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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
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第74話 「帰ってきた担ぎ手と、空の鉾町」

 ――罪を記す帳面に、事情を書き添える――


 茶太郎たちが下京しもぎょうへ戻ると、長刀鉾町なぎなたほこちょうの者たちが道を塞いだ。

 皆の視線は、戸板に載せられた佐吉さきちへ向いている。


「そいつが長刀を運んだんか」


「盗人の仲間や!」


「逃がすな!」


 怒声に驚き、佐吉の顔から血の気が引いた。


「違う……わしは、脅されて……」


 だが、か細い声は人々の怒りにかき消される。


 墨屋宗白すみや・そうはくが前へ出た。


「道を開け。まず傷を診る」


「月行事は盗人を庇うんか!」


「死なせてしもうたら、何があったか確かめることもできん」


 山中弥七やまなか・やしち日置雪へき・ゆきが佐吉を共同炊事場へ運ぶ。

 お寅婆とらばばは、集まった者たちを睨みつけた。


「怒鳴る元気があるなら湯を沸かし。薪代は貸しにしといたる」


 弥七が傷を洗い、雪が薬草を当てる。

 茶太郎は米の研ぎ汁に少量の味噌を溶き、細かく刻んだ干し菜を煮た。


 豪華な料理ではない。

 弱った身体でも飲み込める、薄い味噌汁だった。


「……食べられる?」


 佐吉は震える手で椀を持った。

 ひと口飲むと、目から涙が落ちた。


「わし……あれが長刀やと知っとった」


 炊事場が静まり返る。


「知っとって担いだ。断ったら、妻子の隠れ場所を焼くと言われたんや」


 佐吉は懐から、小さな布切れを取り出した。

 油で黒く汚れた白布だった。


「峠で包み直した時に切れた布や。いつか長刀を捜す手がかりになるかもしれんと思って……隠し持っとった」


 宗白が布を受け取る。

 端には、近江で使われるものに似た結び目が残っていた。


「なぜ、すぐ言わなんだ」


「何を言うても、盗人の仲間としか思われへん……」


 宗白は帳面を開いた。


 すでに記された佐吉の名の横へ、新たな一文を書き加える。

 ——脅迫を受けて運搬。家族を守るため従う。布片を保管し、追跡に協力。


 町の男が声を荒らげた。


「長刀を担いだ事実は消えへんぞ!」


「消してへん」


 宗白が答えた。


「したことだけやなく、なぜそうしたかも書いた。事情があれば何でも許されるわけやない。せやけど、事情を消して罪だけ残したら、帳面が人を斬る刃になる」


 釘打ちの甚八じんぱちが、腰に下げた曲がり釘を握った。


「わしも寺の武具を作った。断れば、親方や弟弟子がどうなるか分からんかったからや」


 戦の中では、自分の意思だけで選べないことがある。


 だからといって、起きたことをなかったことにもできない。

 その両方を、同じ帳面へ記さなければならないのだ。


 京鈴きょうすずが佐吉の前へ歩み出た。


「おじさんの足音……あの夜、聞いた」


「……すまん」


「怖い足音やった。でも、おじさんも怖かったんやな」


 京鈴は、自分の椀を佐吉のそばへ置いた。


 赦すとも、責めるとも言わない。

 ただ、同じ炊事場で食べることを認める所作だった。


 その夜、佐吉は知る限りのことを話した。


 長刀を運び出した人数。

 油を染み込ませた包み。

 峠で待っていた白布の者たち。

 そして、湖のある方角へ運ぶという会話。


 雪が結び目を描き、宗白が証言を記録する。

 弥七は白布を灯明に透かし、端に残る小さな墨印を見つけた。


「これは荷改めの印や。甲賀の運び衆に見覚えのある者がおるかもしれん」


「長刀は、まだ追えるんか?」


 茶太郎が尋ねる。


「ああ。ただし、刀を持って追いかけるだけが追跡やない」


 弥七は白布を丁寧に畳んだ。


「品が誰から誰へ渡ったか。その流れを追うんや」


 翌朝、宗白は町の者を、長刀のない鉾の前へ集めた。


「武力による追跡は、ここでいったん止める」


 人々の間にざわめきが起こる。


「長刀を諦めるんか!」


「違う。近江へ踏み込む道も伝手も足りんまま追えば、人が死ぬ。これからは商いと水運の道を使って捜す」


 宗白は布片と佐吉の証言を木箱へ納めた。


「見失った場所まで記した。次の者が、そこから追えるようにな」


 空の鉾を、秋の風が抜けていった。


 失った場所を偽物で埋めず、証言と記録を残して待つ。

 それが今の町にできる、誠実な選択だった。


 昼過ぎ、弥七のもとへ薬売り姿の男が訪れた。


 二人は言葉を交わさず、薬包を一つ交換する。


 男が去ったあと、弥七は包み紙を水で濡らした。

 薄い文字が浮かび上がる。


「甲賀衆からや」


 弥七の表情が変わった。


「長刀らしき一振りが、近江の商人へ渡ったらしい」


 宗白が振り返る。


「商人の名は?」


「まだ分からん。白布の連中が借財の代わりに渡したとも、銭に替えたとも聞く。受け取った商人が盗品と知っているかも不明や」


 日置雪が密書を読む。


「荷は大津の方へ下り、湖の船へ載せ替えるという噂があるわ」


 伊平じいさんが顎を撫でた。


「湖へ入るなら、宇治の茶商と船頭の伝手が使える。宇治川から瀬田川へ荷を運ぶ者の中には、堅田衆かたたしゅうと取引する者もおる」


「堅田衆?」


 茶太郎が聞き返す。


「琵琶湖の道を知り尽くした湖族じゃ。船の警護や荷の仲立ちをし、町のことを皆の合議で決める者たちじゃよ」


 弥七は密書を畳んだ。


「近江の商人を捜すなら、陸から追うより湖の荷を知る者へ聞く方が早い」


 宗白は、失われた長刀の特徴を書いた木札を弥七へ渡した。


「頼む。ただし、取り返すために誰かを斬るような真似はせんでくれ」


「分かっとる。まずは相手がどういう経緯で手に入れたかを調べる」


 その日の夕方、宇治からもう一通の知らせが届いた。

 森彦右衛門もり・ひこえもんからだった。


 ——秋の茶壺が熟した。

 ——戦火を越えた者たちを招き、口切りの茶事を開く。

 ——水運に通じた茶商も集まる。


 茶太郎は手紙と、長刀の木札を見比べた。


 茶の道と、水の道。

 別々に見えた二つの縁が、宇治で結ばれようとしている。


「宇治へ帰ろう」


 茶太郎は言った。


「お茶を開く席で、湖へ続く道も開けるかもしれない」


 空の鉾の向こうから、柔らかな秋の日が差し込んだ。


 長刀は、まだ戻らない。

 けれど、その行方は盗人の影から、人と物が行き交う水運の流れへ移り始めていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


佐吉が長刀を運んだことは事実です。しかし、自ら盗みに加わったのか、脅されて従ったのかによって、記すべき内容は変わります。


行為を消さず、事情も消さない。宗白の帳面には、責めるためだけではない記録が加わりました。そして長刀を追う道は、陸路から近江の水運へ移ります。次回、宇治の口切りの茶事で、茶の道と湖への道が結ばれます。


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『茶太郎がゆく』
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