領主夫人の仕事
「この国、どうやって動いてるの?」
朝食の席。
リゲルの手が止まった。
「突然ですね」
「ずっと不思議だった」
「何が?」
「役人いないじゃん」
「おりますよ」
「どこに?」
「ジェネ」
「私は違います!」
「違うの?」
「護衛と家政の取りまとめです!」
「何でもやってるから役人だと思ってた」
「違います!」
ベテルを見る。
「ベテルは?」
「兵です」
「偉い?」
「一応、兵をまとめております」
「じゃあ軍人」
「そのようなものです」
「税金集める人は?」
「村ごとにおります」
「道路は?」
「村と領主で」
「裁判は?」
「軽い争いは村。重大なものは私です」
「戸籍は?」
「こせき?」
「誰がどこに住んでるか」
「村で分かります」
「国全体では?」
「先日数え始めたところですね」
「私が言ったからじゃん!」
「はい」
凛は頭を抱えた。
「よくこれで国動くなあ」
「動いております」
「それが不思議なの!」
*
午前中。
リゲルが保存している記録を見せてもらった。
「少ない」
「そうですか?」
「少ない!」
木片。
羊皮紙に似たもの。
紙はほんのわずか。
税。
土地。
争い。
交易。
「全部書かないの?」
「重要なことは」
「重要じゃないことは?」
「覚えております」
「誰が?」
「皆が」
「皆が死んだら?」
「次の者へ伝えます」
「伝え忘れたら?」
「困りますね」
「困るよ!」
凛は頭を抱えた。
だが。
話を聞くうち。
「……あれ?」
思っていたのと少し違うことにも気づいた。
「村でかなり決めてる?」
「はい」
畑の境。
水路の順番。
共同作業。
祭り。
助け合い。
小さな争い。
「領主が全部決めない?」
「決めません」
「なんで?」
「村の者の方が詳しいからです」
凛は止まった。
「それ」
「何です?」
「正しい」
「そうですか?」
「うん」
農業と同じだ。
現場のことは。
現場の人間が一番知っている。
「じゃあ領主は何するの?」
「村同士で決められないこと」
「例えば?」
「水の争い」
「うん」
「大きな道」
「うん」
「外国との交渉」
「うん」
「魔への対処」
「それ最近私がやってる」
「拾っておりますね」
「雇ってると言って!」
「重大な罪」
凛の笑いが止まった。
「……うん」
「それから」
リゲルが続ける。
「一つの村だけでは助けられない者」
「あ」
リルラ。
「そこ」
「はい」
「今まで弱かった?」
「そうかもしれません」
「リゲルでも?」
「私もすべてを見ることはできません」
「そっか」
当たり前なのに。
凛は少し意外だった。
*
「神様がいるなら」
凛は聞いた。
「全部神様に聞けばいいんじゃない?」
「できません」
「なんで?」
「神は、何でも答えるわけではありません」
「重大事件は?」
「最後の確認だけです」
「政治は?」
「ほとんど答えません」
「ケチ」
「リン」
「はい」
「聞こえているかもしれません」
「神様、ごめんなさい」
少し待つ。
「怒られない?」
「今のところ」
「よかった」
リゲルが笑った。
「神は、人が決めるべきことを人に任せます」
「便利な答えだなあ」
「私もそう思うことがあります」
「リゲルも思うんだ!」
「当然です」
領主になったばかりのころ。
何度も神へ聞いたという。
どうすればいい。
何が正しい。
「答えてくれた?」
「ほとんど」
「ほとんど?」
「『考えなさい』と」
「先生みたい」
「腹が立ちました」
「リゲルが?」
「若かったので」
「今も若いじゃん」
「叔母上を基準にしないでください」
*
「領主って」
凛は言った。
「大変だね」
「今さらですか?」
「うん」
「結婚する前に気づいていただきたかった」
「領主夫人は働かなくていいと思ってた」
「よく結婚しましたね」
「声がよかったから」
「顔は?」
「そこそこ」
「タム様と同じですね」
「怒った?」
「少し」
「でも好き」
「なら許します」
「簡単だ」
*
午後。
クルムが訪ねてきた。
「お方様」
「何?」
「お願いがございます」
「学校?」
「違います」
「葡萄?」
「違います」
「魔?」
「なぜ魔だと思うのです?」
「最近多いから」
「普通のお願いです」
「よかった」
クルムは少し言いにくそうにした。
「一度、ミルンへ戻りたいのです」
「故郷?」
「はい」
クルムはミルンの出身だった。
「家族に会いたい?」
「それもございます」
「じゃあ行っておいで」
「よろしいのですか?」
「なんで駄目なの?」
「お方様のお世話が」
「ジェネいる」
「私に全部押しつけないでください!」
「モモも」
「私は酒とお菓子」
「バッカス」
「何の世話をさせる気ですか!」
「無理か」
「絶対無理です!」
クルムが笑った。
「では、お言葉に甘えます」
「いつ?」
「十日ほど後に」
「……ねえ」
凛の頭に。
ポクルの顔が浮かんだ。
船。
外国。
そして。
ミルン。
「私も行っていい?」
「え?」
クルムが固まる。
ジェネも。
リゲルも。
「リン」
「はい」
「何を思いつきました?」
「外国を見たい」
「なぜ?」
「この国のこと、もっと知りたいから」
「外国なのに?」
「比べないと分かんないことあるでしょ」
アンジェルは貧しい。
そう聞いた。
でも。
何と比べて?
「ミルンって豊かなんだよね」
「アンジェルよりは」
「学校ある?」
「ございます」
「船は?」
「大きな港があります」
「紙は?」
「アンジェルより安価です」
「本は?」
「ございます」
凛の目が輝いた。
「行く!」
「まだ許可しておりません」
「リゲルも行く?」
「私は」
少し考える。
「今回は残ります」
「なんで?」
「領主ですから」
「あ」
「二人とも国を空けるわけにはいきません」
「そっか」
領主夫人。
好き勝手に旅をする立場でもない。
「じゃあ私が」
「護衛をつけます」
「ジェネ?」
「はい」
「ベテルも」
「また?」
「リンには必要です」
「実績?」
「実績です」
「はい」
*
「ポクルも連れていけないかな」
凛が言うと。
全員が黙った。
「何?」
「なぜです?」
リゲルが聞く。
「船見たいって」
「それだけで?」
「それだけじゃ駄目?」
「母親の許可が必要でしょう」
「もちろん聞く」
「旅費は?」
「私が――」
凛は止まった。
すぐ払うと言うのも。
どうなのだろう。
「仕事にする」
「仕事?」
「荷物運びとか」
「子供ですよ」
「じゃあ見習い?」
「リン」
「うーん」
凛は考え直す。
「まずリルラさんに相談する」
「それがよいでしょう」
「あとカスルも」
「兄も?」
「弟だけ連れてったら嫌でしょ」
「本人に聞いてください」
「あ」
「学びましたね?」
「はい」
*
その夜。
凛は地図を広げた。
アンジェル。
ミルン。
その先。
海。
「外国かあ」
「楽しそうですね」
「楽しみ」
「遊びではありませんよ」
「分かってる」
「本当に?」
「半分くらい」
「リン」
「八割!」
「増えましたね」
凛は笑った。
「でも」
「はい」
「見てくる」
「何を?」
「豊かな国」
そして。
「そこに住んでる人が、本当にアンジェルより幸せなのか」
リゲルは少し驚いた顔をした。
「分かるでしょうか」
「分かんない」
「では?」
「見ないよりはいい」
学校。
仕事。
金。
船。
選べるもの。
アンジェルにはないものが。
ミルンにはある。
それが。
人を幸せにするのか。
凛にはまだ分からない。
「行ってきます」
「はい」
「寂しい?」
「かなり」
「私も」
凛は笑って。
リゲルの肩へ頭を預けた。
この世界へ来てから。
初めて。
凛はアンジェルの外を、
自分の目で見ようとしていた。




