豊かな国
「これ、クルムの部屋?」
「昔のです」
「広い!」
「そうでしょうか」
「私の日本の部屋より広い!」
「にほん?」
「昔住んでたところ」
クルムの実家。
凛は朝から驚きっぱなしだった。
「お父さん何してる人?」
「商いを」
「何の?」
「いろいろです」
「それ一番怪しい答え!」
布。
穀物。
酒。
薬。
船荷。
「大商人じゃん!」
「父はそう呼ばれるのを嫌います」
「でも大商人?」
「……はい」
「ほら!」
*
クルムの父は。
凛が想像したより穏やかな男だった。
「娘がお世話になっております」
「こちらこそ」
「アンジェルへ行くと言ったときは驚きました」
「なんで?」
「何もないところだと聞いておりましたので」
「やっぱりそういう扱い?」
「失礼」
「いや、実際物は少ない」
凛は笑った。
「でも住んでみたら結構いいよ」
「そうなのですか?」
「うん」
「何が?」
「……何だろ」
聞かれると。
難しい。
「人?」
「人」
「あと」
畑。
空。
時間。
「ゆっくりしてる」
「商人には向きませんな」
「かも」
クルムの父が笑う。
*
「アンジェルの葡萄酒」
「はい」
「評判を聞いております」
「本当?」
「少量しか入らなかったとか」
「十二本しか作ってない」
「それは少なすぎます」
「やっぱり?」
「次は?」
「増やすつもり」
「でしたら」
商人の顔になった。
「ぜひ我が家にも」
「買ってくれる?」
「値段次第で」
「そこ大事だよね」
「当然です」
「安くしないよ」
「当然です」
凛は笑った。
「商売って面白い」
「お方様が?」
「うん」
「意外です」
「私も」
日本では。
企業との話は苦手だった。
数字。
要望。
圧力。
調整。
でも。
今は。
売れれば。
葡萄農家に金が入る。
酒造りの仕事が増える。
学校にも回せる。
「見えるんだよね」
「何が?」
「お金の行き先」
クルムの父は。
少し不思議そうに凛を見た。
*
翌日。
「港!」
ポクルが叫んだ。
凛より先だった。
「大きい!」
海。
船。
帆柱。
荷物。
人。
声。
匂い。
「すごいな」
凛も立ち止まった。
日本の港とは違う。
木造船。
帆船。
人力。
それでも。
港だった。
「船!」
ポクルが走る。
「待って!」
凛が追う。
「落ちるなよ!」
「うん!」
「絶対だよ!」
「うん!」
少年は聞いているのかいないのか。
一隻。
また一隻。
「これどこ行くの?」
「向こうの国だ」
船員が答える。
「これは?」
「タルシア」
「タルシア?」
凛が聞く。
「海の向こう?」
「そうだ」
「どれくらい?」
「風次第だな」
ポクルが船員を見上げる。
「どうしたら船に乗れる?」
「客なら金を払え」
「違う」
「ん?」
「船で働く」
船員が笑った。
「坊主にはまだ早い」
「何歳なら?」
「まず読み書き覚えろ」
「なんで?」
「荷物も読めん奴を船に乗せられるか」
ポクルが止まった。
凛も。
「読み書き?」
「当然だろ」
「船乗りって文字いるの?」
「上へ行きたきゃな」
荷札。
港の記録。
積荷。
航路。
「計算もできた方がいい」
「計算」
ポクルが凛を見る。
「学校」
凛が言った。
「……学校?」
「うん」
ポクルの中で。
初めて。
学校と船がつながった。
*
「学校行く」
その夜。
ポクルが言った。
「急だね」
「船乗る」
「そのため?」
「うん」
「いいと思う」
「字教えて」
「私?」
「うん」
「こっちの字、私まだ下手だよ」
「お方様なのに?」
「マイにも言われた!」
クルムが笑う。
「私がお教えしましょう」
「本当?」
「はい」
ポクルが嬉しそうに頷いた。
兄のカスルは。
少し離れたところで見ている。
「カスルは?」
「俺?」
「学校」
「……分かんない」
「それでいいよ」
「行かなくても?」
「行きたくなったら行けばいい」
「ポクルだけ?」
「それもいい」
同じ兄弟でも。
同じでなくていい。
*
翌日。
凛は一人で市場を歩いた。
もちろん。
少し離れてジェネとベテルがいる。
「一人じゃないじゃん」
「何か?」
「独り言!」
豊かだ。
アンジェルより。
明らかに。
物が多い。
店が多い。
仕事も多い。
人も多い。
でも。
路地へ入れば。
粗末な服の子供もいる。
荷を運ぶ子供。
物乞い。
「どこも同じか」
豊かな国。
だから。
全員が豊かではない。
「難しいなあ」
凛は呟いた。
*
「お方様」
市場の帰り。
クルムの家の子供。
サリが本を読んでいた。
「何読んでるの?」
「物語です」
「面白い?」
「はい」
「見せて」
表紙。
題名。
『海がきらめく』
「海の話?」
「少し違います」
「どんな?」
「北の町に住む女の子のお話です」
「北?」
「雪がたくさん降る町」
凛は本を開いた。
そして。
止まった。
雪。
白い街。
真っ直ぐな道。
遠くの山。
冬の市場。
「……これ」
胸の奥がざわつく。
「どうしました?」
「この作者」
表紙を見る。
「サエ?」
「はい」
「どこの人?」
「知りません」
「有名?」
「最近人気です」
凛はページをめくる。
そこに。
見覚えのあるものがあった。
雪の中。
赤と白の塔。
大きな公園。
「……嘘」
「お方様?」
凛は本を見つめた。
「これ」
声が震える。
「札幌みたい」
「さっぽろ?」
日本。
北海道。
存在するはずのない風景。
凛は本を閉じた。
「この人」
「はい?」
「会える?」
「作者に?」
「うん」
サリは首を傾げる。
「お父様なら知っているかもしれません」
「聞いて!」
「今?」
「今!」
「リン様」
ジェネが呆れる。
「今度は何を始めるのです?」
「分かんない」
本当に。
分からない。
ただ。
異世界で初めて見た。
自分以外の、
日本の記憶かもしれないもの。
「会ってみたい」
凛はもう一度、
『海がきらめく』
その題名を見た。
アンジェルの学校を考えるために来た外国で。
凛は。
自分のいた世界につながるかもしれない、
一冊の本を見つけてしまった。




