リゲルの国
「リン様」
朝食を終えたところで。
ベテルが珍しく自分から声をかけてきた。
「何?」
「少し、お時間をいただけますか」
「いいよ」
「できれば、リゲル様も」
凛はリゲルを見る。
「何かあった?」
「聞いておりません」
ベテルの顔はいつもと変わらない。
だが。
「何かあるね」
「ございます」
「どこ?」
「村です」
「また橋?」
「違います」
「獣?」
「違います」
「魔?」
「違います」
「じゃあ?」
ベテルが少しだけ間を置いた。
「罪人の家族です」
*
館からそれほど遠くない村。
凛は何度か通ったことがあった。
「ここ?」
「はい」
村の外れ。
畑から少し離れたところ。
小さな家。
いや。
家と呼ぶには傷みすぎている。
屋根の一部が落ち。
壁には隙間。
「人住んでるの?」
「はい」
「何人?」
「三人」
ベテルが扉を叩く。
「リルラ」
しばらくして。
女が顔を出した。
三十代だろうか。
痩せている。
凛を見ると。
顔色が変わった。
「お、お方様」
「こんにちは」
女が慌てて膝をつこうとする。
「いい、いい!」
凛が止める。
「今日は話を聞きに来ただけ」
「私に?」
「うん」
家の中。
二人の少年がいた。
一人は十歳前後。
もう一人はもう少し幼い。
「カスルとポクルです」
ベテルが教える。
「こんにちは」
二人とも返事をしない。
母親の後ろへ隠れる。
「怖がられてる?」
「お方様ですから」
「ジェネ、それ慰めになってない」
*
「夫は」
リルラが言った。
「二年前に処刑されました」
凛は黙った。
「何をしたの?」
「人を殺しました」
答えたのはリゲルだった。
凛が振り返る。
「知ってるの?」
「はい」
「リゲルが裁いた?」
「はい」
空気が変わった。
いつもの。
少し天然で。
穏やかな夫。
でも。
領主。
「……そうなんだ」
「はい」
リルラは俯いている。
「夫の罪は、夫の罪です」
女が言った。
「私たちは罰を受けておりません」
「じゃあ」
凛は家を見る。
「どうして?」
「仕事がございません」
「畑は?」
「夫が死んだあと、手放しました」
「なんで?」
「一人では」
女だけでは耕せない。
子供はまだ小さい。
「村の人は?」
リルラは答えなかった。
凛はベテルを見る。
「助けない?」
「助けてはいません」
「なんで?」
「罪人の家族だからです」
「でも、罰は受けてないんでしょ?」
「はい」
「おかしくない?」
ベテルは答えない。
リゲルも。
「食べ物は?」
「何とか」
「何とかって?」
「仕事をいただけるときもあります」
「どんな?」
「洗い物や、掃除を」
「畑仕事は?」
「……あまり」
「どうして?」
リルラはまた黙った。
凛はそれ以上聞けなかった。
*
外へ出る。
「どういうこと?」
凛はリゲルへ尋ねた。
「法律で家族まで罰するの?」
「いいえ」
「じゃあ何で?」
「村が避けています」
「それ、罰じゃん」
「法による罰ではありません」
「でも」
「リン」
リゲルの声は静かだった。
「人の気持ちを、法で命じることはできません」
殺された者にも家族がいる。
友人も。
親戚も。
「加害者の家族と仲良くしろ、と?」
「……言えない」
「仕事を与えろ、と?」
「それも」
凛は黙った。
難しい。
「でも子供は何もしてない」
「はい」
「お母さんも」
「はい」
「このままでいいの?」
「よくはありません」
「じゃあ」
「だからベテルが、リンに見せたのでしょう」
凛はベテルを見る。
「私に?」
「はい」
「なんで?」
「リン様が、国のことを知りたいとおっしゃったからです」
橋。
畑。
米。
学校。
そんなものだけが国ではない。
「……重いなあ」
「はい」
「先に言ってよ」
「言えば来ませんでしたか?」
「来たけど」
「では同じです」
「ベテルまでリゲルみたいになってきた」
*
「処刑って」
帰り道。
凛はリゲルへ聞いた。
「どうやって決めるの?」
「重大な罪については、私が裁きます」
「一人で?」
「証言を聞きます。証拠も調べます」
「それで?」
「最後に神へ問いかけます」
「神様が犯人教えてくれる?」
「すべてを教えるわけではありません」
「じゃあ?」
「偽りがあるか。大きな誤りがないか。それを確かめます」
「便利だけど」
「はい」
「怖いね」
「はい」
「間違えたら?」
「取り返しがつきません」
リゲルは前を見ている。
「リルラさんの旦那さんのときは?」
「本人も認めました」
「そっか」
「殺された者の家族も、極刑を望みました」
「リゲルは?」
少し。
間があった。
「必要だと判断しました」
「眠れた?」
リゲルが凛を見る。
「その夜」
「……眠れませんでした」
「そっか」
凛はそれ以上聞かなかった。
領主。
その言葉が。
今までとは少し違って見えた。
*
「リルラさんたち」
館へ戻ってから。
凛は言った。
「米のところで働いてもらうのは?」
「可能です」
「住むところもある」
ベガが残した水田。
管理用の小屋。
今は誰も使っていない。
「村から離れられる」
「はい」
「でも」
凛は止まった。
「勝手に決めちゃ駄目だ」
リゲルが少し笑った。
「学びましたね」
「最近いっぱい学んでる」
「では?」
「本人に聞く」
*
翌日。
もう一度リルラの家へ行った。
「仕事があります」
凛は言った。
リルラの顔が上がる。
「田んぼ」
「田?」
「米を作ってるところ」
「はい」
「人手が足りない」
これは嘘ではない。
大規模化はやめた。
でも。
維持する人は必要。
「働いてくれたら、お金と食べ物を払います」
「私が?」
「うん」
「罪人の妻ですよ」
「それ、仕事に関係ある?」
リルラが黙る。
「私は関係ないと思う」
「でも」
「嫌なら断っていい」
「……断っても?」
「もちろん」
「お方様の命令では?」
「お願い」
リルラは二人の息子を見る。
「住む場所もあります」
「ここを出る?」
「嫌なら通ってもいい」
「遠いです」
「じゃあ住む?」
「……」
「今決めなくてもいいよ」
凛は立ち上がった。
「考えて」
そのとき。
小さい方の少年。
ポクルが初めて口を開いた。
「そこ」
「ん?」
「海、見える?」
「海?」
「うん」
「田んぼから?」
凛は考える。
「高いところに登れば、たぶん」
「船は?」
「船?」
「見える?」
「遠いけど」
少年の目が少しだけ輝いた。
「船、好き?」
ポクルは頷いた。
「乗ったことある?」
首を振る。
「見たことは?」
「一回」
「どこで?」
「ミルンから来た船」
「へえ」
「大きかった」
さっきまで俯いていた少年が。
船の話だけは。
顔を上げた。
「乗りたい?」
凛が聞く。
リルラが息子を見る。
ポクルは。
少し迷ってから。
「……乗ってみたい」
そう言った。
凛はその言葉を、
なぜか長く覚えている気がした。
学校へ行きたいマイ。
船へ乗ってみたいポクル。
国を豊かにする。
そんな大きな言葉より。
もしかすると。
領主夫人が見るべきものは、
こういう小さな言葉なのかもしれなかった。




