第85話 「東山の焦げ木と、京鈴の聞き分ける音」
――燃え残ったものを、すべて燃料にしてはいけない――
北山産の木屑炭団が届き始めると、下京の炊事場には少し余裕が生まれた。
しかし、東山の避難所からも要望が届いた。
天文法華の乱で聖護院や浄土寺周辺が焼かれ、山裾には多くの避難民が残っている。
炊事の薪も、冬を越す炭も足りないという。
「東山には焦げた木が、ようけある」
町の男が言った。
「あれを炭団にすれば、材料には困らんやろ」
だが茶太郎は、すぐには頷かなかった。
「何が塗ってあった木か、分からないよ」
寺や屋敷の木材には、漆、油、顔料が使われているものもある。
それを燃やせば、料理へ嫌な匂いが移るだけでなく、身体を害する煙が出るかもしれない。
「一度、見に行こう」
茶太郎たちは東山へ向かった。
今回、先頭を歩いたのは京鈴だった。
片方だけの赤い草履が、焼けた道を踏んでいく。
京鈴はこの辺りへ近づくと、いつも口数が少なくなる。
火事の日に聞いた、柱が裂ける音や屋根が落ちる音を思い出すからだ。
「無理して行かなくてもいいよ」
茶太郎が言う。
「……行く」
京鈴は首から下げた焼けた鈴を握った。
「危ない木の音、うちなら分かるから」
焼け跡には、黒く焦げた柱や板が山積みにされていた。
灰童子のカイが木材の間を歩く。
「これは普通の焦げた匂い。こっちは油。これは……漆みたいな匂い」
甚八が鉈で木を割り、内部を確認する。
「表面だけ見たら分からんな。油の染みた木は、炭団に使わん」
伊平じいさんは木材を三つに分けた。
修復に使える材。
燃料へ回せる無塗装の端材。
危険で、燃やしてはならない材。
こたろは色の違う縄で置き場を囲む。
「白が建物。茶色が炭。赤は触らない!」
「今日は覚えとるな」
かん太が感心すると、こたろは胸を張った。
「ぼく、色があったら間違えないよ!」
そのとき、京鈴が立ち止まった。
半分焦げた大きな梁へ耳を近づける。
「……中で鳴っとる」
「虫か?」
甚八が尋ねる。
「違う。上から重い音が返ってくる」
京鈴は梁の上を見上げた。
焼け残った壁の一部が、梁へ寄りかかっている。
外からは立っているように見えるが、支えを失いかけていた。
「みんな、離れて!」
ゆかりが赤い組紐を張り、子どもたちを退避させる。
甚八と大工が長い縄をかけ、安全な方向から壁を倒した。
直後、梁の上へ大量の瓦が落ちる。
もし木を引き抜いていれば、作業中の者が下敷きになっていた。
京鈴の肩が震えていた。
「また……あの音やった」
茶太郎は、何も言わず京鈴の隣へ座った。
励ますことも、忘れさせようとすることもしない。
しばらくして、京鈴は自分から立ち上がった。
「でも今度は、落ちる前に言えた」
「うん」
「前は聞くだけやった。今日は……止められた」
茶太郎が頷くと、京鈴は焼けた鈴から手を離した。
選別した木屑を炭化し、東山で最初の木屑炭団を作る。
カイは煙と匂い。
京鈴は乾燥した音。
レオは材料と個数の記録。
ゆかりは作業場所を色紐で分ける。
こたろは木型から出した炭団を、一列十個ずつ並べた。
「十、二十、三十! 一列にしたら忘れない!」
「自分で数え方を考えたんやな」
かん太に褒められ、こたろは照れながら次の列を作った。
東山の炭団は、北山産ほど長くは燃えなかった。
材木の種類が混ざっているため、火力にも差がある。
「同じ名前で売ったらあかんな」
宗白が言う。
「東山産は、煮込み時間を短めに定める。北山の炭団と同じ値にもせん」
茶太郎は、東山の炭団に合う料理を考えた。
大豆、芋、干し椎茸、蕪の葉。
強めの火で一度沸かし、その後、炭団一個で柔らかく煮る。
肉や魚を使わない《焼け跡菜の精進汁》だった。
避難所には、寺の者、町人、山仕事の者、追放された者の親族もいた。
信じるものも、立場も違う。
それでも、同じ鍋から汁を受け取った。
年老いた僧が、椀の中の芋を見つめる。
「焼け跡から拾うた木が、人を温める火になったか」
カイが首を横に振った。
「なんでも燃やしたんじゃないよ。残す木と、使う木を分けたんだ」
「そうか。灰童子に教えられたな」
僧はカイへ深く頭を下げた。
カイは驚き、慌てて茶太郎の後ろへ隠れた。
夕方、東山産の炭団へ、山形の焼印が押された。
京鈴は一個ずつ音を確かめ、乾いたものだけを籠へ入れる。
もうその手は震えていなかった。
帰り道、茶太郎が尋ねる。
「京鈴、大丈夫?」
「怖い音は、まだ怖い」
京鈴は正直に答えた。
「でも、怖いままでも聞ける。聞いたら、誰かに言える」
迷いも恐れも、消さなければ前へ進めないわけではない。
茶太郎は覚書へ記した。
——焼け残ったものを、すべて燃料にしてはいけない。
——怖い記憶も、無理に消さなくていい。
——残すものと使うものを選べば、過去は未来を守る力になる。
その夜、東山の避難所では、山形の印がついた炭団が静かに燃えていた。
竈のそばでは京鈴が耳を澄まし、新しい町の音を聞いていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
焼け残った木が、すべて安全な燃料になるわけではありません。何が塗られ、何を吸い込んだ材なのか分からない以上、食を扱う火へ安易に使わない判断が必要です。
京鈴は、怖い記憶を克服して忘れたのではありません。怖さを抱えたまま音を聞き、その危険を誰かへ伝えられるようになりました。過去を消すのではなく、未来を守る耳へ変えた回です。




