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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
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第55話 「井戸底の青龍と、濁り水の行方」

 ――水神がいても、汚れた井戸は人の手で直す――


 崩れた井戸の奥で、青い光が瞬いていた。


 メイが井戸の縁から身を乗り出す。


「石組みの向こうに、長いものがおるぞ!」


「落ちるで」


 弥七がメイの胴へ縄を巻きつけた。


「わしは蛙じゃ! 井戸くらい——」


「落ちたら助ける人が要るやろ」


「……縄はつけておこう」


 井戸の使用は、すぐに止められた。


 六合りくごうが町組へ知らせ、別の井戸から水を運ぶ役を決める。


 太常たいじょうは残っている水桶を数え、病人と炊き出しへ優先して回した。


 誰かが井戸へ降りる前に、弥七は灯明を縄で吊るして底へ下ろした。


 炎は消えない。


「息のできん空気が溜まっとる様子はない。せやけど、壁が崩れかけとる。むやみに人は入れられん」


 井戸掘りを仕事にする町人が呼ばれ、木枠と縄、滑車が用意された。


 茶太郎は井戸の外から作業を見守る。


「青い子を、早く助けなくていいの?」


「急いで石を動かせば、井戸ごと崩れる」


 伊平いへいじいさんが答えた。


「助けたいときほど、順番を守るんじゃ」


 上部の緩んだ石を固定し、土が落ちないよう板で支える。

 水を桶で少しずつ汲み出し、崩れた場所を露出させた。

 すると、抜けた石組みの奥から濁った水が流れ込んでいるのが見えた。


「雨水だけやない」


 井戸掘りの男が顔をしかめる。


「焼け跡の灰や汚れが、上の窪地から染み込んどる」


 近くには、火事で壊れた溝と便所跡があった。

 井戸の水を澄ませるだけでは足りない。

 汚れが入り続ける道を止めなければ、何度汲み出しても濁る。


「水の入口を探そう」


 茶太郎たちは地上へ回った。


 そうが上空から土地の窪みを見つけ、弥七が濡れた土をたどる。


 メイは溝の石へ鳴き声を当て、下に空洞がある場所を調べた。


 雨水の流れは、焼けた土塀の下を通り、井戸の脇へ集まっていた。


 町衆は新しい浅い溝を掘り、汚れた水を井戸から離れた低地へ流す。

 井戸の周囲には、水が溜まらないよう土を盛った。

 それから崩れた石を組み直し、隙間へ小石を詰めていく。


 最後の石が納まった瞬間——

 井戸底の青い光が一気に伸びた。


 水柱ではない。

 細長い青龍が石組みに沿って昇り、井戸の上で輪を描いた。


 青い鱗。

 枝分かれした角。

 水のように揺れる髭。


「ようやく流れが戻ったか」


 橋姫が頭を下げる。


「十二天将・青龍せいりゅう。東方と、水が進む道を読む者」


 青龍は井戸を覗き込んだ。


「私は水の向きと地下の傾きを読める。だが、汚れた水を無かったことにはできぬ」


「水の神さまなのに?」


「水を操ることと、安全な飲み水を作ることは別だ」


 青龍の尾が地面をなぞると、地下水の進む方向が淡い線となって見えた。


「この井戸の水は、東の高みからゆっくり来る。だが上から入った汚れは、それより速く落ちてくる」


 汚れた水をすべて汲み出し、新しい水が溜まるのを待った。

 最初に溜まった水も飲まず、濁りと匂いを確かめて再び汲み出す。

 桶や釣瓶も洗い、飲み水は念のため沸かした。


 山科言継やましな・ときつぐが注意を加える。


「澄んで見えても、安全とは限らぬ。しばらくは別の井戸と併用し、腹を下す者が出ないか記録する」


 茶太郎は《縁の料理覚書》へ、井戸と二本の水の線を描いた。


『水をきれいにする前に、汚れが入る道を止める。澄んだ色だけで決めない』


 青龍は、その絵を見て満足そうに髭を揺らした。


「幼いわりに、流れを見る目は悪くない」


「褒めてる?」


「半分だけだ」


 ミカエが鼻を鳴らす。


「ずいぶん偉そうな龍じゃ」


「兎に言われたくはない」


 二柱が睨み合う横で、メイが新しく組んだ井戸へ小さく鳴いた。


「けろ」


 返ってきた音は一つ。

 濁りの流れ込む空洞は、塞がれていた。


 その夜、井戸から汲んで沸かした湯で、茶太郎は薄い茶を淹れた。


 青龍が一口飲み、目を細める。


「水の流れが、素直な味だ」


 しかし、すぐに東の空を振り返った。


「宇治の方で、別の水脈が動いた」


 秘密基地へ続く地脈ではない。

 もっと深く、木津川の方角から北へ進む、大きな地下の流れだった。


「誰かが水をせき止めている」


 青龍の鱗が、警戒するように逆立った。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


青龍のような水神が現れても、壊れた井戸を直すのは人の仕事です。霊の力は原因を知らせたり、流れを読んだりできますが、石を組み直し、安全を確かめ、使い方を決める役目までは代われません。


井戸の濁りが収まった一方、もっと深い水脈で新たな異変が起きました。次回、茶太郎たちは木津川へ続く支流へ向かいます。


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『茶太郎がゆく』
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