。
それとも。
別の何かなのか。
*
王都パン。
「都会!」
凛が叫ぶ。
「人多い!」
「リン様、田舎者みたいです」
「田舎から来たからいいの!」
アンジェルとはまるで違う。
大きな建物。
店。
馬車。
役所。
学校。
「役所!」
「そっちへ行かないでください!」
「ちょっと見たい!」
「作家です!」
「そうだった!」
*
サエが暮らしているのは。
王都の外れにある、小さな家だった。
「ここ?」
「はい」
想像より質素。
扉を叩く。
「はい」
少女が出てきた。
十七歳。
黒に近い茶色の髪。
細い体。
少し警戒した目。
「サエさん?」
「そうです」
「私、リン」
「……知っています」
「え?」
「アンジェルの領主夫人」
「有名?」
「変わった領主夫人がいると」
「どんなふうに?」
「魔を捕まえて働かせている」
「そこ!?」
ジェネが後ろで笑いをこらえている。
*
「この本」
凛は『海がきらめく』を出した。
「ありがとうございます」
「質問していい?」
「はい」
「札幌知ってる?」
サエの顔。
変わらない。
「さっぽろ?」
「北海道」
「ほっかいどう?」
「日本」
「にほん?」
知らない。
凛の期待が少ししぼむ。
「そっか」
「それはどこです?」
「私の故郷」
「この世界に?」
「ない」
サエが凛を見る。
「やっぱり」
「何が?」
「お方様も夢を見るんですね」
凛が止まった。
「……夢?」
「はい」
「どんな?」
「知らない町」
雪。
大きな町。
真っ直ぐな道路。
公園。
市場。
「それを書いた?」
「はい」
「夢だけで?」
「何度も見るんです」
「いつから?」
「子供のころから」
凛は本を握る。
「ほかには?」
「海の向こうの町」
「日本?」
「名前は分かりません」
「文字は?」
「読めません」
「人は?」
「私たちと似ています」
「車は?」
「くるま?」
「馬なしで走る箱」
サエの目が大きくなる。
「あります」
「やっぱり!」
「お方様は知っているのですか?」
「知ってる!」
凛は身を乗り出した。
「電車!」
「でんしゃ?」
「長い箱がいっぱいつながって走る!」
「あります!」
「信号!」
「何です?」
「赤青黄色!」
「あります!」
「コンビニ!」
「それは?」
「何でも売ってる小さい店!」
「……似たものは」
「たぶんそれ!」
「リン様、落ち着いてください!」
*
サエ自身は。
日本へ行ったことなどない。
この世界で生まれた。
両親もこの世界の人。
「じゃあ、なんで」
「分かりません」
サエは言う。
「ただ夢を見るんです」
「毎日?」
「時々」
「同じ人は出る?」
「……います」
「誰?」
「女の人」
「名前は?」
「分かりません」
「顔は?」
「私に少し似ています」
凛の胸がざわつく。
「その人、何してる?」
「物語を書いています」
「作家?」
「たぶん」
「名前は?」
「夢の中で」
サエは考えた。
「ヒカワ、と呼ばれていました」
凛は固まった。
「ヒカワ?」
「はい」
知っている。
凛が日本にいたころ。
何冊か読んだ作家。
北海道を舞台にした作品も書いていた。
「でも」
凛は呟く。
「亡くなったはず」
「誰が?」
「ヒカワさん」
ニュースで見た。
まだ若かった。
病気だったと思う。
「いつ?」
「私がこっちへ来る前」
凛はサエを見る。
十七歳。
「まさか」
転生?
生まれ変わり?
記憶?
「分かんない」
「私もです」
サエは笑った。
「でも」
「何?」
「夢の町が、本当にどこかにあったなら」
少女の目が輝いた。
「嬉しいです」
「なんで?」
「私が全部考えたわけじゃないから?」
「違います」
サエは首を振った。
「いつか行ってみたいと思っていたから」
凛は何も言えなくなった。
行けない。
少なくとも。
今の凛には。
日本へ戻る方法など分からない。
*
「サエは学校行った?」
話が落ち着いてから聞いた。
「はい」
「どこ?」
「国の学校です」
「家、お金持ち?」
「いいえ」
「じゃあどうやって?」
「私は国に育てられました」
「え?」
幼いころ。
魔力による洪水で。
村が流された。
両親を失った。
「国が?」
「同じような子供を集める場所があります」
凛は黙った。
リルラ。
カスル。
ポクル。
アンジェルには。
そういう仕組みがない。
「学校も?」
「読み書きと計算を習いました」
「だから作家になれた?」
「それだけではありませんけど」
「でも字を知らなかったら?」
「書けませんね」
「だよね」
凛の頭の中で。
何かがつながった。
「サエ」
「はい」
「今、仕事は?」
「本を書いています」
「儲かる?」
「……あまり」
「学校で教えたことは?」
「ありません」
「子供好き?」
「嫌いではありません」
「アンジェルって知ってる?」
「何もないところ」
「みんなそれ言う!」
サエが笑った。
「じゃあ」
凛は身を乗り出した。
「何もないところに、学校作ってみない?」
サエの笑顔が止まった。
「……はい?」
ジェネが額を押さえた。
「始まりました」
「何が?」
「リン様の人さらいです」
「勧誘!」
「シロイチ、バッカス、モモ」
「モモはベガさんから!」
「半分以上、人さらいです」
「違う!」
サエが二人を交互に見る。
「学校?」
「うん」
「私が?」
「うん」
「なぜ?」
凛は答えようとして。
止まった。
教師が必要だから。
それだけでは。
また自分が勝手に決めることになる。
「まず」
凛は言い直した。
「アンジェルを見に来ない?」
「見る?」
「うん」
「それから決めて」
「断っても?」
「もちろん」
「本当に?」
「本当に」
サエは少し考えた。
「何もないんですよね?」
「物は少ない」
「学校も?」
「ない」
「本屋は?」
「ない」
「紙は?」
「高い」
「……本当に何もない」
「だからみんな言うな!」
でも。
凛は笑った。
「畑はある」
「はい」
「山も」
「はい」
「葡萄酒も」
「はい」
「変な魔もいる」
「それは要りません」
「私も最近そう思う」
「リン様!」
ジェネが抗議する。
「あと」
凛は窓の外を見る。
「自分の暮らしが好きな人が、結構いる」
サエが少しだけ興味を示した。
「豊かではないのに?」
「うん」
「なぜ?」
「私もそれを知りたい」
凛は笑った。
「だから今、聞いてるところ」
サエは。
しばらく考えていた。
「行ってみたいです」
「本当?」
「はい」
「やった!」
「まだ教師になるとは言っていません」
「分かってる!」
「本当に?」
「……八割くらい」
「リン様!」
ジェネの声が。
王都パンの小さな家に響いた。
死んだ作家の新刊だと思った本は。
新しい学校の先生を、
アンジェルへ連れてくることになるかもしれなかった。




