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うさぎのモモ

「まず、これは捨てる」


「えっ」


「これも」


「待って」


「これも駄目」


「モモ!」


 アンジェルへ戻った翌朝。


 モモは凛が仕込んでいた葡萄酒を次々に選別していた。


「全部私が作ったやつ!」


「だから?」


「愛着が!」


「まずいよ」


「容赦ない!」


 ジェネが笑っている。


「お方様にも苦手なものがあったのですね」


「失敗してるだけ!」


「三回」


「数えない!」


 モモは壺を一つ残した。


「これは使える」


「本当?」


「うん」


「やった!」


「でも、このままじゃ売れない」


「やっぱり?」


「うん」


 モモは匂いを嗅ぐ。


「葡萄はすごくいい」


「ベガさんも言ってた」


「だから、ちゃんと造れば美味しくなると思う」


「よし」


 凛は袖をまくった。


「やろう」


「何を?」


「大量生産」


「まだ早い」


「はい」


 即座に止められた。


「まず小さい壺で何種類か」


「はい」


「置く場所を変える」


「はい」


「葡萄の混ぜ方も」


「はい」


「それから」


 モモが凛を見る。


「勝手に触らない」


「私の酒なのに!?」


「失敗するから」


「私、領主夫人なんだけど」


「酒には関係ないよ」


「強い」


 凛はリゲルを見る。


「何とか言って」


「モモの言うことを聞いた方がよいかと」


「夫まで!」


「夫婦ですから」


「それ関係ない!」


     *


 モモは、小柄だった。


 人の姿なら凛より頭一つ以上低い。


 だが。


 酒と菓子の話になると、とたんに頼もしくなる。


「この実は?」


「甘く煮ると美味しいよ」


「ジャム?」


「じゃむ?」


「果物を砂糖で煮たもの」


「似たのある」


「あるんだ!」


「ベガ様のところで作ってた」


「何でもあるな、あそこ」


「ベガ様、長く生きてるから」


「何歳?」


「言うと怒られる」


「やっぱり」


 凛は頷いた。


「で」


 モモを見る。


「本当にウサギなの?」


「まだ気にしてたの?」


「気になるでしょ」


「見たい?」


「見たい」


「じゃあ」


 モモの姿が淡く光った。


「お」


 次の瞬間。


 服の中から何かが落ちた。


「え?」


 小さな茶色いウサギ。


「かわいい!」


 凛が飛びついた。


「ちょっと!」


「ふわふわ!」


「触らないで!」


「シロイチと違って触らせて!」


「嫌!」


 逃げる。


 追う。


「待って!」


「来ないで!」


 中庭を一周した。


『何をしている』


 塀の上からシロイチ。


「モモかわいい!」


『ただの兎ではないか』


 モモが止まった。


「……今、何て言った?」


『ただの兎だと』


「シロイチ」


『何だ』


「降りてきて」


『嫌だ』


「降りてきて」


『なぜ声が怖い』


 白い鳥が逃げた。


 茶色いウサギが追いかけた。


「仲いいなあ」


「よろしいのですか?」


 ジェネが聞く。


「何が?」


「あれ」


「たぶん」


     *


 酒造りは、モモが加わってから急に進んだ。


 凛が理屈を考える。


 モモが実際に調整する。


「もう少し涼しい場所」


「地下倉庫?」


「うん」


「この壺は?」


「空気が入りすぎる」


「蓋変える?」


「やってみよう」


 条件を変える。


 記録する。


 味を見る。


 また変える。


「これ」


 数日後。


 凛は器を口へ運んだ。


「……美味しい」


「本当?」


 ジェネが近づく。


「これは本当に美味しい」


「前も聞きました」


「今度こそ!」


 モモが先に飲む。


「うん」


「どう?」


「まだ良くなる」


「厳しい!」


「でも売ってもいいくらい」


「本当!?」


 凛は飛び上がった。


「リゲル!」


「聞こえています」


「売れる!」


「まだ売っていません」


「売れるかもしれない!」


「それなら正しいですね」


「細かい!」


 凛は酒の入った壺を抱えた。


 マイ。


 学校。


 紙。


 本。


 先生。


 ようやく一歩進んだ。


「次は量を増やす」


「少しだけね」


「分かってる」


「本当に?」


「……少しだけ」


 モモが疑わしそうに見る。


     *


 だが。


 問題があった。


「ミルンへ運べない?」


「運べないわけではありません」


 リゲルが地図を広げる。


「ただ、こちらの道は使えません」


「なんで?」


「魔がおります」


「また?」


 アンジェルとミルンをつなぐ山道。


 本来なら、荷車でも通れる。


 だが何年も前から、一体の強い魔が住みついているという。


「人を殺す?」


「ほとんど殺しません」


「じゃあ通れるじゃん」


「男は」


「……嫌な予感」


「女を通しません」


「は?」


「酒も」


「は?」


「酒を持った者も止めます」


「なんで?」


「欲しがるからです」


「盗賊じゃん!」


「魔です」


「もっと悪い!」


 ジェネが腕を組む。


「女性が通れば絡みます。酒があれば奪います」


「最悪」


「そのため、今は遠回りしています」


「どれくらい?」


「荷車なら数日余計に」


「数日!」


 酒。


 重い。


 割れる。


 時間がかかる。


 運賃も上がる。


「これじゃ売れても利益減るじゃん」


「そうなります」


「学校のお金が」


「そこですか」


「そこだよ!」


 凛は地図を睨んだ。


「倒せないの?」


「何度か討伐を試みました」


 ジェネが答えた。


「強い?」


「かなり」


「シロイチより?」


『比べるな!』


「どうなの?」


『……強い』


「負けた」


『負けていない!』


「じゃあ勝てる?」


『一対一なら嫌だ』


「正直でよろしい」


『うるさい!』


 凛は地図を見る。


 道を塞ぐ魔。


 女好き。


 酒好き。


「……酒好き?」


「はい」


「どれくらい?」


「酒を積んだ荷車は、まず止められます」


 凛の目が細くなった。


 ジェネが嫌な顔をした。


「お方様」


「何?」


「何か考えていますね」


「別に」


「その顔は何か考えている顔です」


「失礼な」


「リン」


 今度はリゲル。


「はい」


「危険なことは禁止です」


「まだ何も言ってない!」


「先に言っておきます」


「信用ないなあ」


「この前、魔を雇ったばかりです」


『私だ!』


「成功したじゃん」


「結果としては」


「じゃあ」


「駄目です」


「まだ言ってない!」


 凛は頬を膨らませた。


 だが。


 頭の中ではもう考え始めている。


 山道を塞ぐ。


 強い魔。


 酒が好き。


 そして。


 アンジェルには今。


 試作品の葡萄酒がある。


「ねえ、モモ」


「なに?」


「一番匂いの強いワイン、どれ?」


「リン」


 リゲルの声が低くなった。


「聞いただけ!」


「何に使うのです?」


「……研究?」


「嘘ですね」


「夫婦って嫌だなあ!」


 凛は地図へ目を戻した。


 学校を作るためにワインを造った。


 ワインを売るためには道がいる。


 その道を魔が塞いでいる。


「また魔かあ」


『嫌な言い方をするな』


「だって」


 凛はため息をつく。


「学校一個作るのに、なんでこんなに戦わなきゃいけないの」


 誰も答えなかった。


 ただ。


 シロイチだけが、


 妙に嫌そうな顔で山の方角を見ていた。


 次に凛が雇おうとしているものを、


 もう察しているようだった。


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