第82話 「煙を食べる二段竈と、小さな台所衆」
――ひとりの知識を、みんなの技へ変える――
初雪の翌朝、共同炊事場の薪蔵は、底が見え始めていた。
お寅婆が、残った薪を数える。
「この使い方やと、十日も持たん」
焼け跡には壊れた木材が多い。
しかし、焦げた材や塗料の残る材を燃やせば、ひどい煙が出る。建物を直すために使える木まで薪にすれば、今度は屋根が作れない。
茶太郎は、三つの大鍋が並ぶ竈を見つめた。
一つの鍋へ火を入れるたび、熱の多くが煙と一緒に外へ逃げている。
「火の通り道を、長くしたらどうかな」
「火に道があるんか?」
釘打ちの甚八が尋ねる。
「たぶん……火のすぐ上に鍋を置いて、そのあとの熱でも、もう一つの鍋を温めるの」
茶太郎の前世の記憶に、煙突と燃焼室を分けた竈の姿が浮かんでいた。
だが寸法も、材料も、正確には覚えていない。
「試さないと分からない」
「なら、いきなり屋内へ作るのはなしや」
甚八は炊事場の外を指した。
「失敗して煙が戻ったら、皆倒れるぞ」
最初の試作は、焼けた瓦と土を使って屋外に作ることになった。
そこで、茶太郎と年の近い子どもたちにも役目が与えられた。
ゆかりは、赤、黄、白の組紐を用意する。
「赤は熱い場所。黄色は触ったら危ない場所。白は子どもが通っていい場所ね」
まだ字の読めない子にも、色なら分かる。
京鈴は、瓦と煙道へ耳を当てた。
「火が通ると、音が変わる。煤が詰まったら……たぶん、低い音になる」
灰童子のカイは、燃えた灰を三つに分ける。
「白い灰。黒い炭。変な匂いのする灰。混ぜたらあかん?」
「うん。畑に使えるかは、あとで伊平じいさんに見てもらおう」
レオは小さな木札へ、薪を入れた回数を刻む係。
こたろは、水の入った小桶を運ぶ係になった。
「走ったらあかんぞ」
かん太が念を押す。
「今日は転ばない!」
「その言葉が一番不安や」
こたろは走り出しかけ、途中で自分から歩き直した。
「……ゆっくり運ぶ」
その姿を見て、かん太は何も言わず頷いた。
最初の竈は失敗した。
火を入れた途端、煙が焚き口から逆流したのだ。
「けむい〜!」
「全員、白い紐の外へ!」
ゆかりの声で、子どもたちは決めていた場所まで下がる。
甚八が火を消し、煙道を開いた。
「道が細すぎた。煙が抜けへん」
茶太郎は咳をしながら、失敗した竈を見た。
「ごめんなさい……」
「何を謝っとる」
甚八は煤だらけの顔で言った。
「外で試したから、誰も倒れんかった。失敗する場所を決めたんも、立派な知恵や」
二度目は煙道を太くし、出口を高くした。
火はよく燃えたが、今度は薪の減りが早すぎる。
レオが木札を見比べた。
「……まえのかまど……薪、六本。これ……八本つかった……」
「本当だ。熱が逃げすぎてる」
数字を刻んでいなければ、「よく燃えた」という印象だけで成功にしていたかもしれない。
三度目。
焚き口を小さくし、空気が入る穴を下へ設ける。
一つ目の鍋を炎の近くへ置き、その後ろへ湯を保温する二つ目の鍋を並べた。
京鈴が煙道へ耳を当てる。
「さっきより音が軽い。煙、流れとる」
カイが出口を指した。
「黒い煙、少ないよ」
こたろが同じ量の水を運び、レオが薪の本数を数える。
ゆかりは湯が温まった順番に、組紐の色を替えた。
以前の竈では薪を六本使ったところを、新しい竈では四本で一つ目の鍋が沸いた。
二つ目の鍋も、熱い湯になっている。
「できた……!」
茶太郎が喜んだ直後、京鈴が首を傾げた。
「でも、変な音がする」
煙は見えない。
それでも京鈴には、焚き口の奥で空気が途切れる音が聞こえた。
「みんな離れて!」
甚八が火を弱める。
煙道の曲がり角に、剥がれた土が詰まっていた。
もし屋内で使い続けていれば、目に見える煙が少なくても、燃え残った有害な気が室内へ戻ったかもしれない。
茶太郎は前世の記憶をたどる。
「煙が見えなくても、空気が悪くなることがある。頭が痛くなったり、眠くなったりしたら、すぐ外へ出ないとだめ」
宗白が帳面へ記す。
——煙道は毎朝確認。
——七日に一度、曲がり角を開いて煤を掃除。
——火を使う間、戸と高窓を少し開ける。
——頭痛、吐き気、強い眠気が出たら、全員退避。
——子どもだけで火を扱わない。
完成した二段竈で、最初に作ったのは大根と干し菜の味噌汁だった。
特別な料理ではない。
けれど少ない薪で、以前より多くの湯を沸かせた。
レオが椀を並べる。
京鈴は竈の音を聞き続ける。
こたろは走らず、一つずつ椀を運んだ。
ゆかりは赤い紐を張り、幼い子が熱い鍋へ近づかないよう見張る。
カイは冷えた灰を選り分けた。
茶太郎は、皆の働く姿を見回した。
「ぼくが大きくなって、遠くで料理を作る時も……手伝ってくれる?」
レオが胸を張る。
「……ぼく……料理、はこぶ」
京鈴は竈へ耳を当てたまま答えた。
「危ない音、うちが見つける」
ゆかりも笑う。
「人と役目を、糸で結ぶよ」
こたろは椀を両手で持ち直した。
「ぼく、転ばない運び方を覚える!」
カイの灰色の髪が、嬉しそうに揺れた。
「ぼくは、捨てるものの役目を探す」
茶丸が、竈のそばで静かに目を細める。
『料理番は、料理を作る者だけでは成り立たぬ』
茶太郎は頷いた。
一人の知識は、思いつきにすぎない。
職人が形にし、子どもたちが試し、危険を見つけ、記録して初めて、誰かが繰り返し使える技になる。
下京ではやがて、妙な噂が流れ始めた。
——宇治の幼子が、煙を食べる竈を作った。
——薪を減らし、鍋を二つ沸かすらしい。
けれど、その竈を本当に作り上げたのは、茶太郎一人ではなかった。
煤だらけの顔で笑う、小さな台所衆の最初の仕事だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
一人の思いつきは、職人が形にし、皆が試し、失敗と安全策を記録して初めて、繰り返し使える技になります。二段竈を作ったのは茶太郎一人ではなく、それぞれの役目を持った《小さな台所衆》でした。
作中の竈は物語上の工夫です。実際の竈や排煙設備を自作すると、火災や一酸化炭素中毒の危険がありますので、専門的な安全確認が必要です。




