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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
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第65話 「灰童子カイと、消してはならない名前」

――焼け跡を片づけても、記憶まで捨てない――


 白い灰の中から、幼い童子が立ち上がった。


 見た目は五歳ほど。

 白灰色の髪に、炭のように黒い手足。

 顔だけは、灰をかぶっていないように白く澄んでいる。


「みんな、いなくなったんじゃない」


 童子は床へ指を走らせた。


「お前たちが、忘れたんだ」


 灰の上に、次々と名前が浮かぶ。

 父、母、祖母、三人の子ども。


 宗白そうはくは帳面を開いた。


「この蔵の持ち主は堺へ逃れたと記録されている。死者の記録はない」


「帳面にないから、生きてるの?」


 童子が首を傾げる。


「帳面にないから、死んでないの?」


 宗白の指先が止まった。


 天后てんこうが灰の名を見つめる。


「この子は、記録から落ちた思いを集めているようです」


「なら、全部帳面へ書けばいい」


 茶太郎が言う。


 だが宗白は首を振った。


「霊が灰へ書いたというだけで、死者と決めることはできません。生きて堺へ逃れた者を死者にすれば、家も財も奪われかねない」


 童子の顔が歪む。


「また消すの?」


「消すのではない。確かめる」


 宗白は灰の名を別紙へ写した。

 その上に《未確認》と記す。


 近所の者へ聞き、寺の過去帳や町の古い控えと照らし合わせることになった。

 灰に浮かんだ名を信じ切るのでも、初めから否定するのでもない。

 分からないものを、分からないまま残すためだった。


 蔵の隅から、子どもが字を練習した板が見つかった。

 そこには灰へ現れたものと同じ名が二つ書かれている。

 隣家の老婆も、その一家が騒乱の日まで蔵にいたと証言した。


 しかし、その後どこへ向かったかは分からない。


「ほら、いたでしょう」


 童子は笑った。


「いたことまで消されなくて済んだね」


 茶太郎が言うと、童子は笑顔を消した。


「でも、新しい家が建ったら、また忘れる」


 その日の午後、復興中の仮小屋で騒ぎが起きた。


 新しく立てた柱が、一夜で黒く汚されている。

 共同竈では、炊事の途中に火が消えた。

 さらに子どもたちが、灰の足跡を追って焼け跡へ入りかけていた。


「灰童子の仕業や!」


「復興を邪魔しとる!」


 町人たちは箒と水桶を持って童子を追った。

 童子は灰となって逃げ、別の柱へ黒い手形を残す。


「新しくするな!」


「元へ戻せ!」


「忘れるな!」


 怒った町人が水を浴びせようとしたとき、茶太郎が間へ入った。


「待って!」


「そいつが竈の火を消したんやぞ!」


 騰蛇とうだが竈を調べる。


「灰をかぶせて、燃えている炭を塞いでいる。でも、この火は薪が竈からはみ出していた。火の粉が床へ落ちるところだった」


 灰童子は危険な火だけを消していた。


 次に、黒い手形のついた柱を甚八じんぱちが槌で叩く。

 鈍く、空ろな音がした。

 表面は新しく削られているが、内部は火で傷んでいる。


 京鈴きょうすずが耳を寄せる。


「中の木、割れてる」


 柱を外すと、芯まで黒く焼け、深い亀裂が走っていた。


 灰童子が柱を壊したのではない。

 壊れかけた柱を、灰で示していたのだ。


「じゃあ、どうして子どもを焼け跡へ連れていったの?」


 茶太郎が尋ねる。

 童子は俯いた。


「あそこに、名前のない人がいるから」


「危ない場所へ連れていったらだめだよ」


「でも、大人は来てくれない」


「それでもだめ。伝える方法を一緒に考えよう」


 茶太郎は童子と同じ高さまでしゃがんだ。


「元に戻してほしいの?」


 童子は首を振る。


「焼ける前には戻らない。家も、人も、声も……戻らない」


 黒い指が震える。


「ただ、忘れないでほしい」


 橋姫が静かに目を伏せた。


「忘れられない人や時間は、無理に心から消さなくてよいのです。それも、今を生きる者を形作る縁なのですから」


 茶太郎は童子へ手を差し出した。


「君の名前は、カイ」


「カイ……?」


「灰のカイ。それから、帰る、改めるのカイ。元へ戻れなくても、次の形へ変わっていけるように」


 童子の白灰色の髪が、ふわりと揺れた。


「ぼく……消されない?」


「消さない。でも、危ないことをしたら止めるよ」


「……うん」


 カイは共同炊事場の灰置き場を自分の居場所に選んだ。

 ただし、どの灰でも同じように使えるわけではない。


 清潔な薪の灰。

 漆や油のついた家材が混じった灰。

 釘や瓦を含む焼け跡の灰。


 太常と宇治土公うじどこうが分け、用途を札へ記す。


 カイの役目は、危険な灰を勝手に畑や洗い物へ使わせないこと。

 そして、焼け跡から名前が現れたら、宗白へ知らせることになった。


 茶太郎は《縁の料理覚書》へ、灰に残る手形を描いた。


『片づけることと、無かったことにするのは違う。名前は確かめ、分からなくても消さずに残す』


 その夜、カイは新しい道の入口へ灰で文字を書いた。


『犬が通さない』


 直後、暗い路地から低い唸り声が聞こえた。

 煤で身体の半分を黒くした豆しばが、新道の中央に立っている。

 首には、焼けた町境の札。


「ここから先は、洛中でも、この町でもない」


 犬神・らくは牙を見せた。


「境を持たぬ者は、一歩も通さぬ」

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


焼け跡を片づけることは、そこに暮らしていた人々の存在まで消すことではありません。カイが守るのは灰そのものではなく、灰の中へ残された名前と、確かめられていない記憶です。


ただし、作中でも触れたように、灰は由来によって扱いが異なります。現実の灰を畑や洗浄へ用いる場合は、安全性を十分に確認してください。


次回は、焼けた町境を守り続ける犬神・洛が登場します。


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『茶太郎がゆく』
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