表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第一章 ~三歳の茶太郎、宇治を巡る~
PR
9/18

第9話 「巨椋池の四柱と、無病息災の粥」

――大地・川・池・獣王が、古い疫病の記憶に向き合う――


 米粉に茶葉の香りを移し、米飴でほのかな甘みをつける。


 茶太郎が作った水霊団子を、荒ぶる水霊は恐る恐る口へ運んだ。


 ひとつ食べるごとに、形の定まらなかった青白い体が透き通っていく。絡まっていた水の糸もほどけ、正しい流れへ戻り始めた。


 やがて水霊は、小さな水の玉へ姿を変えた。


『……帰れる』


 かすかな声を残し、水の中へ溶けていく。


 荒れていた支流は、嘘のように静まった。


「すげぇ……」


 河童は、穏やかになった水面を見つめている。


「供え物を食べてもらうことはあったけど、水霊の声まで取り戻すなんて」


「団子だけの力じゃないよ」


 茶太郎は水の流れへ目を向けた。


「河童が水路を守ってたから、水霊は帰れたんだと思う」


「お、俺も役に立ったのか?」


「うん。ずっと一人で頑張ってたんだね」


 河童は照れくさそうに皿をかいた。


「ま、まあな! 巨椋池の河童やからな!」


 かん太は火の始末を終え、残った材料を荷へ戻した。


「これで村の水路も落ち着くんか?」


「この支流はな」


 河童の表情が曇る。


「でも、濁りの元はもっと池の奥にある。水霊が荒れたのも、そのせいだ」


 縁が水面へ目を凝らした。


「青い糸が、まだ奥へ続いてる」


『確かめる必要がある』


 茶丸も池の奥を見つめる。


『うじまるが追っていた濁りと、同じものかもしれぬ』


「案内するよ」


 河童は水路の脇にある細い道を指した。


「ただし、足元には気をつけてくれ。ここから先は、昔から“祟り場”と呼ばれてる」


     ◇


 巨椋池の奥へ進むにつれ、辺りから音が消えていった。


 蓮の葉は風もないのに小さく揺れ、水面には透明な部分と黒く濁った部分が入り交じっている。


 湿地の中央には、古い石の祠が半ば水へ沈んでいた。


「ここ、糸が多すぎる……」


 縁は目を細める。


 土から伸びる茶色の糸。


 宇治川へ続く青い糸。


 池全体を巡る銀色の糸。


 そのすべてに、黒い染みのようなものが絡みついている。


「昔、この辺りで病が広がったことがあるんだ」


 河童が声を落とした。


「長雨で水が濁り、人も獣もたくさん倒れた。何が病を起こしたのか、俺たちには分からない。でも、そのときの恐れや悲しみが、池の底に残ってる」


 茶太郎の舌に、古く重い苦みが広がった。


 祠神が抱えていた寂しさとも、うじまるの怒りとも違う。


 冷たい水。


 空腹。


 帰ってこない家族を待つ悲しみ。


 幾つもの記憶が混ざり合い、黒い濁りになっていた。


「病そのものじゃない」


 茶太郎は胸を押さえた。


「病気を怖がった人たちの気持ちが、ずっと残ってる」


『気を抜くな』


 茶丸が低く告げる。


『大きな地の気配が目覚める』


 足元の湿地が、ぐ、と沈んだ。


 水面に円い波紋が広がり、地面の奥から太い木の根のようなものが伸びてくる。


 絡み合った根と土が人の姿を作り、苔むした老人の顔が現れた。


 立ち上がっただけで、大地が低く震える。


「水霊を鎮めたのは、そなたらか」


 腹の底へ響く声だった。


「はい。水霊団子を作りました」


 茶太郎が答えると、土の神は目を細めた。


「そなたから、茶畑の地脈の気を感じる」


「この方は誰?」


 縁が尋ねる。


「宇治土公さまだ」


 河童が頭を下げた。


「巨椋池につながる土と、宇治の地脈を見守る古い神さまなんだ」


 宇治土公は茶太郎の前へ片膝をつき、じっと顔を見つめた。


「眠っていた地脈へ触れたのも、そなたであろう」


「僕一人じゃないです。ゆかりが糸を見つけて、茶丸が力の使い方を教えてくれました」


「力を己だけのものと考えぬか」


 宇治土公は小さく頷いた。


「ならば、地はもうしばらく、そなたの歩みを見守ろう」


 茶丸が前へ出ると、二柱の視線が交わった。


『地の主よ。池の底に残る、この濁りは何だ』


「古い恐れが、土へ沈んだものだ」


 宇治土公は、水没した祠を見た。


「病で人が倒れたころ、この場所には無病息災を願う粥が供えられた。生き残った者が米を持ち寄り、亡くなった者と水辺の霊へ分けたのだ」


「その粥を作れば、病気が治るの?」


 茶太郎が尋ねると、宇治土公は首を横に振った。


「粥は薬ではない。病を治すものでも、病を防ぐものでもない」


 その答えは、はっきりしていた。


「温かな食べ物を分け合い、弱った者へ力を戻し、失った者を皆で悼む。その行いが、人々の心を支えたのだ」


 祠へ絡んだ黒い糸が、重く揺れる。


「だが、祈りも供え物も途絶えた。残された悲しみは行き場を失い、再び池を濁らせ始めている」


 そのとき、水面から大きな泡が上がった。


「土公殿!」


 水を割って現れたのは、宇治川の水神うじまるだった。


 半透明の大鯰が太い尾を振り、祠の近くまで泳いでくる。


「川から濁りを追ってきたが、やはりここへ集まっておったか」


「うじまる!」


「茶太郎か。また妙な場所へ入り込んだものじゃな」


「うじまるも、この黒いものが見えるの?」


「見えるとも。池の濁りが川へ流れ、川の乱れが再び池へ返る。土も水も、長い間同じところを巡っておる」


 宇治土公が腕を組む。


「お前が川の濁りを、もう少し早く止めておればよかったのだ」


「何を言う。土が濁りを抱え込むから、川へ染み出したのじゃろう」


「また始まったよ……」


 河童が肩を落とした。


「土公さまとうじまるは、会うといつもこうなんだ」


 茶太郎が二柱を見比べる。


「仲が悪いの?」


『互いに相手の働きを知りすぎているのだ』


 茶丸が答えた。


『水だけでも、土だけでも、この池は成り立たぬ。それゆえ責任を押しつけ合ってしまう』


「聞こえておるぞ、獣王」


 うじまるがひげを揺らした。


『聞かせたのだ』


 茶丸は平然としている。


 そのとき、祠の向こうで水面が金色に光った。


 大きな鯉が水中から跳び上がり、朝の光を受けて輝く。


 鯉は空中で水の衣をまとい、若い女性の姿へ変わった。


 長い髪には金色の鱗が混じり、袖の先から水滴がこぼれている。


「二人とも、また責任の押しつけ合い?」


 女性は呆れたように腰へ手を当てた。


「池の水霊たちが苦しんでるんだから、喧嘩してる場合じゃないでしょ」


「鯉姫さまだ」


 河童が小声で説明する。


「巨椋池の水霊を束ねる、池の守り手だよ」


 鯉姫は茶太郎の前まで来ると、その周囲の香りを確かめた。


「あなたが水霊団子を作ってくれた子ね」


「茶太郎です」


「優しい香りがする。茶葉だけじゃないわね」


 鯉姫は茶太郎の胸へ視線を向けた。


「土と川と、たくさんの人の縁が混ざってる」


 うじまるが水面から顔を出した。


「茶太郎には、水の心を感じる力が芽生えておる」


「なるほど。それで、あの子たちを帰してくれたのね」


 鯉姫の笑顔が、少しだけ寂しげなものへ変わった。


「でも、池の底にはまだ大勢いる。昔の悲しみに捕まって、自分が何者だったかも忘れかけてる水霊が」


 茶太郎は、黒く濁った水面を見つめた。


「その霊たちにも、無病息災の粥を届けられるかな」


「作るだけでは届かぬ」


 宇治土公が答える。


「土が器を支え、川が清い水を運び、池が霊たちへ道を開く必要がある」


『そして、我が周囲の邪気を退けよう』


 茶丸が四本の足で、しっかりと地面を踏んだ。


 縁の瞳に、四つの太い糸が映る。


 大地を司る宇治土公。


 宇治川を守るうじまる。


 巨椋池の水霊を束ねる鯉姫。


 そして、獣たちを率いる茶丸。


「四つの糸が、祠の前で結ばれてる」


 四柱の力がそろえば、池の奥まで料理の縁を届けられる。


 けれど、その中心には、料理を作る者が必要だった。


「茶太郎」


 かん太が荷を下ろした。


「兄ちゃんも手伝う。一緒に粥を作ろう」


「ぼくもお米を運ぶよ〜!」


「こたろは、一度に持ちすぎないでね」


 縁が釘を刺す。


 希太は祠の周囲を歩き、黒い糸の濃い場所を見張った。


『ゆかりには近づけさせないにゃ』


 河童も胸を張る。


「火を使える場所と、清い水が湧く場所なら俺が知ってる!」


 皆が動き始める中、茶太郎は亜空間収納から米と茶葉を取り出した。


 うじまるが運んだ清い水で米を炊き、茶葉の香りを重ねる。


 ただし、苦い記憶を無理に甘く隠してはいけない。


 茶太郎は第6話で祠神へ作った茶を思い出し、若葉に少し育った厚い葉を加えた。


「悲しかったことは、消さない」


 茶太郎は茶葉を揉みながら呟いた。


「でも、独りで抱えなくていいって伝わる味にしたい」


 かん太が火を整え、河童が運んだ水を鍋で沸かす。


 米を入れてゆっくり煮ると、白い湯気が立ち上った。


 茶太郎は茶葉を布へ包み、香りと霊気だけが粥へ移るよう、鍋の湯気へかざした。


 青く柔らかな香りが、米の甘い匂いと重なる。


「茶太郎の糸が、粥から四柱へ伸びてる」


 縁が声を上げる。


 宇治土公が地面へ手を置き、器を載せる場所を固める。


 うじまるが祠の周りへ新しい水を巡らせる。


 鯉姫は池の奥へ呼びかけ、水霊たちの帰り道を開いた。


 茶丸の金色の霊気が一行を包み、黒い影を遠ざける。


 粥が炊き上がるころ、辺りには穏やかな香りが満ちていた。


 茶太郎は最初の一椀を、半ば沈んだ祠の前へ置く。


「病気を治す粥じゃない」


 黒い水面へ向かって語りかけた。


「怖かったことも、悲しかったことも、なくせない。でも、もう独りで待たなくていいよ」


 しばらく、何も起こらなかった。


 やがて池の奥で、小さな青い光が一つ灯った。


 続いて二つ、三つ。


 無数の光が水底から浮かび上がり、祠を囲むように集まってくる。


『……温かい』


『誰かが、帰ってきた』


『もう、待たなくていいのか』


 水霊たちの声が、風のように重なった。


 粥から立つ湯気が細い糸へ変わり、一つ一つの光へ届いていく。


 池を覆っていた黒い濁りが、少しずつ薄くなった。


 すべてが消えたわけではない。


 それでも、濁りの中へ水の色が戻り始めている。


「届いた……」


 茶太郎が微笑む。


「ええ」


 鯉姫も水霊たちを見つめ、目を細めた。


「池の底まで、ちゃんと届いたわ」


 宇治土公は地面へ手を置き、戻り始めた地脈の鼓動を確かめる。


「土が、悲しみを手放し始めた」


 うじまるは穏やかになった水面へ尾を沈めた。


「これなら、川へ流れ出す濁りも減るじゃろう」


『一度の料理ですべてが戻るわけではない』


 茶丸が告げる。


『だが、帰るための道はできた』


 茶太郎は四柱と、料理を手伝ってくれた仲間たちを見渡した。


 土だけでも、水だけでも、獣の力だけでも届かなかった。


 皆の力が一つの場所で結ばれたから、粥は水霊たちのもとへ届いたのだ。


 その日、巨椋池には久しぶりに、温かな米と茶の香りが漂った。


 後に《無病息災の粥》と呼ばれるその一椀は、病を消す奇跡の薬ではない。


 悲しみに沈んだ者へ、もう一度誰かと生きる力を渡す、祈りの料理だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ