↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/40

ワインを造ろう

「それで、ベガさんのところへ行く前にもう一回やります」


 朝。


 凛は中庭に並べた壺を前に宣言した。


「何をです?」


 ジェネが嫌そうな顔をした。


「ワイン」


「まだ造るのですか?」


「学校作りたいから」


「学校と酒が、どうしても私の中でつながりません」


「私の中では完全につながった」


 凛は木片を持ち上げた。


 昨日書いたものだ。


 葡萄。


 酒。


 金。


 時間。


 学校。


「これ」


「はい」


「捨ててる葡萄を買う」


「はい」


「酒にする」


「はい」


「売る」


「はい」


「葡萄農家にお金が入る」


「はい」


「学校にもお金を回せる」


「はい」


「子供が働かなくてもいい時間が少しできる」


「なるほど」


「だからワイン」


「最後が少し飛んだ気がします」


「飛んでない!」


『飛んでいる』


 シロイチが塀の上から口を挟んだ。


「鳥は黙ってて」


『鳥ではない!』


「じゃあシロイチも手伝う?」


『断る!』


「葡萄踏んで」


『断る!』


「足ないか」


『あるわ!』


「でも鳥の足で踏まれたワイン、飲みたくないな」


『なら最初から頼むな!』


 朝から騒がしい。


 リゲルは少し離れたところで、それを眺めて笑っていた。


「リゲルも手伝って」


「私もですか?」


「領主でしょ」


「領主は葡萄酒を造るものなのですか?」


「領主夫人が造ってるんだから領主も造る」


「そういう決まりですか?」


「今作った」


「では仕方ありませんね」


「受け入れるんだ」


 凛は笑った。


     *


 三度目の試作。


 今度は最初から条件を分けた。


 よく萎びた葡萄。


 萎び方の弱い葡萄。


 普通の葡萄。


 それぞれを別にする。


 容器も洗う。


 手も洗う。


 使う道具も熱い湯で洗った。


「そこまでしますか?」


 ジェネが聞く。


「する」


「前回も洗いましたよね」


「今回はもっとちゃんと」


「違いがあるのですか?」


「あるかもしれない」


「かもしれない?」


「私、酒造りの専門家じゃないから」


「え?」


 ジェネが止まった。


「待ってください」


「何?」


「お方様は酒造りに詳しいのでは?」


「詳しいよ」


「今、専門家ではないと」


「専門家じゃないけど、普通の人よりは詳しい」


「どちらなのです?」


「大学で発酵とか醸造を勉強した」


「だいがく?」


「学校のすごいやつ」


「では専門家では?」


「研究者でも杜氏でもないもん」


「とうじ?」


「酒造りのすごい人」


「……よく分かりません」


「私も説明してて分かんなくなった」


 凛は葡萄を潰しながら苦笑した。


 知識はある。


 発酵の理屈も知っている。


 微生物のことも知っている。


 だが、日本で凛が毎年何千本もワインを仕込んでいたわけではない。


 まして。


 ここには温度計もない。


 糖度計もない。


 使い慣れた酵母もない。


 衛生設備もない。


「知ってるのと、できるのは違うんだよ」


「そういうものですか」


「そういうもの」


 役所にいたころも同じだった。


 資料を読めば、農業政策は分かる。


 統計も分かる。


 制度も分かる。


 けれど。


 畑へ出れば、農家の方がはるかに多くのことを知っていた。


「だから試す」


 一回。


 二回。


 条件を変える。


 失敗する。


 記録する。


 もう一度。


「面倒ですね」


「面倒だよ」


「それでも?」


「売りたいから」


 ジェネが少し笑った。


「学校のために?」


「そう」


 今度は即答できた。


     *


 数日後。


 凛は壺の蓋を開けた。


「お」


 匂いが違う。


 甘い。


 その奥に、発酵した酒の香り。


「これ」


 小さな器へ取る。


 色を見る。


 香りを嗅ぐ。


「前よりいい」


「飲んでよいですか?」


「ジェネは待って」


「なぜです?」


「先に私」


「毒見なら私が」


「そういう意味じゃない」


 ほんの少し口へ含む。


「……あ」


「どうです?」


「ワインだ」


「葡萄酒を造っているのですから」


「そうじゃなくて」


 初めて。


 ちゃんとワインと呼んでもいいものになった。


 まだ荒い。


 香りも弱い。


 雑味もある。


 だが。


「飲める」


「前もそう言っていました」


「今度の飲めるは違う」


「前も聞きました」


「ほんとに違うんだって!」


 ジェネにも少量渡す。


「どう?」


「……甘いですね」


「うん」


「前より美味しいです」


「でしょ!」


「でも」


「何?」


「少し変な匂いも」


「やっぱり?」


「はい」


「そこだなあ」


 凛は木片へ書く。


「これが何なのか分かれば」


「ベガ様なら分かるかもしれません」


 リゲルだった。


「明日、出発できます」


「本当?」


「はい」


「じゃあこれ持っていく」


「失敗した酒を?」


「失敗じゃない」


「では?」


「途中」


 凛は壺を見た。


「完成してないだけ」


「リンらしいですね」


「褒めてる?」


「半分ほど」


「残り半分は?」


「呆れています」


「夫婦なのに」


「夫婦ですから」


「その使い方、覚えたなあ」


     *


 その夜。


 寝台へ入ってからも、凛は木片を眺めていた。


「まだやっているのですか?」


 隣からリゲルの声。


「うん」


「明日は早いですよ」


「分かってる」


「寝てください」


「もうちょっと」


「リン」


「はいはい」


 木片を脇へ置く。


 灯りを落とす。


 暗くなる。


 しばらくして。


「ねえ」


「はい」


「リゲル」


「はい」


「学校、本当に作っていい?」


「今さらですか?」


「だって」


 凛は天井を見る。


「私が勝手にやってるだけじゃん」


「マイは行きたいと言ったのでしょう?」


「マイはね」


「ほかの子供もいるでしょう」


「いると思う」


「なら作ればよいのでは?」


「でも、お金使う」


「はい」


「人も使う」


「はい」


「領主夫人が言い出したら、嫌でも手伝う人がいるかもしれない」


 昼間。


 葡萄を無償で差し出そうとした農家の顔を思い出した。


 権力。


 自分にはまだ実感がない。


 だが、相手にはある。


「怖いんだよね」


「何が?」


「私が『いいこと』だと思ってるものを、みんなもいいと思うって決めつけること」


 リゲルはすぐには答えなかった。


「では、聞けばよいのでは?」


「誰に?」


「皆に」


「そんな簡単に?」


「リンは、私にも何でも聞くでしょう」


「リゲルは夫だから」


「村の者にも聞いていました」


「そうだけど」


「水路が壊れていることも、マイが父親の手紙を読みたいことも、聞いたから分かったのでしょう?」


「……うん」


「なら、これからも聞けばよいと思います」


 凛は少し考えた。


「そっか」


「リンが全部決める必要はありません」


「領主夫人なのに?」


「領主夫人だからでしょう」


「それ、どういう意味?」


「私もまだ考えているところです」


「何それ」


 暗闇の中で、凛は笑った。


「でも」


 リゲルが続ける。


「リンが学校を作りたい理由を、私は嫌いではありません」


「マイ?」


「はい」


「一人の女の子のために国のお金使うの、変じゃない?」


「マイ一人だけの学校にするのですか?」


「しない」


「ならよいでしょう」


「雑だなあ」


「リンほどではありません」


「ひどい」


 凛は目を閉じた。


 マイが土へ書いた文字。


 父親の名前。


 それが浮かぶ。


「私ね」


「はい」


「学校で、この国をすごくしたいわけじゃないんだ」


「では?」


「マイが、自分で手紙を読めるようになればいい」


 今のところは。


 それだけでいい。


「おやすみ、リゲル」


「おやすみなさい、リン」


     *


 翌朝。


 凛たちは山へ向かった。


 リゲル。


 ジェネ。


 ベテル。


 シロイチ。


 そして凛。


「モモという者もおります」


 途中でリゲルが言った。


「誰?」


「叔母上のところにいる者です」


「人?」


「……たぶん」


「たぶん?」


「会えば分かります」


「またそれ!」


『ウサギだ』


 シロイチが空から言った。


「ウサギ?」


『余計なことを言うな!』


 ベテルがシロイチを睨む。


「何でベテルが怒るの?」


「楽しみは取っておいた方がよいでしょう」


「ウサギって言った時点でもう遅いよ」


 山道は次第に険しくなった。


 畑が消える。


 木々が深くなる。


 空気も冷たい。


「こんなところに住んでるの?」


「はい」


「一人で?」


「モモがおります」


「ウサギと?」


「ほかにもおります」


「誰?」


「会えば分かります」


「今日それ禁止!」


 しばらく進む。


 そして。


 森が突然切れた。


「……え?」


 凛はファルコンの手綱を引いた。


 山の中腹。


 そこだけ別の場所のように開けている。


 大きな屋敷。


 庭。


 花。


 薬草らしい植物。


 小さな畑。


 水が流れ。


 木々には見たことのない実がなっている。


「ここだけ別世界じゃん」


「叔母上の力です」


「魔法?」


「はい」


「ずるい」


「何がです?」


「うちの畑にも欲しい」


『すぐ仕事に使おうとするな』


「便利なら使うでしょ」


『お前は魔法を何だと思っている』


「労働力削減技術」


『夢がない!』


 屋敷の扉が開いた。


 一人の少女が出てきた。


 凛よりかなり若い。


 十六、七歳。


 長い髪。


 細い体。


 少し意地の悪そうな笑み。


「あら」


 少女が言った。


「あなたがリン?」


「はい」


 凛はファルコンから降りる。


「ベガさんは?」


「私よ」


「……え?」


 凛はリゲルを見る。


「叔母上です」


「え?」


 もう一度、少女を見る。


「叔母?」


「そう」


「リゲルの?」


「そうよ」


「お父さんの妹?」


「そう」


 凛はしばらく黙った。


「……若作り?」


「殺すわよ」


「ごめんなさい!」


 ベガが笑った。


「面白い娘ね」


「よく言われます」


「それで?」


 ベガの目が、凛の持ってきた壺へ向く。


「そのひどい酒を、私に飲ませに来たの?」


「ひどいってまだ飲んでない!」


「匂いで分かるわ」


「う」


 凛は壺を抱え直した。


「直したいんです」


「何のために?」


「学校を作るため」


 ベガが止まった。


「……酒で?」


「はい」


 凛は胸を張った。


「この葡萄を売れる酒にして、農家の収入を増やして、その利益で子供が学べる場所を作ります」


 数秒。


 沈黙。


 そして。


 ベガが声を上げて笑った。


「あはははは!」


「なんで笑うの!」


「だって」


 目尻の涙を拭きながら、ベガが言った。


「魔王を困らせる女が来るって聞いていたけど」


「誰が魔王を困らせるって?」


「なるほど」


 ベガは凛をじっと見た。


「これは本当に困るでしょうね」


「何が?」


「こっちの話」


 どこかで聞いたような言い方だった。


「入りなさい、リン」


 ベガが屋敷へ戻る。


「酒を見てあげる」


「本当?」


「その代わり」


 ベガが振り返った。


「あなたにも、少し話を聞いてもらうわ」


「何の?」


「魔王のこと」


 凛の足が止まった。


 学校を作るために、


 ワインを造る。


 ワインを造るために、


 山へ来た。


 その先で待っていたのは、


 なぜか魔王の話だった。


「……また話が大きくなってない?」


 凛が呟く。


『お前が来てからずっとだ』


 シロイチが答えた。


「私のせい?」


『間違いなく』


「納得いかないなあ」


 そう言いながら、


 凛はベガの屋敷へ足を踏み入れた。


 学校までの道は、


 どうやら思っていた以上に遠回りらしい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。