第29話:焼印の地図
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『食べるほど強くなる小人の俺は、巨人に支配された世界を物理でぶち壊す』
今回もよろしくお願いします。
山道に入って三日目の昼過ぎだった。
街道を外れてから高度が上がり、木の種類が変わった。低地の広葉樹から針葉樹の密林になって、足元の土が固くなった。踏み固められた道ではなく、獣道と崖の間を縫うように進んでいる。追跡者の目を避けるには街道から離れるほうがいいが、代わりに地形が複雑になる。
リトは先頭を歩いていた。
神耳を開いている。常時ではなく、五分に一度程度、周囲の音を拾う形にしている。常時開放すると情報が多すぎて疲弊する。必要な時に必要な範囲だけ拾う、という使い方を第2章の移動中に覚えた。
風の音、鳥の声、松の枝が揺れる音、ルカの足音、ミラの足音、セイの足音、父の足音、母の足音。
全部把握している。
異常はなかった。
リトは神耳を閉じて、前を見た。
問題が起きたのは、岩場の迂回路を曲がったところだった。
道幅が急に広くなる場所がある。岩が崩れて平坦になっており、その向こうに斜面が続いている。ミラが前から「ここで一度止まる」と言った。
全員が止まった。
リトが神耳を開いた。
聞こえた。
三つの足音。岩場の向こう、斜面の上から下りてくる方向。歩幅が小さい。重さが軽い。小人だ。
「三人、上から来る」とリトが言った。「小人。速度は遅い、気づいていない」
全員が岩陰に入った。
父が母の手を引いた。ルカが最も大きな岩の裏側に回った。ミラがリトの隣に来た。セイが——
セイが動かなかった。
リトがセイを見た。セイは岩陰ではなく、道の真ん中に立っていた。表情がなかった。目だけが斜面の上の方を見ていた。
「セイ」とリトが小声で言った。
セイが振り返らなかった。
足音が近づいてきた。
三人の追跡者が斜面を下りてきて、岩場の入口で止まった。
全員が小人だった。リトより少し大きい、五十センチ前後の体格。黒い上着に焼印確認用の器具を腰に下げている。先頭の一人が手信号を出して残り二人を止めた。
その先頭の一人がセイを見た。
セイが見返した。
三秒ほど、何もなかった。
先頭の追跡者が言った。
「セイ。第十二追跡班、班長補佐のセイだな」
セイが答えなかった。
「大領主命令で捜索中だ。城に戻れ。お前が持ち出した文書庫の資料を返却すれば処分は軽くなる」
セイがまだ答えなかった。
追跡者の後ろの二人が動こうとした。その瞬間、セイが口を開いた。
「俺は大領主の犬じゃない」
声が平坦だった。怒ってもいない、震えてもいない。ただ、事実を確認するような言い方だった。
「もう、そういうものじゃない」
先頭の追跡者が目を細めた。
「班長補佐、お前は——」
「班長補佐でもない」
リトが動いたのはそこだった。
岩陰から出て、三人の追跡者の位置を確認した。先頭が中央、後ろの二人が左右にやや広がっている。三角形の頂点と底辺の両端。
やることは一つだ。
三人を囲む空間の、空気を操る。
圧力を均等に上げるのではなく、特定の層だけを薄くする。酸素の濃い層だけを、三人の顔の周辺だけ、薄く。
前の章でセイに試みて成功した方法だ。対象を殴るのでも刃を向けるのでもない。ただ、呼吸に必要なものを、一時的に遠ざける。
三人が同時に気づいたのは、リトが岩陰から出て三秒後だった。
「何だ——」と先頭が言いかけた。
言い終わらなかった。
膝から力が抜ける感覚が来る。リトには分かる。自分が操作しているから、どういう順序で体に来るかが分かる。まず頭が重くなる。次に足が重くなる。呼吸が浅くなって、視界が狭くなって、そのまま——
三人が倒れた。
先頭から順に、後ろの二人がほぼ同時に。岩場の地面に、静かに崩れるように倒れた。
リトは操作を止めた。
圧力が正常に戻る。倒れた三人の呼吸を確認する。胸が動いている。三人とも、動いている。
「生きてる」とルカが岩陰から出ながら言った。確認ではなく、念押しのような言い方だった。
「生きてる」とリトが答えた。
セイが三人に近づいた。
先頭の追跡者の顔を見た。見知った顔かもしれない。それとも知らない顔かもしれない。リトにはセイの表情から読み取れなかった。
セイはしばらくその顔を見てから、視線を外した。
「縛るか」とルカが言った。
「縛っても意味がない、気がついたら解く」とリトが言った。「ここから離れる。それだけでいい」
「起きたら追ってくる」
「そのときはそのとき考える」
ルカが「それでいいのか」と言ったが、反論ではなかった。ルカなりの確認だった。
「いい」とリトが言った。
三人を追うよりも、三人から離れることの方が今は重要だ。追跡者を一人でも傷つければ、大領主の部隊が出てくる理由が増える。今は理由を増やさない方がいい。
移動を再開した。
岩場を抜けて斜面を上る。追跡者三人が来た方向とは逆に進む。道がなくなって、草と岩の間を選びながら歩く形になった。
五分ほど歩いたとき、ミラが後ろで立ち止まった。
「ちょっと待って」
全員が止まった。
ミラが振り返っていた。来た方向を見ている。
「戻るのか」とルカが聞いた。
「違う」とミラが言った。「見てきたい」
「何を」
「追跡者の首の焼印」
リトがミラを見た。
「何か気になったのか」
「さっき三人が倒れたとき、一人の首が見えた。焼印が」ミラが言葉を選んでいた。「似てた」
「何に」
「地図の記号に」
全員の動きが止まった。
戻ることにした。
リトが先行して追跡者三人の呼吸を再確認した。まだ眠っている。気圧操作の効果が続いている時間は、試した範囲では十分から十五分程度だ。まだ余裕がある。
ミラが先頭の追跡者の首元に近づいた。
上着の襟が邪魔をしている。ミラが指で少しだけ押さえて、焼印を露出させた。
首の左側に、黒い線で刻まれた記号がある。
ミラが父に声をかけた。
「地図、見せてもらえますか」
父が上着の内側から地図を取り出した。広げた。ミラが地図と、追跡者の首元を交互に見た。
リトも並んで見た。
地図には三か所に記号が描かれている。東の城のある場所の記号、北の山脈の向こうの記号、そして三番目の場所の記号。三つとも同じ形ではなく、基本の輪郭は似ているが、細部に差異がある。
追跡者の首の焼印は——
地図の東の城の記号と、基本の輪郭が一致していた。
完全に同じではない。焼印の方が線が多く、複雑になっている。だが、元になった形が同じだということは、並べれば分かる。
「同じだ」とリトが言った。
「似てる、だと思う」とミラが訂正した。「同じではない。でも根っこは——」
「根っこは同じだ」と父が言った。
父が地図と焼印を交互に見ていた。その目が、何かを追っていた。
「この人の焼印と、東の城の記号が似てるとして」とミラが言った。「北の山脈の向こうの記号とは、また少し違う形になってる。三番目の場所の記号とは、もっと違う」
「場所ごとに形が違う」とセイが言った。
「でも同じものから来てる」
全員が少し黙った。
リトは追跡者の首元を見た。この人間は大領主の命令で動いている。大領主の縄張りで生まれて、焼印を刻まれて、追跡者として働いている。その首に刻まれた記号が、地図に描かれた記号と同じ根を持っている。
それはどういう意味なのか。
焼印は追跡の道具だ。持ち主が探そうとすると反応する。そういうものだとリトは思っていた。だが地図の記号が焼印と繋がっているとすれば——
地図は何を示しているのか。
「分からないな」とリトは言った。声に出すつもりはなかったが、出た。
「分からない」とミラが同意した。「でも関係はある」
「関係はある」
父がゆっくりと地図を畳んだ。
三人の追跡者の一人が、わずかに体を動かした。目覚め始めている。
「行こう」とリトが言った。
斜面を上りながら、リトは地図のことを考えていた。
父が言っていた。記号がある場所は三つ。形は少しずつ違う。
追跡者の焼印は東の城の記号と同じ根を持っていた。
ならば北の山脈の向こうには、別の形の焼印を持つ者がいるのか。三番目の場所には、さらに別の形の焼印を持つ者がいるのか。
それとも——
「リト」とセイが後ろから言った。
「何だ」
「さっきの三人」とセイが言った。「俺が知ってる連中じゃなかった」
「そうか」
「俺が班長補佐だったとき、一緒に動いてた人間はもっと少なかった。あの三人は別の班だ。大領主が複数の班を動かして探してる」
リトは前を向いたまま聞いていた。
「お前を探すのにそれだけ動いてるということか」
「文書庫の本があるからだと思う」
「かもしれない」
セイが少し間を置いた。
「俺が持ってていいのか、これ」
リトは振り返った。セイが鞄の上に手を置いていた。文書庫の本が入っている鞄。
「お前以外に誰が持つんだ」とリトが言った。「お前が一番、解読に近い」
「近くない。一文字も読めない」
「でも一番近い」
セイが何も言わなかった。
リトは前を向いた。
斜面の上に空が見えた。木が途切れる場所がある。そこまで上れば、北の山脈の輪郭が見えるかもしれない。
次の記号がある場所が、見えるかもしれない。
リトは歩く速度を少し上げた。
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