九話〖今までとこれから〗
「いよいよ明日じゃな」
「身体はどうなの、、、?」
「この通りじゃ」
赤鮫が天子に手を見せる。
皺枯れたその手は指先が僅かに崩れていた。
まるで、雨風にさらされた末に風化をするように。
「そう悲しむことはない。全てのものに終わりはある」
手から伝わる温かさは、僅かに失われていた。
少しずつ少しずつ、赤鮫は身体が冷えていっている事に気が付いていた。
「怖くないの、、?」
「ワシら伝承は連綿と受け継がれる力の塊だ。自分自身を守ろうとする意志は欠落しておるのかもしれん」
伝承、それは力を継承する者。
性格や記憶は引き継がれない。
天子が赤鮫の力を継いでいずれ分離出来るようになっても、その時に生まれる赤鮫は今とは別物。
変わらないのは力だけだ。
「過去の赤鮫も未来の赤鮫もワシは知らん。そして、ワシの事も誰も知らん」「僕は、、!」
「そうじゃな。記憶の中で生かしてくれればそれでええ」
記憶も性格も引き継げない伝承が生きる術は、自分以外の記憶に残る事だけだった。
そうすれば、どれだけ伝承が代を重ねようと生き続ける事が出来る。
「、、、僕ね。ずっと謝りたかったんだ」
「ワシにか?」
「うん。勝手に嫌って、勝手に冷たくして。きっかけを貰うこんな最後まで素直になれなくて」
ぽつりぽつりと天子は言葉を零し始めた。
酷く悲しくて申し訳ない気持ちが胸中にひしめいているのに、不思議と涙は出ない。
今言わなければもう伝える事が出来ない。
心の深いところで理解しているからこそ、自身の感情の優先順位は下がっていた。
「おじいちゃんの事ね、お父さんと引き離した酷い人だって決めつけてたんだ。きっと理由があっただろうし、頑張って憎まれ役を買ってくれただけなんだろうなって分かってたはずなのに」
言葉が詰まる。
ゆっくりと紡がれる天子の独白を、赤鮫は優しい表情で待った。
「今考えたら、おじいちゃんが勝手に引き剥がした悪者なんだ!って考える事で、お父さんが僕を捨てた可能性を簡単に捨てたかったんだと思う」
母親に捨てられて鏡面世界に来て、鏡面世界で出来た父親に捨てられて。
僅か3歳の天子には、そんな事実が受け入れられなかった。
どうすればどろどろと濁って渦巻く感情を抑え込めるか分からない。
そんな時に取った手段が、赤鮫への責任転嫁だった。
時間を置いて沢山考えて、三途と話して別れというきっかけを貰って。
漸く天子はあの時の自分と向き合う事が出来た。
「でもおじいちゃんが僕に向けてくれる顔は誰よりも優しくて、かけてくれる言葉には沢山感情が込められてて、撫でてくれる手は何よりも温かくて、、。自分の事をこんなに想ってくれてる人に責任転嫁するなんて、って思って、、」
あと一言。
あと一言伝えれば天子の独白は終わる。
言ってしまえば赤鮫はきっと許しの言葉で返してくれるだろう。
まるで、何も気にしていない様子で。
それどころか天子の頭を撫でながら優しい子だと褒めてくれるだろう。
(優しさを踏み躙ったのに)
あっさりと許されてしまう事、その上褒められる事が天子自身許せず、たったの一言がつっかえた。
言ってしまえば愚行も赤鮫を悩ませた時間も、全てが無くなってしまう気がして。
だが、時間は有限。
今伝えなければもう二度と伝えられないという事実が、口籠る天子の背中をそっと押した。
「ずっと、ずっとずっと。辛い想いをさせてごめんなさい」
数年言えずにいた言葉はあまりにもあっさりと口をついた。
そして、思っていた通りに赤鮫は何も気にしていない様子で頭を撫でた。
「ずっと、、、、大事に想ってくれてありがとう」
拙い言葉、正確ではない文脈。
それでも、伝えたい事は伝えられた。
安堵が胸中を満たした時、天子の目から涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「ワシが傷ついたのは事実だろう。だが、親から引き剥がされた天子の心痛とは比べようもない」
「で、でも、、!」
「何も言わなくてよい。どんな理由であれ、行動には責任が伴う。長らく苦しませてしまったな、、、。すまなかった」
「おじいちゃん、、」グスッ───。
遠くの水平線に月が沈む。
ゆらゆらと揺らぐ海に月が溶けていく。
それはまるで、長らく開いていた心の距離が失われていく今の2人を表しているようだった。
「力の説明をしておこう」
早朝。
力の継承の為に向き合う天子と赤鮫。
周囲には既に別れを済ませた3人も居た。
真っすぐに見つめる三途、沈痛な面持ちの流水、ふてくされた様子の怒楽。
三者三様の心情で継承の時間を共にしていた。
「使える能力は2つ。赤いガマを植え付け傷を奪い、白いガマを植え付け傷を再現する。上手く使えば相当な重症でも扱う事が出来る。ここまでは理解出来るな?」
「うん」
「使わないに越したことはないが、、、、。完全変態をすれば今まで奪った傷を掛け合わせた白いガマを植え付け、相手を即死させることが出来る」
敵襲にあった時、赤鮫はこの能力を使った。
雑多な敵には溜め込んでおいた傷をひとつずつ使い、大蛇には全ての傷を掛け合わせた一撃を見舞った。
触れた箇所は右手首。
本来なら即死する攻撃だったが、本能で危険を嗅ぎ取った大蛇がダメージが行き渡る前に自ら腕を切り落とし重傷に留まった。
「大蛇に関してはイレギュラーじゃろう。触れれば死の再現を逃れる事はできん」
仮に天子が〝有効打への道筋〟と〝回避の道筋〟、そして赤鮫の能力を使いなす事が出来れば鬼に金棒だろう。
回避することの出来ない必殺の一撃。
叶うなら、使う場面が来ないでほしいなと天子は心の中で願った。
「触れなければならないという制約はあるが、何かと便利な力だ。役立つだろう」
「うん。大事にする」
「そうしてくれると浮かばれる」
優しく優しく。
名残惜しそうに赤鮫は天子の頭を撫でた。
「時間じゃな」
撫でていた右手の指先から、サラサラと粒子になり風で運ばれる。
一部では留まらず、肘、肩と徐々に原型を失っていった。
「おじいちゃん大好き!!!!!!!!!」
「ほっほっほ。ありがとうの。満足じゃ」
サァーー──────
「ありがとう、、、」グスッ───
全て粒子となり風で流される。
残されたのは赤鮫の足跡と、天子の中に流れ込んできた力だった。
「出発しましょう」
「そうだな」
「うん、、、」
別れは済ませた。
力も継承した。
それでも拭いきれないものが4人の胸中につっかえていた。
だが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
また襲撃されてしまえば怪我をして、治療をして、足止めされて。
ずっとこの場所に留まる事になってしまう。
動くなら今。
吸いついてしまった足を無理矢理剥がし、3人は三途の先導の下、高天原の出口へと向かった。
「もう少しじゃ」
電車に乗り、バスを乗り継ぎ約4時間。
4人は山を登っていた。
しっかりと休んで迎えた今日だったが、4人の足取りは軽くなかった。
赤鮫との別れが尾を引いている。
それを理解しているからこそ、三途は休憩を取らずにどんどんと険しい山道を登っていった。
「ここが、、、」
辿り着いたのは山の頂上の一角。
天子の背丈ほどの草木が生い茂った箇所を抜けると、崖を背にぽつんと鳥居が建っていた。
装飾は崩れ落ち、至るところに傷跡がある。
使われなくなって久しい事は誰の目にも明らかだった。
「「天子」」
怒楽と流水の言葉が重なる。
ここを通れば高天原に行けるかもしれない。
ゴク─────
誰かが生唾を飲み込む音がした。
もし本当に高天原に行けたら。
天子と再会出来たら。
赤鮫との別れに頭がいっぱいだった天子には予習をする時間が無かった。
「、、、先行っていいよ」
「「天子、、、」」
同じセリフ、同じ2人。
だが込められた意味合いは違っていた。
「いいから行けって!」
「わ、わあ!」
少し離れた位置でじっと鳥居の真ん中を見つめていた天子の背中を怒楽が押す。
不自然なステップを踏んだ天子は、勢いよく鳥居を通り抜けた。
そう、〝通り抜けた〟のだった。
「う、うわあああああ!!!!!!」
「何をしておる」
「す、すみません、、」
鳥居の先は崖。
高天原に行く事はなく通り抜けた天子は間一髪落下するところだった。
「全然行けねえじゃねえか三途!!!」
まずいと思った犯人は責任転嫁で声を荒げた。
命からがら助かった天子が犯人捜しをする余裕など無いことには気付かずに。
「予想はしておったが」
「ここで間違いないんですか、、?」
「わらわが間違えるわけなかろう。おそらく、ここは出口でしかないのかもしれんの」
「出入口ではなくて、、ですか?」
「そうじゃ。一方通行だと考えれば説明がつく」
試しに力を使ってみよと言われた天子が言われた通りに高天原への道を探す。
光の筋は鳥居どころかどこも指し示さず、完全に手詰まりになってしまった。
「教えてくれてありがとうございました、、」
「他にもひとつ、試せるものはある。手掛かりと呼べるほど大したものではないが」
「教えてください!!」
「ふむ、、、。天子。今から組手じゃ。10秒でよい」
タイムキーパーは流水、観客は怒楽。
山の頂上の狭いスペースで突如組手が始まった。
何でいきなり?と疑問符がいくつも浮かんでいた天子だったが、組手をする内に少しずつ疑問を解決する為の手掛かりになりそうな違和感を覚えた。
「回避にも攻撃にも力が使えるようになってます、、」
結果はお互い複数の有効打があり引き分け。
だが天子にとっては、たった10秒の即興組手の結果などどうでもいいものだった。
「なあるほどな!俺は分かったぜ」
「赤鮫に聞いていましたからね。分からないほうがおかしいでしょう」
「なんだァ!?!?」
力の使い方が上達したことは分かった。
だが天子は未だに組手をした意味を分かっていなかった。
天子に分からなくて怒楽に分かる、そんな事柄がこの世に存在したのかと流水は驚いた様子で目を見開いた。
三途が伝えたかった事に天子が辿り着いたのはそのすぐ後だったが。
「力を継げば継ぐだけ強度と精度が上がって、その内高天原への道のりも分かるようになる、、ですよね」
「なんじゃ。知っておったのか」
天子が力を継いでもいいと思う相手は2人。
大蛇と神輿。
1人分力を継いだ今の状態で、高天原への道筋は僅かながらも見えない。
あと2人分継承したところで効果はあるのか、、、。
効果が無ければきっと、全ての伝承をという話になるだろうと天子は理解していた。
「、、、流水ちゃん。先に降りておいてもらえるかしら」
「分かりました」
2人で座るには少し小さい岩に腰掛け、三途と天子はもうボロボロの鳥居の先を見た。
ぼんやりと、特定の何かを見るためではなくただそこに視点を置いた。
三途が口を開いたのはそれからすぐの事だった。
「わらわはもう長く生きた」
続く言葉は天子の想像通り。
きっと三途ならこの状況でそう言うだろうと、天子は理解していた。
他の何よりも優先して高天原に行きたいと望めば、あの2人もきっと、、、。
望まない結末を振り払うように天子はぶんぶんと頭を左右に振った。
力の継承をただの形式ばったものではなく命のやり取りだと考えているのは、4人の中で天子だけだった。
「三途さんの力を受け継ぐのが嫌なわけではないんですけど、、。お父さんを大事に想うように怒楽も流水も三途さんも僕にとっては大事な存在で、、。本当は、おじいちゃんとももっと一緒に居たかった」
灰色の世界で何よりも鮮やかで新しい、赤鮫との別れの記憶。
三途の提案を遮りながら天子は今朝の事を思い出していた。
後悔が無いようにと伝えた想い、急かさずに全て聞いてくれた赤鮫の優しい表情、頭に感じた手のぬくもり。
もう全て、過去のものになってしまった。
「それに、、、。実は、こっそり見てしまったんです。三途さんが完全変態するところを」
三途の眉がピクリと動く。
たった一週間ほどの関係ではあるが天子に対しての好感度や好意は相当なものだった。
それでも許容しきれないほど、三途は自身の完全変態の姿に嫌悪感を覚えている。
誰にも見られたくなく、鏡にも映りたくない。
ほんの僅かでもそんな自身の姿を許せるようにと所作だけでも磨いたが、それだけでは三途の心を守る事は出来なかった。
醜悪。
それが三途が自らを評するにもっとも適切だと思っている言葉だった。
「力を使ってる姿、すごく綺麗で」
「、、、綺麗?」
思ってもいなかった言葉に三途の目は丸くなった。
聞いた事がある言葉のはずなのに聞いた事がないような、そんな感覚。
「はい。姿も動きも全部綺麗で、周りに纏った雷も全部全部、、!まるで三途さんの為にある力だって、、、!」
「も、もうよい。もうよいのじゃ」
「あんなに綺麗に力を使える三途さんを差し置いて僕が継承するなんて出来ません」
「分かった!分かったのじゃ!!」
少し前まであった神妙な空気はもう完全になくなっている。
赤くなった顔を隠す三途に、天子を説得して継承するよう押し切る余力はもう残っていなかった。
「早く下山するのじゃ」
これ以上天子に話させてはいけない。
その一心で三途は立ち上がりそそくさと下山した。
赤くなった顔を落ち着けるまで、何度も躓きながら。
「本当に良かったのか?天子」
「うん。あの力は三途さんが使うほうが絶対良いから」
天子を含めた3人は、大蛇を探し出す事になった。
天子の力があれば隙を突いて先制攻撃をする事が出来る。
いつまでも受け身でいるよりはいいだろうという三途の勧めだった。
攻勢の提案をした三途は3人には着いて行かず、出雲が戻ってきた時用に赤鮫の住処にしばらく泊まる事になった。
「勝てるかな大蛇に、、、」
おそらく、大蛇は単独行動をしていない。
その場合は雑兵を倒すのが怒楽と流水の役目となり、必然的に天子が1人で大蛇の相手をしなくてはいけないだろうと三途は言った。
「悔しいですが、手を貸そうにも今の天子には私達は足手まといになってしまいますから」
大蛇の相手を天子1人でするようにと三途が提案した時、2人は反発した。
大蛇の危険性を理解していたというのもあるが、一番はサポートすら出来ないと言われるのをプライドが許さなかったからだ。
2人は怒り、組手を申し出た。
そこまで差はないだろうという気持ちを持って天子と2対1の組手を。
結果は惨敗。
苦楽を共にしてきた2人のコンビネーションすら手玉に取り、お互いが邪魔になるように誘導された後、一撃ずつアゴへのクリーンヒットで意識を手放した。
それでもまだ納得のいかないという2人が回復した後に見せられたのは三途と天子の組手。
今まで全力を隠していた三途が多くの戦闘経験を駆使して辛勝したが、どちらが勝ってもおかしくなかった。
そして、天子と三途の攻防は2人にとっては理解の範囲外にあった。
お互いが最善手を打ち合い、僅かなリーチの長さや戦闘経験でのみ差がつく。
粗さのない研ぎ澄まされた戦い。
まるで囲碁や将棋のような心理戦。
下手に手を出せば天子が敵を仕留める為に組み上げた複雑な読みの邪魔をしてしまう未来は、プライドを退けるには充分過ぎる理由だった。
「ぜってぇ仕留めろよ」
「、、、頑張る」
徒手空拳だけではトドメを刺す事が出来ない。
天子は赤鮫の住処から、手頃な短剣を借りて腰に携えていた。
受け攻めどちらも最善手を出し続ける天子が武器を持つ。
鬼に金棒のように思えたが、3人には一抹の不安があった。
それは、天子が人を殺した事が無い事。
赤鮫に手を出された恨みはある。
伝承は力が人の形をしているだけだから人殺しでは無いという言い訳もある。
だがそれでも、一心不乱にトドメを刺す事に向かって行ける程天子の性格は攻撃的ではなかった。
躊躇いなくトドメを刺せるという点でのみ考えれば、大蛇の相手は2人のほうが向いているのかもしれない。
「次はあっちの電車」
「おう」「はい」
負の連鎖を止めるべく、大蛇を倒しに3人は向かった。
神輿が国を構える淡路島へ。
────一方その頃。
「綺麗、、、か。ふふふ」
3人と別れた三途は、淤岐ノ島 で足をプラプラとさせながら夕陽を眺めていた。
思い出すのは天子に綺麗だと言われた時の記憶。
もう数時間は経っているのに色褪せず、今も三途の心を躍らせていた。
「赤鮫も神輿も大蛇も、わらわの完全変態を醜いと言っておったというのに」
高天原にいる間、2度ほど完全変態をした事がある。
その度に醜いと言われ、三途自身も水面に映る自身の姿が嫌いだった。
褒めてくれたのは天子で二人目。
「天子殿。中身まで色濃く受け継ぐとは罪な男じゃのう、、、」
足をぷらぷら体をくねくね。
満足気に頬を染めながら、高天原で唯一自身の容姿を褒めてくれた存在を思い出すのだった。




