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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
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第78話 「鳰の海の主・鳰丸と、水霊団子」

 ――湖の記憶が、長刀の通った水路を示す――


 数日後、堅田衆かたたしゅうから宇治へ使者が来た。


 森家、下京の町組、宇治の船頭との間で、不審な荷の情報を交換することが合議で認められたという。


 さらに書状には、こう記されていた。


 ——長刀を載せた船の行方について、湖の主へ伺いを立てる。


 茶太郎たちは瀬田川をさかのぼり、近江の湖へ向かった。


 後世に琵琶湖と呼ばれる大湖。


 当時の人々は「近江の海」、歌人たちは「鳰のにおのうみ」とも呼んでいた。


 湖岸には、舟木弥兵衛ふなき・やへえをはじめ、堅田の殿原衆とのばらしゅう全人衆まとうどしゅう、船頭たちが集まっていた。


 墨屋宗白すみや・そうはくが尋ねる。


「湖の主とは、どなたです?」


 弥兵衛は湖面へ目を向けた。


「わしらの命令で動く神やない。湖で暮らす者が皆で問いをまとめた時だけ、姿を現される」


 船頭が、合議で決まった問いを読み上げた。


「六日前、白布で包まれた長い鉄の荷が、近江の海を渡ったか。その荷は、どの岸へ向かったか」


 人々は湖へ一礼した。

 しかし、何も起きない。

 風が水面を揺らすだけだった。


「聞こえなかったのかな」


 茶太郎が呟くと、うじまるが水から顔を出した。


「聞こえてるべ。ただ、父ちゃんは朝が弱いんだべ」


「父ちゃん?」


 その瞬間、湖の底から大量の泡が浮かんだ。


 水面がゆっくり盛り上がる。

 島のような黒銀色の背。

 船より長い二本の髭。

 額には、淡い金色の紋が輝いている。


 巨大な大鯰が、湖面から顔を現した。


「誰が朝に弱いじゃと?」


 うじまるが嬉しそうに跳ねる。


「父ちゃん〜!」


「湖主と呼べ。わしは近江の湖の主、鳰丸におまるじゃ」


 橋姫はしひめが静かに頭を下げる。


淡海大主鯰神あふみのおおぬしなまずのかみ……」


 鳰丸は橋姫へ威厳ある顔を向けた。


「久しいのう、宇治橋の守り手よ」


 続いて、うじまるを見る。


「息子よ。宇治川を濁らせてはおらんか」


「きれいに守ってるべ!」


「ならばよい。親子の水入らずといこう」


 日置雪へき・ゆきが湖面を見渡す。


「これだけ水があるのに、水入らず……」


 弥七が小声で答えた。


「突っ込んだら負けや」


 鳰丸は長い髭を水中へ沈めた。

 湖面に幾つもの波紋が広がる。


「長い鉄の荷……確かに通った」


 宗白が身を乗り出す。


「長刀ですか?」


「そこまでは分からぬ。わしが覚えておるのは、重さと鉄の匂い、油が水へ落ちた場所だけじゃ」


 鳰丸は水を生み出さず、過去を映像として見せることもしない。


 髭に残った湖の流れを、一つずつ読み直しているのだ。


「荷は湖の南から東岸へ向かった。途中で大きな船から小舟へ積み替えられた。その後、石の仏が多い郷へ続く岸で下ろされておる」


 佐吉の証言、甲賀衆の密書、堅田の荷帳。

 それぞれ別に得られた情報が、鳰丸の記憶と重なった。

 長刀が湖東へ運ばれた可能性は、さらに高くなった。


「その場所へ案内してください」


 宗白が頼む。


 だが鳰丸は首を横に振る。


「今日は風が変わる。午後から東岸の波が高くなるぞい」


 空はまだ晴れている。


 そうが上空へ舞い、遠くの雲を確かめた。


『東の山際に黒い雲がある。こちらへ動いている』


「急げば行ける」


 宗白が言う。


「急いで沈めば、長刀どころではなかろう」


 鳰丸の声から笑いが消えた。


「湖は道じゃ。じゃが、人の都合だけで開く道ではない」


 堅田の船頭たちも、今日は出さないと判断した。


 茶太郎は悔しそうな宗白の手を握る。


「場所は分かったよ。天気がいい日に、また行こう」


 宗白は湖東を見つめ、やがて頷いた。


 話を終えた鳰丸が、鼻先を動かした。


「ところで……先ほどから、よい香りがするのう」


 茶太郎は文福茶釜ぶんぷくちゃがまで作った水霊団子を取り出した。


「湖のみんなで食べられるように作ったんだ」


 米粉と茶葉を練り、麦芽の水飴をわずかに加えた団子。


 茶丸ちゃまるが前足を添え、水霊と土霊の均衡を整える。


『水は器がなければ流れを保てぬ。米を育てる土の気配も、少し残してある』


 鳰丸は茶丸をじっと見つめた。


「陸の獣王が、水の料理を整えるか」


『水と土は争うだけのものではない』


「……面白い。ひとつ頂こう」


 鳰丸が団子を口へ入れた。


 巨大な目が見開かれる。

 湖面を、幾重もの穏やかな波紋が走った。


「……うまい」


 うじまるが首を傾げる。


「父ちゃん、ダジャレ言わないの〜?」


「黙れ。いま味が湖中こちゅうへ染み渡っておる」


 茶丸が目を細める。


『気に入ったようだな』


「べ、別に団子に釣られたわけではない。鯰だけに、餌には慎重でな」


 弥兵衛が呆れたように呟く。


「やっぱり、うじまるの親や……」


 水霊団子が湖を浄化したわけではない。

 けれど、鳰丸の張りつめていた霊気が静まり、湖の流れをより細かく読めるようになった。


 鳰丸は東岸へ髭を向ける。


「三日後なら、風が落ち着く。その時、堅田の船で確かめに行くがよい」


 宗白が深く頭を下げた。

 茶太郎も鳰丸へ礼をする。


「ありがとう、鳰丸さん」


「うむ。次は団子をもう少し大きくするのじゃぞ」


「合議より団子が目的になってない?」


 うじまるが笑う。


「水に流せ、水に流せ」


 鳰の海に、親子の笑い声が広がった。


 その向こう、湖東の岸には、長刀を運んだ小舟の痕跡が静かに残されていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


琵琶湖は、古くから「近江の海」や「鳰の海」とも呼ばれてきました。本話では、その広大な湖に残る水の記憶を、湖主・鳰丸という創作上の存在に託しています。


水霊団子は湖を浄化する奇跡の料理ではありません。張りつめた鳰丸の心を静め、流れを読み直す助けになったものです。次回、茶太郎たちは湖東の岸へ向かいます。


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『茶太郎がゆく』
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