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異世界から来た男と寝具

風呂という文明の暴力に敗北しながらも、私はしばらく湯に浸かっていた。


温かい。

ただひたすら温かい。

気付けば肩の力も抜けていた。

魔王との戦いが終わったからか。

見知らぬ世界に来たからか。

それともこの湯のせいか。

自分でもよく分からない。


その時だった。


玄関の方から物音が聞こえた。

扉が開く音。

誰かが戻ってきたらしい。


おそらく村上だろう。


私は慌てて立ち上がった。


「む」


体が軽い。

驚くほど軽い。


湯に浸かっただけでここまで疲労が抜けるものなのか。

この世界の風呂という施設、恐るべし。浴室を出る。


用意されていた布で髪を拭く。

不思議な布だった。

驚くほど水を吸う。

髪を何度か拭いただけでほとんど乾いてしまった。


この世界の生活用品は本当に理解できない。


そして脱衣所に置かれた籠を見て私は足を止めた。


「……?」


服がある。


見覚えのない服だった。


黒い半袖のシャツ。

ゆったりしたズボン。

下着。


どれも新品だ。


私はしばらく考える。


そしてすぐに答えへ辿り着いた。


「あの人か」


他にいない。

私は静かに服へ手を伸ばした。

今日会ったばかりだ。

異世界から来たという話も信じていない。

それなのに。

飯を食わせ。

風呂を貸し。

今度は服まで用意する。

理解できない。


だが。

ありがたいとは思った。


私は誰もいない脱衣所で小さく頭を下げる。


そして新しい服へ袖を通した。


居間へ戻ると、村上が買い物袋を足元へ置いてなにかを飲んでいた。


「お、上がったか」


「ああ」


村上はこちらを見て頷く。


「サイズは大丈夫そうだな」


私は着ている服を見下ろした。

確かに少し大きい。

だが動きやすい。

問題はなかった。


「この服、あんたが用意したのか」


「他に誰がいるんだよ」


村上はそう言って笑う。


まるで大したことではないらしい。


私は少し迷った。


そして言った。


「ありがとう」


村上は一瞬だけ目を丸くした。


しかしすぐに笑う。


「気にすんな」


「だが」


「その代わり明日、掃除手伝え」


「それだけでいいのか」


「それだけでいい」


安いな。

思わずそう思った。

冒険者の常識なら、これだけ世話になれば何日も働いて返すものだ。


しかし村上は気にした様子もない。


「さて」


村上は立ち上がる。


「もう遅い」


「?」


「寝るぞ」


店の二階へ上がる。

古い木の階段だった。

歩くたびに軋む。

だが嫌な音ではない。

長い年月を感じる音だった。


案内された部屋は小さかった。


机が一つ。

押し入れが一つ。

そして床には。


「……?」


見慣れない寝具が敷かれていた。

厚い布のようなものだ。

だが毛布とも違う。


「布団だ」


村上が言う。


「ふとん?」


「寝るやつ」


私は恐る恐る近づいた。

指で押す。


沈む。


「む」


もう一度押す。


沈む。


私は眉をひそめた。

柔らかい。


妙に柔らかい。

地面でもない。

木の寝台でもない。

宿の寝床とも違う。


「どうした?」


「柔らかい」


「そういうもんだ」


「柔らかすぎないか」


「そんなことない」


私は布団を見つめる。

布団は何も答えない。

だが信用できない。

明らかに沈む。


村上は肩を震わせていた。


笑いを堪えているらしい。


「じゃ、おやすみ」


「待て」


「なんだ」


「本当にこれで寝るのか」


「寝るよ」


「全員か」


「全員だ」


村上はとうとう吹き出した。


「ぶははははっ!」


笑いながら部屋を出ていく。


階段を下りる音が遠ざかっていった。




静かになった部屋で、

私は改めて寝具を見下ろした。

布団というらしい。


どう見ても柔らかすぎる。

私は慎重に腰を下ろした。


沈む。


立ち上がる。


もう一度座る。


やはり沈む。


「……」


どうやら罠ではないらしい。


私は恐る恐る横になった。


「む」


思わず声が漏れる。


柔らかい。

身体を受け止めているのに、どこも痛くない。

背中が床に押し付けられる感覚もない。

まるで雲の上とは言わないが、干し草の寝床よりはるかに快適だった。


「これが……布団」


恐るべし。


風呂に続き、またしても生活技術が私を襲ってきた。


だが。


本当の脅威は別にあった。

頭の横に置かれている白い袋のようなもの。


先ほどから気になっていた。

私はそれを手に取る。


軽い。

そして柔らかい。


押す。


沈む。


離す。


戻る。


押す。


沈む。


離す。


戻る。


「……」


何だこれは?


私はしばらく観察した。


布でもない。

革でもない。

藁袋とも違う。


何かが詰まっているようだが、感触がおかしい。


「まさか」


ふと思う。


「スライムではあるまいな?」


もちろん違うだろう。

さすがにそんなはずはない。


だが、この世界は風呂の湯すら火も魔法も見えずに沸いているのだ。

少しくらい疑ってもいいはずだ。

私は慎重に頭を乗せた。


沈む。


「!?」


反射的に頭を上げた。

白い袋は何事もなかったように元へ戻る。


もう一度。


頭を乗せる。


沈む。


支える。


沈む。


支える。


「……なんだこれは」


首が楽だった。


驚くほど楽だった。


肩に力が入らない。


頭の重さを感じない。


冒険者の野営では、丸めた外套や荷袋を枕代わりにすることが多い。

宿に泊まれても大差ない。


だがこれは違う。

全く違う。

私は天井を見上げた。


風呂は強かった。


布団も強かった。


そしてこの白い頭置きも。


「……強い」


思わず呟く。


窓の外では虫が鳴いていた。

遠くから別の音も聞こえる、聞いたことのない音だ。


見たことのない世界だ。


知らない人間の家だ。


それなのに、不思議と不安はなかった。


頭の下では枕が静かに支えている。

身体は布団に包まれている。

風呂の温かさもまだ残っている。


まぶたが重くなった。


「……この世界は」


そこまで呟いて、


言葉は続かなかった。


魔王を倒した日の夜。


異世界から来た冒険者兼料理人レオン・バルガスは、

人生で一番柔らかい寝床に敗北した。

そして数分後には、

深い眠りへ落ちていた。

ようやく眠りについたレオンですが、まだほんのひとかけらしかこちらの世界を経験していません。

これから彼がどんな経験をしていくのか?

さらには料理人としてどんな経験をしていくのか?

(ちなみに飯食って風呂入って寝るだけでこんだけ長くなってしまったのでどうしようかとか思っていますが)

お楽しみに。

それでは次回のお話で

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