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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
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第67話 「東へ消えた長刀と、追わない決断」

 ――閉ざされた道の前で、何を守るか――


 東へ向かえば、長刀を運んだ者たちの痕跡を追える。

 町へ戻れば、崩れかけた仮小屋の住民を救える。


 弥七は道へ残る足跡を見つめた。


「今なら追える。夜のうちに山科まで進めば、運んだ連中の泊まった場所を探せるかもしれん」


 ユキも頷く。


「雨が来たら足跡は消える。商人の記憶も、日が経つほど曖昧になる」


 遠くで、再び木の裂ける音が響いた。


 ばきっ。

 ぎぎぎ——。


 京鈴きょうすずが両耳を押さえる。


「一軒やない。道の奥で、三つ……四つ、鳴いてる!」


 夕方から風が強くなり、火事で傷んだ家々が互いに寄りかかっている。

 一棟が倒れれば、隣の仮小屋まで巻き込む恐れがあった。


「長刀は町の宝です」


 宗白そうはくが言う。

 手には、長刀の特徴を記した木札がある。


「今この機会を逃せば、戻らないかもしれない」


 茶太郎は空の鉾を振り返った。


 長刀を取り戻したい。

 町へ返して、皆を安心させたい。

 だが焼け跡からは、助けを求める声が聞こえている。


「宗白さんは、どっちへ行くの?」


 宗白は答えなかった。


 長刀の木札を帳面へ挟み、袖をたすきで結ぶ。

 そして崩れかけた町の方角へ走り出した。

 その所作が答えだった。


「ぼくも戻る!」


 茶太郎たちは、長刀へ続く道へ背を向けた。

 焼け跡では、傾いた家が細い柱一本で支えられていた。

 その隣の仮小屋には、老人や子どもが十数人残っている。


「全員、外へ!」


 宗白が叫ぶ。


 しかし正面の道は落ちた梁で塞がれていた。

 裏手には崩れた土壁。

 無理に押し通れば、頭上の屋根まで落ちる。


 京鈴が目を閉じ、木の音を聞く。


「あの柱は、まだ大丈夫。右の梁は……もうすぐ折れる」


 勾陳こうちんが鉄杭を打ち、地面の緩みを確かめる。


「正面を引けば連鎖して崩れる。裏の土壁を外から崩し、出口を作れ」


 甚八じんぱちが焼けた金具を外し、使える鎹を選ぶ。

 かん太と町人たちは太い材木を運び、傾いた家へ斜めに当てた。


 仮の支えである。

 家を元へ戻すものではない。


 人が逃げるわずかな時間を作るための支えだった。


 カイが灰となって柱を走る。

 黒い手形が、内部まで焼けた材木へ次々と現れた。


「黒い柱には触らないで!」


 茶太郎が伝える。


 らくは裏道を走り、避難者を新しい門へ導く。


 ミカエは列の最後尾で振り返り、誰かが取り残されていないか確かめる。


 そうは上空から、崩落が広がる方向を知らせた。


「南側へ逃げるな! 屋根がそちらへ傾いている!」


 裏の土壁へ穴が開いた。

 一人ずつ外へ出る。

 歩けない老人は戸板へ載せ、四人で運んだ。

 最後の母親が外へ出たところで、京鈴が叫ぶ。


「まだいる!」


「人数は合うとる!」


 宗白が帳面を見る。


「人やない。犬!」


 仮小屋の奥で、子犬が縄へ絡まり鳴いていた。

 洛が戻ろうとする。


 茶丸がその前へ飛び出した。

 白斑を光らせるのではなく、小さな身体で梁の隙間を抜けていく。


『縄を切る。支えを保て』


 甚八たちが材木を押さえる。


 茶丸は子犬の縄を噛み切り、首をくわえて戻った。

 その瞬間、右の梁が折れた。


「離れろ!」


 全員が退いた直後、家は大きな音を立てて崩れ落ちた。


 土煙の中で、洛が子犬の身体を舐める。


 茶丸は何事もなかったように茶太郎の足元へ戻ったが、黒い毛には白い灰が積もっていた。


「茶丸……ありがとう」


『当然のことをしたまでだ』


 尻尾だけが一度揺れた。


 続く二棟も、倒れる方向を確かめてから周囲を立入禁止にした。


 夜までに、危険な場所から四十三人が移された。

 死者は出なかった。


 しかし東の道へ戻った頃には、雨が降り始めていた。

 足跡は消え、油布の匂いも薄れている。


 長刀を運んだ者たちは、すでに山科の向こうへ進んだだろう。


「追えなんだな」


 伊平いへいじいさんが呟いた。


 茶太郎は俯いた。


「ぼくが戻るって言ったから……長刀が見つからなくなった」


「戻らんかったら、助からん命があった」


「でも、長刀も大事だった」


「どちらも大事じゃ。じゃから苦しいんや」


 伊平じいさんは、簡単に正しかったとは言わなかった。


「選んだ道で失うたものまで、無かったことにしたらあかん。追えなんだことを覚えたまま、次にできることを探すんじゃ」


 茶太郎は雨に消えた道を見つめた。


「答えが見つからなくても?」


「探しながら歩けば、道は途切れん」


 翌朝、お寅婆の商人仲間から知らせが届いた。

 長い荷を担いだ一団が山科を越え、近江方面へ向かったらしい。


 長刀は取り戻せない。

 それでも、行方の糸まですべて切れたわけではなかった。


 茶太郎は《縁の料理覚書》へ、東へ続く道と崩れた家を描いた。


『選ばなかった道も消えない。失ったものを覚えたまま、選んだ道を歩く』


 宗白は空の鉾の前へ、長刀の木札を置いた。

 その横には、救助した四十三人の名を書いた帳面がある。


 宝は戻らなかった。

 だが、宝を追わなかったことで残った命が、そこに記されていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


今回は、どちらを選んでも大切なものを失う決断でした。町へ戻ったことを単純な正解とせず、追えなかった長刀の重さも残しています。


選ばなかった道は消えません。その損失を覚えているからこそ、次の手を探せます。空の鉾と、救われた四十三人の名。その両方が、茶太郎たちの選択の結果です。


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『茶太郎がゆく』
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