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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
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第63話 「釘打ちの甚八と、長刀を担いだ夜」

 ――武器だった鉄を、家を支える鉄へ――


 ――カン、カン、カン……

 乾いた槌音が、朝の長刀鉾町へ響いていた。


 焼け跡にはまだ煤の匂いが残る。

 それでも鍛冶場の炉だけは、今日も赤々と燃えていた。


 茶太郎たちが通りへ入ると、一人の少年が鍛冶場から飛び出してくる。


「甚八のおっちゃん! 鍬、ありがとう!」


 煤だらけの若い鍛冶師は振り返りもせず手を振った。


「今度は石に当てるなよ。」


 少年は嬉しそうに頷き、干し柿を一つ差し出す。


「代金にはならん。」


 そう言いながら甚八は一つだけ受け取り、もう一つは少年へ返した。


「家で食え。」


 それを見送った町人が苦笑する。


「口は悪いが、困った家の道具は真っ先に直してくれる男や。」


 茶太郎は思わず呟いた。


「……優しい人なんや。」


 その瞬間だった。

 後ろを歩いていた京鈴が、不意に立ち止まる。


 カン……

 カン……

 槌音だけを聞くように目を閉じる。


「……あ。」


 小さく震えた声。

 宗白が振り返る。


「京鈴?」


 京鈴は甚八ではなく、その音だけを追っていた。


「……似てる。」


 その一言で、町の空気が一変した。


「長刀をどこへやった!」


 町人たちが鍛冶場を囲んだ。

 釘打ちの甚八じんぱちは槌を握ったまま動かない。


 年は十七。


 煤に汚れた顔と、左足を引きずる歩き方。

 京鈴きょうすずが聞いたという、長刀を運んだ者の特徴と重なっている。


「鍛冶場を調べろ!」


「溶かして売ったんや!」


 数人が中へ入ろうとすると、甚八は焼けた鉄棒を地面へ打ちつけた。


 ぎいん——。


 鋭い音が響き、町人たちの足が止まる。


「勝手に入るな。火床を崩したら、焼けるのはお前らやぞ」


「やましいことがないなら見せられるやろ!」


「証拠もなしに押し入る奴へ、見せるもんはない」


 怒声が飛び交う。


 茶太郎は京鈴を見た。

 少女は首の焼けた鈴を握り、甚八の足元を見つめている。


「同じ人?」


「……分からへん」


「音は?」


「似てる。でも、さっきの鉄は短い。あの夜は、もっと長う震えてた」


 京鈴は目を閉じた。


 甚八が左足を一歩運ぶ。

 ずっ。

 続いて右足。

 とん。


 京鈴の顔が強張った。


「足の音は……同じ」


 甚八の槌が止まった。

 宗白そうはくが前へ出る。


「甚八。話してもらおう」


「知らん」


「京鈴は、あの夜の音を聞いている」


「子どもの聞き違いや」


 甚八は背を向けた。

 しかし、腰に束ねた曲がった釘が震えている。


 茶太郎には、甚八の心から焦げた鉄のような味がした。


 怒りだけではない。

 何かを隠している苦さだった。


「甚八さんは、長刀を盗んだの?」


「盗んでへん」


 今度の答えだけは速かった。


「じゃあ、触った?」


 沈黙。


 炉の中で炭が弾けた。


「……担いだ」


 町人たちがどよめく。


 甚八は槌を置いた。


「あの夜、武装した連中に鍛冶場から引きずり出された。刃を傷めず運べる者が要る言われたんや」


 二代目長刀は油布に包まれ、二本の竹へ結びつけられていた。

 甚八は見知らぬ男と二人で、それを担がされた。


「断れば斬ると言われた。わしは……従うた」


「どこまで運んだ!」


「東の外れまでや。そこから先は別の連中が運んだ。近江の言葉を使う奴もおった」


 宗白が問い詰める。


「なぜ黙っていた」


 甚八は自分の左足を叩いた。


「逃げようとして斬られた。それでも、わしが長刀を運んだことは変わらん」


 さらに彼には、別の後ろめたさがあった。

 騒乱の前、甚八は寺方から頼まれ、槍先や矢尻を作っていた。

 自分が打った鉄で、誰かが傷ついたかもしれない。


「神も仏も、火を止めへんかった。祈った奴も、祈らん奴も焼けた」


 甚八は炉を睨む。


「せやから、もう神仏の道具も、戦の武器も作らん」


 鍛冶場の奥には、焼けた家から集められた金具が並んでいた。


 曲がった釘。

 割れた鎹。

 鍋の取っ手。

 折れた槍先。


 甚八は、それらを打ち直していた。


「長刀を溶かした証拠がある言うなら探せ。けど、ここにある鉄は、潰れた家と捨てられた武具から拾ったもんや」


 弥七と宗白が鍛冶場を調べた。


 長刀ほど大きな刃を切断した跡も、銘のある茎も見つからない。

 炉も、長刀一本を跡形なく処理できる大きさではなかった。

 甚八は焼けた金具を一つ取り、赤く熱した。

 槌を振り下ろす。


 かん。


 かん。


 曲がっていた鉄が伸び、一本の太い釘へ変わっていく。


「鉄は、前に何やったかを喋らへん」


 甚八は言う。


「槍やった鉄も、打ち直せば家を支える。せやけど、使うた人間は覚えとかんとあかん」


 その日、共同炊事場の大鍋を吊るす金具が不足していることが分かった。


 甚八は腰に差していた短刀を抜いた。

 刃こぼれしているが、唯一残していた自分の武器だった。


「それも使うの?」


 茶太郎が尋ねる。


「持っとったら、また誰かへ向けるかもしれん」


 甚八は短刀を炉へ入れた。


 赤くなった刃へ槌を振り下ろす。

 一打ごとに刃の形が消え、太い鉤へ変わっていく。

 やがて共同竈の上へ、大鍋が吊り下げられた。


 甚八は出来上がった鉤を見上げ、手を合わせなかった。

 ただ、鍋が落ちないよう留め具を二度確かめた。

 それが彼なりの祈りだった。


 茶太郎は《縁の料理覚書》へ、短刀と鍋の鉤を並べて描いた。


『物の昔は消せない。でも、次に何へ使うかは選び直せる』


 甚八は長刀を運ばされた場所へ、一行を案内した。


 東へ抜ける焼け道。

 崩れた塀の下から、油を含んだ布の切れ端が見つかる。

 京鈴は、その場所で耳を澄ませた。


「ここで、担ぐ人が替わった」


「どうして分かる?」


「足の音が四つから、六つに増えてる」


 そのとき、背後からしゃがれた声がした。


「長い荷を運んだ連中なら、うちも見たで」


 大きな背負い籠を担ぎ、片眉のない老婆が立っていた。


「話を聞きたいんやったら、まず腹ごしらえし。空腹の耳は、都合のええことしか聞かへん」


 塩、味噌、乾物を商う露店の主——お寅婆おとらばばだった。


 茶太郎は一度だけ振り返った。

 鍛冶場では、甚八が誰もいなくなった炉の前で、

 黙って一本の釘を打ち続けていた。


 かん。

 かん。

 その音はもう、

 京鈴が怯えた音ではなかった。


 壊れた町を支える音だった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


同じ鉄を打つ音でも、誰が何のために打つかによって意味は変わります。甚八の槌音は、武器を壊す音ではなく、焼けた町の家や農具を立て直す音でした。


疑いを晴らすことと、長刀を見つけることは別です。新たな足跡を追う茶太郎たちの前へ、片眉のない露店商・お寅婆が現れます。


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『茶太郎がゆく』
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