道が開いた
「私も行く」
「駄目です」
「なんで!」
「この前の件をお忘れですか?」
「忘れてない」
「山へ行かないと約束したでしょう」
「約束してないよ」
「……確かに」
「努力するって言った」
「もっと悪いですね」
「今回は安全!」
「なぜです?」
「バッカス、もういないもん」
庭の向こうから声が飛んだ。
「いるぞ!」
「そっちじゃなくて山道に!」
「勝手に消すな!」
リゲルは頭を抱えた。
「では、ジェネを連れて行ってください」
「いいの?」
「ベテルも」
「大げさじゃない?」
「リンには必要です」
「信用ないなあ」
「実績です」
「反論できない」
*
十二本の『アンジェルの雫』。
荷車には、それだけではもったいないので、干した果物と薬草も積んだ。
「少ないね」
凛が酒を見る。
「試しですから」
ジェネが答える。
「売れるかな」
「売るとおっしゃっていたではありませんか」
「言うのと実際に売るのは違うよ」
「急に弱気ですね」
「商品作ると怖くなるんだよ」
売れなかったら。
美味しくないと言われたら。
値段が高いと言われたら。
「農家の人に期待させちゃったし」
「まだ大きな約束はしていないのでしょう?」
「うん」
「なら、結果を持ち帰ればよいのでは?」
「ジェネ」
「はい」
「最近いいこと言うね」
「最近は余計です」
*
山道へ入った。
以前。
バッカスがいた場所。
「……普通」
鳥の声。
木漏れ日。
風。
何もない。
「本当に道開いたんだ」
「はい」
「もっと感動的かと思った」
「何を期待していたのです?」
「道の両側でみんな拍手とか」
「誰がするのです?」
「分かんない」
荷車が進む。
途中。
向こうから商人らしい一行が来た。
「お」
すれ違う。
「こんにちは」
凛が言う。
「これは、お方様!」
「知ってるの?」
「先日、アンジェルへ参りましたので」
「この道で?」
「はい。通れるようになったと聞きまして」
「早いなあ」
商人は笑った。
「何年も遠回りしておりましたから」
「どれくらい違う?」
「荷なら二日、場合によっては三日」
「やっぱり大きいね」
「ええ」
商人は荷車を見る。
「酒ですか?」
「分かる?」
「壺ではなく瓶に入っているので」
「ミルンで売ってみようと思って」
「アンジェルの酒?」
「初めて」
商人の目が変わった。
「面白い」
「飲んでみる?」
「よろしいので?」
「一本は試飲用」
「一本丸ごと?」
「違う!」
慌てて止める。
「ちょっとだけ!」
*
道端で。
最初の試飲会が始まった。
「……これは」
商人が酒を口に含む。
凛は顔を覗き込んだ。
「どう?」
「お方様」
「はい」
「近いです」
「近い?」
「顔が」
「あ、ごめん」
一歩下がる。
「どう?」
「甘いですね」
「うん」
「香りも強い」
「うん」
「ミルンの酒とは違う」
「悪い?」
「いえ」
商人はもう一口。
「女性にも好まれるかもしれません」
「本当?」
「それに珍しい」
「いくらなら買う?」
「今ここで?」
「参考に」
商人が考える。
値段を言う。
凛はジェネを見る。
「高い?」
「私に聞かないでください」
「だよね」
凛は木片へ書いた。
「ありがとう」
「ミルンのどこで売られるので?」
「まだ決めてない」
「でしたら」
商人が店を一軒教えてくれた。
「酒や珍しい食べ物を扱う店です」
「行ってみる!」
*
ミルンの国境を越える。
景色が急に変わるわけではない。
同じ山。
同じ空。
同じ畑。
「外国って感じしない」
「国境に壁があるわけではありませんから」
ジェネが答える。
「自由に行ける?」
「はい」
「アンジェルの人も?」
「もちろん」
「じゃあマイのお父さんも普通に?」
「そうでしょう」
「そっか」
凛は少し考えた。
国が違う。
でも人は行き来する。
働きにも行く。
物も動く。
なら。
アンジェルから売るものが増えれば。
わざわざ家族と離れて働きに行かなくても済む人が出るかもしれない。
「……売りたいなあ」
「急に?」
「うん」
*
教えられた店は、町の中心近くにあった。
酒。
乾燥肉。
香辛料。
菓子。
瓶詰め。
アンジェルではあまり見ないものが並んでいる。
「すご」
「何がです?」
「物が多い」
紙の札まである。
値段が書かれている。
「紙使ってる」
「そこですか」
「学校!」
「はいはい」
「紙の値段見てくる!」
「酒を売りに来たのでしょう!」
「あ、そうだった」
店主へ酒を見せる。
「アンジェル?」
「はい」
「葡萄の酒は珍しいな」
「飲んでみます?」
「いいのか?」
「そのために来ました」
器へ注ぐ。
店主が飲む。
凛はまた顔を近づけそうになり。
ジェネに肩を掴まれた。
「近いです」
「はい」
待つ。
「面白い」
店主が言った。
「面白い?」
「甘い」
「うん」
「香りが強い」
「うん」
「今までの酒とは違う」
「売れそう?」
「値段次第だな」
「いくら?」
「全部持ってきたのか?」
「十一本」
「十二では?」
ジェネが聞く。
「一本試飲用」
「ああ」
店主が瓶を見る。
「全部買ってもいい」
「え?」
「十一本」
「全部?」
「試しにな」
「本当に?」
「ただし」
「はい」
値段を提示された。
凛は固まった。
「……分かんない」
「お方様!」
「だって相場知らない!」
ジェネが店主へ事情を説明する。
原料。
運送。
瓶。
手間。
そこから。
話し合う。
凛も計算する。
「この値段なら」
農家へ払える。
運んだ人にも払える。
次の酒も造れる。
少し残る。
「学校に回せる」
「何だ?」
店主が聞く。
「こっちの話!」
凛は顔を上げた。
「売ります」
「決まりだ」
「やった!」
十一本。
完売。
「ジェネ!」
「はい」
「売れた!」
「見ていました」
「全部!」
「はい」
「すごい!」
「店の中です。静かにしてください」
「無理!」
*
帰り。
凛は紙を買った。
「高い」
「だから言ったでしょう」
「でも買う」
「何に使うのです?」
「マイ」
「学校では?」
「まずマイ」
数枚だけ。
まだ学校を始められるほどではない。
それでも。
土ではなく。
消さずに残る文字を書ける。
「これ」
凛は紙の束を大事に包んだ。
「最初の売上で買った」
「はい」
「酒造り始めた理由、忘れないように」
「学校ですか」
「うん」
*
アンジェルへ戻る。
山道は静かだった。
行きには気づかなかったが。
道端に新しい荷車の跡がいくつもある。
「もう使われてる」
「道ですから」
「そっか」
道は。
開けただけでは意味がない。
誰かが使って初めて道になる。
学校も同じかもしれない。
建てただけでは意味がない。
誰かが行けて。
学べて。
初めて学校になる。
*
「マイ!」
村へ寄る。
少女が畑から走ってきた。
「お方様!」
「売れた!」
「何が?」
「ワイン!」
「全部?」
「全部!」
マイの母と祖父も出てきた。
凛は袋を渡す。
「これは?」
「葡萄のお金」
「もう?」
「最初の分」
「こんなに?」
「多い?」
「捨てていたものです」
「でも売れた」
凛は笑った。
「だから、これは葡萄を作った人のお金」
祖父はしばらく袋を見ていた。
「本当に……あの葡萄が」
「うん」
「お酒になって」
「うん」
「外国で売れた」
「うん」
老人が畑を見る。
「不思議なものですな」
「私もそう思う」
凛はもう一つの包みを出した。
「それと」
「何?」
マイが覗く。
「はい」
紙。
数枚。
そして簡単な筆記具。
マイが固まった。
「これ」
「紙」
「触っていい?」
「もちろん」
そっと。
宝物のように触れる。
「何書こう」
「最初は?」
凛が尋ねる。
マイは少し考えた。
「お父さん」
「手紙?」
「うん」
「自分で?」
「うん」
凛は笑った。
「じゃあ書こう」
「でも字、まだ全部分かんない」
「私もこっちの字、まだ下手」
「じゃあどうするの?」
「一緒に覚える」
マイが笑う。
*
館へ戻ったころには、夕方だった。
「ただいま!」
凛が門をくぐる。
リゲルが待っていた。
「売れましたか?」
「全部!」
「それはよかった」
「十一本!」
「十二本では?」
「一本試飲」
「なるほど」
「紙も買った!」
「学校用?」
「まずマイ用」
リゲルが笑った。
「リンらしいですね」
「そう?」
「はい」
「次はもっと造る」
「いくつ?」
「百本」
「リン」
「五十」
「リン」
「……二十?」
「モモと相談してください」
「はい」
そのとき。
シロイチが空から降りてきた。
『リン』
「何?」
『山の様子がおかしい』
「どこの?」
『ベガの山だ』
凛の笑顔が消えた。
「何があった?」
『分からん』
シロイチが山を見る。
『だが、魔力がほとんど消えている』
「ベガさんは?」
『見ていない』
「屋敷は?」
『ある。だが――』
白い翼がわずかに動いた。
『前とは、まるで違う』
凛はリゲルを見る。
リゲルの表情も変わっていた。
「明日」
「はい」
「行こう」
「分かりました」
学校を作るために始めた葡萄酒。
最初の十二本は売れた。
道も開いた。
マイは初めて、自分の紙を手にした。
一つ。
確かに前へ進んだ。
その一方で。
山では。
ベガが残した、
もっと大きな何かが動き始めていた。




