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異世界から来た男と風呂

「よし」


村上が腕時計を見る。


「今日はもう終わりだ」


「終わり?」


「店じまいだよ」


そう言って立ち上がると、こちらを見た。


数秒。


じっと見られる。


「……なんだ?」


「いや」


村上は鼻を鳴らした。


「お前、臭ぇな」


「なっ」


思わず絶句した。


「失礼ではないか」


「失礼じゃねぇ。事実だ」


村上は豪快に笑う。


「汗と埃と油の匂いがする」


私は自分の服を見る。


確かに綺麗とは言えない。


魔王との戦いから今日まで、まともに身なりを整える余裕などなかった。


上着も擦り切れ、


袖には泥がこびりついている。


「戦いの後だからな」


「戦い戦いって、お前ほんと変なやつだな」


村上は肩をすくめた。


「とにかく風呂入れ」


「ふろ?」


「体洗う場所だ」


共同浴場のようなものだろうか。


私は頷いた。


「分かった」


村上は店の奥を指差す。


「使い方は後で教える」


そう言って厨房へ戻る。


私はその背中を見送りながら店の奥へ向かった。


店の奥へ進むと、細い廊下が続いていた。


客席からは見えない場所だ。


住居になっているらしい。


壁には写真がいくつも飾られている。


若い頃の村上だろうか。


見慣れない女性と並んで笑っている写真もある。


だが今は立ち止まらない。


案内された扉の前まで来る。


木の扉。


私はそっと開いた。


「……?」


中は小さな部屋だった。


白い壁。白い床。そして。


「なんだこれは」


大きな箱のようなものがある。

その横には金属の管。壁には謎のつまみ。


見たこともない。


その時、後ろから村上の声が飛んできた。


「おーい、分かるか?」


「分からん」


即答だった。


「だろうな」


村上がやってくる。


そして壁のつまみを捻った。


ザーッ。


突然、上から水が降ってきた。


「っ!?」


私は反射的に半歩飛び退く。


「敵襲か!?」


「違ぇよ!」


村上が吹き出した。


「だから毎回戦闘態勢になるな!」


「いや、今のは誰でも警戒するだろう!」


「しねぇよ!」


また笑っている。


私は降り続ける湯を睨んだ。


どう見ても罠だ。


しかし村上は平然としている。


「シャワーだ」


「しゃわー」


「体洗うやつ」


「上から湯を降らせる必要があるのか?」


「あるんだよ」


理解できない。

この世界の生活技術は時々意味不明だ。


説明を一通り受けると、村上は扉の外へ出た。


「終わったら声かけろ」


「分かった」


扉が閉まる。


静寂。


私は改めて浴室を見回した。


白い壁。

白い床。

そして巨大な箱のような浴槽。

見たことのない材質だった。


石ではない。

木でもない。

金属にも見えない。


恐る恐る叩く。


コンコン。


「……軽い?」


不思議な感触だった。


さらに壁に触れる。

冷たい。

だが嫌な冷たさではない。


「何でできているのだ……」


未知の素材だった。


私は浴槽へ近づく。

湯気が立っている。

指先を浸す。


温かい。


いや。


かなり温かい。


私は眉をひそめた。


「待て」


おかしい。


浴室内を見回す。


火がない。

薪もない。

炭もない。

魔石もない。

魔法陣もない。


熱源らしきものがどこにも見当たらない。


私は浴槽の縁に手を置いた。


温かい。

確かに湯だ。


しかし。


「どうやって加熱した」


料理人として気になる。

冒険者としても気になる。

魔法使いとしてなおさら気になる。

私は浴槽の裏側まで覗き込んだ。


何もない。


壁を調べる。

何もない。


床を見る。

何もない。


「……分からん」


悔しい。


これだけ観察しても仕組みが見えない。


ふと。


頭に一つの可能性が浮かぶ。


「まさか……」


私は真顔になった。


「常時発動型の火属性術式か?」


あり得る。


この世界の人間は魔法を認識していないだけで、

無意識に利用しているのかもしれない。


かなり高度だ。


「そう考えれば辻褄が――」


その瞬間。


ガラッ。


扉が開いた。


「まだ入ってねぇのか?」


村上だった。


私は振り返る。


「聞きたいことがある」


「なんだ」


「この湯はどうやって温めている」


村上は数秒黙った。


そして答える。


「給湯器」


「きゅうとうき?」


「おう。そういう名前のものだ」


「火属性術式ではなく?」


「違う」


「魔法陣でもなく?」


「違う」


「精霊契約でもなく?」


「違う」


「では何者だ」


「だから給湯器だって、俺も詳しい仕組みは知らねぇけどな」


村上は頭を掻いた。


私は浴槽を見る。


湯を見る。


村上を見る。


もう一度湯を見る。


そして真顔で呟いた。


「……この世界、料理以外の技術だけ異常発達していないか?」


「だから何で料理だけ除外するんだよ」


村上の笑い声が浴室に響いた。


扉が閉まる。


静寂。


私は改めて浴室を見回した。


不思議な場所だ。


湯が出る。


湯が溜まる。


しかも熱源が見当たらない。


未だに納得はしていない。


だが。


まずは体を洗えと言われた。


ならば従おう。


私は壁際に並ぶ容器へ目を向けた。

小さな瓶が二つ。

どちらも見たことがない。

液体が入っている。

薬品か。

あるいは洗浄剤か。


私は慎重に蓋を開ける。


甘い香りがした。


「……香油?」


違う気もする。


とりあえず手に取る。

ぬるりとしていた。


少し考えた後、腕に塗る。


何も起きない。


もう少し使う。


やはり何も起きない。


「……用途が分からん」


困った。


しかし村上を呼ぶほどではない。


多分。


おそらく。


きっと。


私はしばらく試行錯誤した。


頭に塗ってみる。


泡立った。


驚く。


体に塗ってみる。


また泡立つ。


驚く。


流したら妙にさっぱりした。


さらに驚く。


「なんだこれは……」


便利すぎる。


この世界は本当に生活技術だけおかしい。


気付けば随分時間が経っていた。

髪も洗った。

体も洗った。

何度か容器を間違えた気もする。

だが概ね成功だろう。


たぶん。


そして。


ようやく浴槽へ向き直る。


白い湯気が立ち上っている。

私はゆっくり足を入れた。


温かい。


さらに腰まで沈む。


肩まで浸かる。


その瞬間だった。


「…………」


思考が止まった。


温かい。


全身を包み込むような熱。

力が抜ける。

肩の緊張がほどける。


長い戦いで積み重なった疲労が、湯の中へ溶けていくようだった。


魔王討伐の旅では、野営が当たり前だった。

川で体を流すこともあった。

宿に泊まれることもあった。


だが。


こんな湯に、好きなだけ浸かるなどほとんど記憶にない。


「……」


湯気が揺れる。


静かだった。


魔物の咆哮もない。


夜警もいない。


剣を手元に置く必要もない。


仲間の見張り番もない。


ただ、温かい湯があるだけだ。


「…………」


さらに数分。


私はぼんやり天井を見つめる。


そして。


小さく呟いた。


「これは……」


言葉を探す。


王城の大浴場とも違う。

高級宿とも違う。


もっと単純な感想だった。


「……強い」


思わず漏れた。


魔王より強いとは言わない。


だが。

少なくとも今日の私には勝てない。


湯は、圧倒的だった。

少し間が空いてしまいましたが、続きです。

今回は少し長くなりました、料理は知っていても風呂という文明は全く知らないレオンですので

なお村上はレオンが風呂という文明の暴力に敗北しているとは知らず、

夜の街で買い物をしていますが、それは次のお話で。

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