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呑んべの魔

「駄目です」


「まだ何も言ってない」


「山へ行くのでしょう?」


「……行くだけ」


「駄目です」


「なんで!」


 朝食の席。


 リゲルは珍しく頑固だった。


「討伐隊を何度も退けた魔です」


「知ってる」


「女性を見れば絡む」


「聞いた」


「酒を奪う」


「それも」


「その魔のところへ、女性であるリンが酒を持って行く」


「うん」


「駄目です」


「だから話を――」


「駄目です」


「三回言った!」


「必要なら何度でも」


 凛はパンをちぎりながら唸った。


「じゃあ、どうするの?」


「今まで通り遠回りします」


「何日も余計にかかるんでしょ」


「安全には代えられません」


「でも、それじゃワイン売っても運ぶだけでお金かかる」


「仕方ありません」


「学校が遠くなる」


「学校とリンの命を比べることはできません」


 凛は黙った。


 それを言われると弱い。


「……私が行かなきゃいい?」


「はい」


「ジェネとベテルなら?」


「討伐なら」


「シロイチも」


『なぜ俺まで!』


「戦力」


『俺は草取り係ではなかったのか!』


「偵察もできる」


『都合よく職種を増やすな!』


 モモが横でパンを食べながら言った。


「お酒は?」


「持っていく」


「取られるよ」


「取らせる」


 全員が凛を見た。


「あ」


 凛は口を押さえた。


「今のなし」


「リン」


「はい」


「説明してください」


「……餌」


「誰が?」


「ワインが」


「リンは?」


「行かない」


「本当に?」


「……たぶん」


「リン」


「行きません!」


     *


 その日の午後。


 討伐ではなく、まず偵察を行うことになった。


 ジェネ。


 ベテル。


 シロイチ。


 兵士が数人。


 そして酒を積んだ荷車。


 凛はいない。


「……暇」


「仕事してください」


 館の中庭で、モモに言われた。


「してる」


「何を?」


「待つ仕事」


「そんな仕事あるの?」


「偉い人にはある」


「リン、偉い人だったんだ」


「一応」


 だが。


 一刻。


 二刻。


 じっとしていられない。


「ねえ」


「駄目」


「まだ何も言ってない!」


「山へ行くんでしょ」


「モモまで!」


「リゲル様に止められたよね」


「様子を見るだけ」


「駄目」


「途中まで」


「駄目」


「山の入り口」


「駄目」


「……みんな私の扱い分かってきたなあ」


「分かりやすいから」


 凛は諦めた。


 ように見せた。


     *


「お方様」


「はい」


「なぜここに?」


 山道の途中。


 ジェネが額を押さえていた。


「散歩」


「館から半日かかります」


「長い散歩」


「リゲル様には?」


「言ってない」


「帰ってください」


「もう来ちゃったし」


「帰ってください!」


「魔は?」


 ジェネが黙った。


 凛は荷車を見る。


「ワイン減ってないね」


「まだ現れていません」


「じゃあもう少し先」


「お方様!」


「ここまで来たんだから」


「そういう問題ではありません!」


 ベテルが静かに口を挟んだ。


「ジェネ」


「何です」


「もう遅い」


「何がです?」


 ベテルが山の上を見る。


「来る」


 風が変わった。


 シロイチが空から急降下してくる。


『来たぞ!』


「どこ?」


『前だ!』


 木々の間。


 道の真ん中に、


 男が立っていた。


     *


「へえ」


 白い髪。


 長身。


 見た目だけなら三十前後。


 整った顔。


 服装は妙にきちんとしている。


「もっと怪物っぽいの想像してた」


「聞こえてるぞ」


「あ、すみません」


「謝るのか」


「悪口は本人のいないところで言う主義なので」


「お方様!」


 ジェネが叫ぶ。


 男は凛を見た。


「女か」


「はい」


「酒もある」


「あります」


「珍しいな」


 男が笑う。


「普通は俺のことを知れば、女も酒もこの道には近づけない」


「だから道が使えなくて困ってる」


「俺は困っていない」


「私は困ってる」


「知らんな」


「ですよね」


 凛は頷いた。


「じゃあ、まず飲みません?」


「リン様!」


「大丈夫」


「何がですか!」


 男の目が荷車へ向いた。


「酒?」


「葡萄で造った」


「見たことがない」


「でしょうね」


「よこせ」


「嫌」


 空気が止まった。


「……何?」


「ただじゃあげない」


「俺が誰か知らないのか?」


「知らない」


『こいつはバッカスだ』


 シロイチが言った。


「知ってるの?」


『名はな。魔の中では有名だ』


「強い?」


『強い』


「シロイチより?」


『なぜ毎回俺と比べる!』


「分かりやすいから」


『強い! 俺より強い! これで満足か!』


「正直でよろしい」


 白髪の男――バッカスが、シロイチを見上げた。


「お前」


『何だ』


「白くなったな」


『見るな!』


「何があった」


『聞くな!』


「畑で草取ってる」


『リン!』


 バッカスが固まった。


 そして。


「……魔が?」


「うん」


「草を?」


「うん」


「取っている?」


「うん」


「なぜ?」


「雇ったから」


「は?」


 凛は胸を張った。


「うち、魔も働けます」


「何の話だ」


「就職?」


「しゅうしょく?」


「働く気ない?」


「ない」


「即答かあ」


     *


「お方様」


 ジェネが小声で言った。


「討伐に来たのですよね?」


「私は話し合い」


「我々は討伐です」


「でもまだ何もしてない」


「相手は何年も道を塞いでいます!」


「そうなんだけど」


 凛はバッカスを見る。


「ねえ」


「何だ」


「なんで道塞いでるの?」


「ここが気に入った」


「それだけ?」


「それだけだ」


「女を止めるのは?」


「退屈だから」


「酒取るのは?」


「飲みたいから」


「最低だ」


「お前に言われる筋合いはない」


「女の人に何してたの?」


 凛の声が変わった。


「話をする」


「それだけ?」


「俺が気に入れば、少し長く付き合わせる」


「無理やり?」


「逃げたければ逃げればいい」


「逃げられるの?」


 バッカスは答えない。


「それ、逃げられないってことじゃん」


「人間の都合など知らん」


「じゃあ」


 凛は息を吐いた。


「やっぱり、そのままにはできないな」


「何をする?」


「道を空けてもらう」


「断る」


「だよね」


「力ずくでやるか?」


「できれば嫌」


「なら帰れ」


「それも嫌」


 バッカスが笑った。


「面倒な女だな」


「よく言われる」


「領主の妻だそうだな」


「そう」


「なら身代金でも取るか」


 ジェネが剣を抜いた。


 兵士たちも続く。


 ベテルだけは動かない。


「リン様、下がってください」


「うん」


 凛も一歩下がった。


「お?」


 ジェネが意外そうな顔をした。


「何」


「素直ですね」


「私、剣使えないもん」


「なら最初から来ないでください!」


「それは別」


「別ではありません!」


 バッカスが手を上げた。


 空気が震える。


「来る!」


 ジェネの声。


 凛は身を伏せた。


 突風。


 荷車が傾く。


「ワイン!」


「お方様、そこですか!」


 兵士の一人が荷車を支える。


 バッカスが笑う。


「それほど大事な酒か」


「大事!」


「ならもらおう」


「絶対嫌!」


 バッカスが一瞬で距離を詰めた。


 ジェネの剣をかわす。


 兵士を押し退ける。


 荷車へ手を伸ばす。


「させるか!」


 シロイチが飛び込んだ。


 翼と風がぶつかる。


 白い羽が散る。


『ぐっ!』


「シロイチ!」


『この程度!』


「無理しない!」


『誰のために戦っていると思っている!』


「ワイン?」


『お前だ!』


「あ、ごめん」


 バッカスが笑う。


「面白い」


 だが。


 次の瞬間。


 ベテルが動いた。


 一歩。


 ただそれだけに見えた。


 バッカスの表情が変わる。


「お前――」


「道を空けろ」


 ベテルの声は静かだった。


「その力」


「道を空けろ」


「人間では――」


 バッカスが言い終わる前に。


 ベテルの拳が腹へ入った。


 鈍い音。


 バッカスが吹き飛ぶ。


「強っ!」


 凛が叫んだ。


「お方様、喜んでいる場合では!」


「だって強い!」


 木へ叩きつけられたバッカスが立ち上がる。


「なるほど」


 笑っている。


「面白くなってきた」


「全然面白くない!」


 凛は荷車の陰から叫んだ。


「話し合おうよ!」


「今さらか!」


「戦うとワイン割れる!」


「やっぱり酒か!」


     *


 戦いは続いた。


 バッカスは強かった。


 ジェネたちでは押し切れない。


 シロイチの鳥も、狭い山道では十分に動けない。


 ベテルだけが互角以上に戦っている。


 だが。


「ベテル!」


「何でしょう」


「殺さないで!」


 拳を受け止めながら、ベテルが凛を見る。


「理由を伺っても?」


「使えるかもしれない!」


『またか!』


 シロイチが叫んだ。


「酒好きなんでしょ!」


『だから何だ!』


「酒造り!」


『まさか!』


「モモ一人じゃ大変だし!」


『やめろ!』


「酒が好きなら、造る方も――」


「お前」


 バッカスが戦いを止めた。


「今、何と言った?」


「え?」


「酒を造る?」


「うん」


「俺が?」


「働くなら」


 バッカスが凛を凝視した。


「好きなだけ飲めるのか?」


「駄目」


「なぜだ!」


「商品だから!」


「なら断る!」


「試飲はできる」


「どれくらい」


「仕事に必要な分」


「少ない!」


「まだ決まってない!」


 戦いが止まった。


 ジェネが剣を構えたまま呆然としている。


「……交渉、しているのですか?」


「たぶん」


「戦闘中ですよ?」


「止まったからいいじゃん」


 バッカスは荷車を見る。


「その酒を飲ませろ」


「道を空ける?」


「味を見てからだ」


「一本だけ」


「全部」


「一本」


「半分」


「一本」


「三本」


「一本」


「二本」


「……一本半」


「壺をどう半分にする」


「じゃあ二本」


「よし」


「しまった!」


 ジェネが頭を抱えた。


     *


 バッカスは葡萄酒を飲んだ。


 一口。


 止まった。


「どう?」


 凛が聞く。


 返事がない。


「まずい?」


「……もう一杯」


「一本って約束」


「二本だ」


「そうだった」


 モモが聞いたら怒るだろうな。


 そう思いながら注ぐ。


 バッカスは二杯目を飲んだ。


「これは」


「うん」


「何という酒だ」


「まだ名前ない」


「葡萄の酒?」


「そう」


「もっとあるか?」


「ある」


「もっと造れるか?」


「造るつもり」


「毎年?」


「葡萄が取れれば」


 バッカスは黙った。


「で」


 凛は聞く。


「道、空ける?」


「酒をよこせ」


「働け」


「嫌だ」


「じゃあ酒あげない」


「奪う」


「じゃあ戦う」


「勝てるのか?」


「私じゃなくてベテルが」


「人任せか!」


「適材適所」


「何だそれは!」


「得意な人が得意な仕事するの!」


 バッカスがベテルを見る。


 ベテルは無言。


「……面倒だな」


「でしょう?」


「お前が言うな」


 凛は笑った。


「じゃあ決めよう」


「何を」


「道を空ける」


「酒は?」


「働けば飲める」


「どんな仕事だ」


「酒造り」


「断る」


「なんで!」


「造るより飲む方がいい」


「当たり前でしょ!」


 交渉は振り出しに戻った。


 そのとき。


 バッカスの目が、凛の背後へ向いた。


「おい」


「何?」


「それは何だ」


 凛が振り返る。


 荷車の端。


 もう一つの小さな壺。


「ああ」


「酒か?」


「失敗作」


「飲ませろ」


「まずいよ」


「構わん」


 凛は少し考えた。


「じゃあ飲んでみて」


 器へ注ぐ。


 バッカスが飲む。


「……まずい」


「だから言ったじゃん」


「なぜまずい」


「それが分かれば苦労しない」


「こっちより香りが弱い」


「うん」


「酸味も変だ」


「分かる?」


「酒ならな」


 凛の目が細くなった。


「これと、売る方の違い分かる?」


「当然だ」


「何が違う?」


「匂い。甘さ。舌に残るもの。それから――」


 次々に言う。


 凛は黙って聞いた。


 ジェネが嫌な予感のする顔をした。


『リン』


「うん」


『やめておけ』


「でも」


『その顔はやめろ!』


 凛はバッカスを見た。


「採用」


「は?」


「採用します」


「何を勝手に決めている!」


「味分かるじゃん!」


「飲んでいるからな」


「それが大事なんだよ!」


「俺は働くとは言っていない!」


「じゃあ」


 凛は売り物の葡萄酒を抱えた。


「これはもう飲ませない」


「卑怯者!」


「商売です!」


 山道に。


 魔の怒鳴り声と、


 領主夫人の声が響いた。


 こうして。


 学校を作るために開けようとした交易路で、


 凛は二人目の魔を、


 酒造りの仕事へ引きずり込もうとしていた。



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