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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
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第79話 「湖東の岸と、空になった蔵」

 ――追いついた先に、品物だけが待っているとは限らない――


 三日後。


 鳰丸におまるが告げたとおり、近江の湖は穏やかだった。


 堅田衆かたたしゅうの船が、茶太郎たちを乗せて湖東へ向かう。


 舟木弥兵衛ふなき・やへえ墨屋宗白すみや・そうはく山中弥七やまなか・やしち日置雪へき・ゆき


 茶丸ちゃまるとうじまるも同行していた。

 船の先には、アオサギのそうが飛んでいる。


 鳰丸は姿を現さない。

 湖底から時折上がる大きな泡が、進むべき流れを示していた。


「父ちゃん、照れて出てこないべ」


 うじまるが言う。

 湖底から低い声が響いた。


『誰が照れておる。湖主には湖主の仕事があるのじゃ』


「団子がないから出てこないんじゃないの〜?」


『……船ごと沈めるぞい』


 弥兵衛が顔を引きつらせる。


「親子喧嘩は陸でやってくれ」


 茶太郎は船縁から湖面を見つめた。

 湖は穏やかに見えるが、水の中には幾つもの流れがある。


 船頭たちは風向きを読み、帆を調整し、櫂で進路を保っていた。

 鳰丸が道を示しても、船を動かすのは人の技だった。


 昼前、小舟が荷を下ろしたという岸へ着いた。


 砂浜の先には、古い船蔵が一棟建っている。

 蔵番の老人は、堅田衆の印を見て戸を開けた。


「六日前、白布の長物を預かった。大津の近江屋からの荷や」


 宗白が問う。


「いま、どこにあります」


「もうない」


 老人は空になった棚を指した。


「翌朝、牛車で東へ運ばれた」


 棚には油の染みと、細い錆の粉が残っている。

 甚八から借りた紙を当て、宗白が粉を包み取った。


「長刀の錆かは分からん。持ち帰って比べる」


 茶太郎は棚の横に、切れた縄を見つけた。

 佐吉さきちが描いた近江式の結びと同じ形だった。


「ここまで来たのは、間違いないね」


 日置雪は蔵の床を調べる。


「牛車の轍が二本。荷を載せた時だけ、右側が深く沈んでいる」


 弥七が外へ続く跡を追った。

 しかし道へ出ると、多くの牛車や荷車の轍と重なっている。


「これ以上は、足跡だけでは追えんな」


 宗白が蔵番へ詰め寄る。


「行き先を知りませんか」


「石の仏が多い東の郷、としか聞いとらん」


 これまでの証言と同じ言葉だった。


「荷主は?」


近江屋善右衛門おうみや・ぜんえもん。古い武具や金物を扱う商人や」


「会わせてください」


「今日は東の市へ出とる。戻るのは早くても五日後じゃ」


 宗白の顔に焦りが浮かぶ。


「五日もあれば、長刀がさらに売られる」


 蔵番は困ったように首を振った。


「善右衛門も、盗んだとは限らんぞ。聞いた話では、貸した銭の代わりに受け取ったそうや」


「盗品は盗品です」


「それでも、あの者には払うた銭と養う家族がおる」


 二人の間に重い沈黙が落ちた。


 下京から見れば、奪われた長刀。

 善右衛門から見れば、返されない貸金の代わりに受け取った品。

 どちらか一方だけを悪人にすれば、話は簡単になる。


 しかし、簡単な答えほど、誰かの事情を切り捨ててしまう。


 弥兵衛が二人の間へ入った。


「ここで言い争うても、長刀は戻らん。まず善右衛門が何を知っていたか、いくらで受け取ったかを確かめる」


 宗白は唇を噛み、やがて頷いた。


「……分かりました」


 その時、蒼が蔵の屋根へ降りた。


『東の道に、長い荷を載せた牛車がある。ただし、ここからかなり離れている』


「追いつける?」


『人の足では夜になる。道の先には分かれ道が三つある』


 弥七が空を見た。


「今から追えば帰りが闇になる。知らん土地で、子どもを連れて進む道やない」


「ぼくは大丈夫だよ」


 茶太郎が言う。


「茶太郎が大丈夫でも、皆が大丈夫とは限らん」


 弥七は静かに返した。


 茶太郎は言葉を失った。

 自分が進みたいという気持ちだけで、船頭や仲間を危険へ連れていくことはできない。


 弥兵衛は蔵番から紙を借りた。


「善右衛門へ書状を残す。長刀の由来を知る者がいること。処分する前に、堅田へ知らせること。返還ではなく、まず話し合いを求めること」


 宗白も下京の町組として名を記した。


 茶太郎は、長刀の絵が描かれた木札を添える。


「これを見れば、本当に同じものか確かめられるよね」


「ああ。刃の傷や形まで一致すれば、話はさらに進む」


 帰り際、茶丸が空の棚へ前足を置いた。


『鉄の気配は残っている。だが、ここにはもうない』


 霊の力でも、存在しない物を取り出すことはできない。

 残った気配は、通った証になるだけだ。


 茶太郎は覚書へ記した。


 ——追いついた場所に、探し物が残っているとは限らない。

 ——けれど空になった場所にも、次へ進むための痕跡はある。


 一行を乗せた船が岸を離れる。


 東へ続く道では、長い荷を載せた牛車が、石仏の多い郷へ進んでいた。


 その行く先で、ひとりの鍛冶職人が古い長刀の噂を耳にしようとしていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


長く追い続け、ようやくたどり着いた蔵。しかし、そこに長刀は残っていませんでした。霊の力でも、存在しない物を取り出すことはできません。


それでも空の棚には、鉄の気配や帳面の記録が残っています。追いついた場所が空でも、次へ続く痕跡まで消えるわけではありません。長刀はさらに東へ――石仏の多い郷へ運ばれていました。


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『茶太郎がゆく』
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