第81話 「二つの銭箱と、長刀を待つ市」
――願いを集める時も、暮らしを置き去りにしない――
下京へ戻った宗白は、町組の者たちを集めた。
近江屋善右衛門が長刀を保管していること。
春までは処分を待つと約束したこと。
そして、買い戻すには相応の銭が必要なことを説明する。
「復興の蓄えを使おう」
真っ先に声を上げたのは、長刀鉾町の年寄だった。
「あの長刀は町の誇りや。屋根の修繕を少し延ばしても、取り戻すべきや」
別の町の女が反論する。
「もう冬が来るんやで。子どもらを、隙間風の入る小屋で寝かせるんか」
「祭りが戻らな、町の心も戻らん!」
「心が戻っても、凍えて死んだら何にもならん!」
怒鳴り声が、仮の寄合所に響いた。
宗白は帳面を前に置いたまま、口を開かなかった。
長刀を戻したい。
だが、復興のために集めた銭を別の目的へ使えば、町の信頼を失う。
茶太郎は、宗白の帳面の横へ二つの空箱を置いた。
「分けたら、だめなの?」
「分ける?」
「家を直すお金と、長刀を待つお金。最初から違う箱に入れるの」
宗白は二つの箱を見比べた。
「簡単に言うが、長刀の箱へ銭が集まれば、その分だけ暮らしの箱が減るかもしれん」
お寅婆が腕を組む。
「なら、入れる者に決めさせたらええ。誰かが勝手に移すから揉めるんや」
寄合の末、二つの決まりが作られた。
一つ。
これまで集めた復興資金は、屋根、井戸、竈、道の修繕にのみ使う。
一つ。
長刀の買い戻しには、新たに集める志納と商いの利益だけを使う。
宗白は箱の蓋へ、自ら墨で書いた。
——暮らしの箱。
——長刀の箱。
「一文でも、どちらへ入れたか記録する」
「面倒やな」
町の男が呟く。
「面倒やからこそ、あとで疑われん」
宗白は答えた。
数日後、焼け跡の広場で小さな市が開かれた。
戦火の後、下京で初めて開かれる復興の市だった。
釘打ちの甚八は、武具の鉄から作り直した鍋吊りや鎹を並べる。
お寅婆は塩、味噌、乾物を売った。
「払える者からは取る。払えん者には貸す。遠慮して倒れられる方が迷惑や」
志乃と宗次は、茶太郎の料理を出す店を手伝った。
品は、柚子水飴を薄く絡めた米粉団子。
蜂蜜は使わず、町の者にも手が届く値に抑えている。
「甘いもんや!」
「久しぶりやなぁ……」
団子を食べた人々の顔が、わずかに緩んだ。
店先にも二つの箱が置かれている。
「団子の銭は、どちらへ入るんや?」
客が尋ねる。
茶太郎は答えた。
「材料と作ってくれた人の分を引いて、残りの半分は暮らしの箱へ。もう半分は長刀の箱へ入れます」
「全部、長刀にせえへんのか」
「屋根がない人を残して、長刀だけ戻すのは違うと思うから」
客は二文を払い、さらに一文を暮らしの箱へ入れた。
「わしはこっちや。孫がおるからな」
次に来た鉾町の職人は、長刀の箱へ入れる。
「祭りを待っとる子もおる」
どちらが正しいとは決めない。
人々は、自分が守りたいものを選んだ。
京鈴は市の端で、片方だけの赤い草履を揺らしていた。
手には、お寅婆から働き賃として受け取った一文銭がある。
「京鈴、それは自分のために使いや」
お寅婆が言う。
「貸しやない。あんたが柱の音を聞いて、皆を助けた分や」
京鈴は二つの箱の前で長いあいだ迷った。
そして、どちらにも入れず、銭を握ったまま団子を一つ買った。
近くに座っていた、さらに幼い孤児へ半分渡す。
「長刀の箱に入れなくて、ええの?」
茶太郎が尋ねる。
「うち、生きてる人に使いたかった」
「うん。それでいいよ」
その様子を見ていた宗白は、何も言わず帳面へ記した。
——京鈴、一文。団子一つを購入。半分を他者へ分ける。
長刀へ納めなかった銭も、町を支えた記録だった。
日が暮れる頃、市の売上が数えられた。
暮らしの箱には、屋根板を数枚買えるほどの銭。
長刀の箱には、その半分ほどが入っていた。
春までに必要な額には、まだ遠い。
「間に合わんかもしれんな」
甚八が呟く。
宗白は長刀の箱を閉じた。
「それでも、暮らしの箱から移すことはせん」
その時、冷たい風が広場を抜けた。
空から白いものが一片、落ちてくる。
「雪……?」
京鈴が空を見上げた。
まだ本格的な冬には早い。
だが、焼けた都に寒さが近づいていることは確かだった。
茶太郎は覚書に記す。
——大切なものが二つある時、片方を無かったことにしてはいけない。
——すぐ答えが見つからなくても、分けて守りながら歩けばいい。
広場には、二つの銭箱が並んでいた。
片方は今を生きる者のため。
もう片方は、帰るべき長刀のため。
どちらもまだ十分ではない。
それでも下京の人々は、自分たちの手で、二つの未来を支え始めていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、長刀を取り戻す願いと、冬を生き延びる暮らしを、二つの銭箱に分けました。どちらも大切だからこそ、一方のために他方を犠牲にはしない。集めた銭の目的を明らかにすることも、町の信頼を守る仕事です。
長刀の箱はまだ十分ではありません。そして下京には、早くも雪が降り始めました。次回から、小さな台所衆による冬支度が始まります。




