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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第一章 ~三歳の茶太郎、宇治を巡る~
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第5話 「茶畑の秘密基地と、土地神さまとお地蔵さま」

――縁の子らが集う場所に、古き守り神が現れる――


 宇治の朝風には、若い茶葉の香りが混じっていた。


「茶太郎〜! 早く行こ〜!」


 こたろが茶畑へ続く道を、勢いよく駆けてくる。


「あっ、こたろ。走ったら――」


 茶太郎が言い終える前に、こたろの足が石へ引っかかった。


「わあっ!」


 前のめりになった体を、後ろから来たかん太が慌てて受け止める。


「危ない言うとるやろ。今日は兄ちゃんがおらんかったら、顔から落ちとったぞ」


「今日は転んでないよ〜!」


「兄ちゃんが捕まえたからや」


 縁が小さく息をついた。


「こたろ、茶畑ではゆっくり歩こうね」


「は〜い……」


 その肩では、三毛猫の希太が呆れたように尻尾を振っている。


「にゃ」


『毎日、懲りないにゃ』


 茶太郎の胸に、希太の声が響いた。


 先日から、茶太郎には茶丸と希太の言葉が少しずつ聞こえるようになっていた。ただし、聞こえるのは二匹が強く心を動かしたときだけらしい。


 足元では、すっかり歩けるまでに回復した茶丸が、静かに一行を見守っている。


 茶太郎、こたろ、縁。


 そして、茶丸と希太。


 かん太に見守られながら、小さな一行は茶畑の奥へ向かった。


     ◇


「ここ、いい場所だよ!」


 茶太郎が見つけたのは、茶畑の脇にある小さな竹林だった。


 茶畑から少し離れているため、仕事の邪魔にならない。背の低い竹と草に囲まれ、子どもたちが数人座れる程度の空間もある。


「ここを秘密基地にしよ〜!」


 こたろが両手を上げる。


 縁は竹林の中を、ゆっくりと見回した。


「この場所、白い糸がたくさん流れてる」


「白い糸?」


「うん。竹と土と茶畑が、優しくつながってる。安心できる場所みたい」


『悪くない場所だ』


 茶丸も竹林へ入り、周囲の匂いを確かめた。


 希太は縁の肩から飛び降り、日当たりのよい場所に座る。


『ゆかりが気に入ったなら、ここでいいにゃ』


「希太も賛成だって」


 茶太郎が伝えると、縁は嬉しそうに笑った。


 秘密基地を作るといっても、三歳の子どもたちだけでは竹を切ることも、重い枝を運ぶこともできない。


 そこで、かん太が安全な場所を選び、落ちていた細い竹を組んだ。子どもたちは柔らかな葉や藁を運び、地面へ敷いていく。


「こたろ、欲張って持ったら、また転ぶよ」


「大丈夫だよ〜!」


 こたろは落ち葉を両腕いっぱいに抱え――やはり途中で足を滑らせた。


 ふわりと葉が舞い、こたろの頭にも降り積もる。


「ほら、言うたやろ」


「落ち葉が柔らかかったから、平気だよ〜!」


 こたろが笑うと、茶太郎と縁もつられて笑った。


 やがて、竹で囲まれた小さな空間が出来上がった。


 立派な小屋ではない。それでも子どもたちにとっては、十分に特別な場所だった。


「ここ、僕らの場所だね」


 茶太郎が座ると、茶丸が隣へ寄り添った。


「うん。みんなの糸が、この場所で結ばれてる」


 縁の瞳には、竹林の中を行き交う白や桃色の糸が見えていた。


「おーい。えらい楽しそうなもんを作っとるな」


 声に振り返ると、茶畑の見回りをしていた伊平じいさんが立っていた。


 日に焼けた顔をほころばせ、子どもたちの秘密基地を眺めている。


「伊平じいさん!」


「ここ、僕らの秘密基地なんだよ」


「秘密やのに、わしに教えてええんか?」


 伊平じいさんが笑う。


「あっ……」


 茶太郎が口を押さえると、こたろが胸を張った。


「伊平じいさんは仲間だから、いいんだよ〜!」


「ほう。ほんなら、仲間になった印に、ええもんをやろう」


 伊平じいさんは籠から、朝摘みの茶葉を少し取り出した。


「今朝摘んだばかりの若葉や。香りを確かめてみい」


 茶太郎は、両手で茶葉を受け取った。


 青く爽やかな香りがする。葉にはまだ朝露が残り、柔らかな光を受けて輝いていた。


「いい匂い……」


「摘みたての茶は生きとる。せやけど、置いとけば香りも色も変わってしまう」


 その言葉を聞いた途端、茶太郎の胸がわずかに熱くなった。


 この香りを失いたくない。


 このままの茶葉を、父や母にも見せたい。


 そう願いながら葉を握った瞬間、胸の熱が腕を通って手のひらへ流れ込んだ。


「えっ?」


 茶葉が淡い光に包まれる。


 次の瞬間、手の中から跡形もなく消えてしまった。


「茶葉が消えたよ〜!」


 こたろが目を丸くする。


「茶太郎、どこへやったん?」


 縁には、茶太郎の手から空間の奥へ伸びる、細い金色の糸が見えていた。


 茶太郎自身にも、胸の内側に小さな蔵が生まれたような、不思議な感覚がある。


『茶太郎。先ほどの茶葉を思い浮かべ、手を開いてみろ』


 茶丸の声が響いた。


 茶太郎は目を閉じ、摘みたての若葉を思い浮かべた。


「戻ってきて」


 手のひらに光が集まり、消えた茶葉が再び現れる。


 色も香りも、朝露さえも、消える前と変わっていなかった。


「すごい……」


 縁が茶葉を見つめる。


「糸の向こうに、小さな蔵みたいな場所がある」


 伊平じいさんは驚きながらも、興味深そうに頷いた。


「物をしまう力か。昔話では、仙人が空の蔵へ宝を納めたいう話もあるが……」


『《亜空間収納》だ』


 茶丸が告げた。


『入れた物を、温度も香りも変えずに保つことができる』


「亜空間収納……」


『料理を作る者には、得難い力だ。茶葉や食材を、最もよい状態で守れる』


 茶太郎は手の中の若葉を見つめた。


 力を得たことよりも、茶葉の香りを守れたことが嬉しかった。


「これなら、父ちゃんと母ちゃんにも、摘みたての匂いを持って帰れる」


 伊平じいさんは、その言葉を聞いて目を細めた。


「力を得て最初に考えるんが、家族に香りを届けることか。茶太郎らしいな」


     ◇


「せっかくや。この茶葉で茶を淹れてみるか」


 伊平じいさんは秘密基地の外に、小さな火鉢を用意した。


 火と熱湯は大人が扱い、茶太郎たちは少し離れて見守る。


 茶太郎は亜空間収納から若葉を取り出すと、小さな指で優しく揉んだ。


 胸の奥の熱が、茶葉へ少しずつ流れ込む。


「茶太郎の金色の糸が、葉の中へ入っていく」


 縁が息をのむ。


「いい匂い〜!」


 こたろも鼻をひくひくさせた。


 伊平じいさんが湯を冷まし、茶太郎の揉んだ葉へ注ぐ。


 湯気とともに、甘く柔らかな香りが竹林へ満ちていった。


「できた……!」


 伊平じいさんが小さな湯飲みへ分け、子どもたちの前へ置く。


 皆が手を伸ばそうとした、そのときだった。


 竹林の奥から、風が吹いた。


 木々はほとんど揺れていない。それなのに茶の湯気だけが、風へ導かれるように一か所へ集まっていく。


 やがて湯気の向こうに、小さな老人の姿が現れた。


 茶葉のように深い緑の着物。土色の杖。長い眉の下では、優しい目が笑っている。


「ほほう。茶畑の子らが、ずいぶんとええ茶を淹れたものじゃ」


「……誰?」


 茶太郎が尋ねると、縁がその袖を握った。


「茶太郎。この人、竹や土や茶畑と、金色の糸でつながってる」


 縁は目を見開いている。


「この土地の神さまや」


 老人は愉快そうに笑った。


「よく見えておる。わしは、この辺りの茶畑を守る土地神じゃ」


 茶丸が姿勢を正し、神へ向かって静かに頭を下げる。


「獣王よ。その幼子を主と定めたか」


『我は、茶太郎とともにある』


 土地神は満足そうに頷き、茶太郎の湯飲みをのぞき込んだ。


「この茶からは、不思議な縁の香りがする。わしにも一杯、分けてもらえるかのう?」


「うん。どうぞ!」


 伊平じいさんが新しい湯飲みへ茶を注ぎ、茶太郎が両手で差し出した。


 土地神はひと口飲むと、ゆっくり目を閉じた。


「ほぉ……心の強張りが、ほどけていくようじゃ」


 老人の体から、淡い緑の光が広がる。


 その光は竹の根を伝い、茶畑へ染み込んでいった。


「子らの縁と、茶畑の霊気がよう調和しておる」


 すると竹林の外から、こつ、こつ、と硬い音が聞こえてきた。


「何の音〜?」


 こたろが顔をのぞかせ、驚きのあまり尻もちをついた。


「お、お地蔵さんが歩いてる〜!」


 茶丸が倒れていた場所に立っていた、あの小さな石地蔵だった。


 短い石の足で一歩ずつ進み、秘密基地までやってくる。


 縁には、地蔵から伸びる白と金の糸が、茶丸へつながっているのが見えた。


「茶丸を見守っていた、お地蔵さま……」


 地蔵は茶丸の隣へ腰を下ろした。


「茶太郎くん。あの日、この子を助けてくれて、ありがとうねぇ」


 穏やかな声だった。


「お地蔵さまが、茶丸を守ってくれてたの?」


「わしにできたのは、悪いものを遠ざけることだけ。弱った命を救ったのは、君の手と料理じゃよ」


 茶太郎は少し照れながら、お地蔵さまにも茶を差し出した。


「どうぞ」


「ありがたいねぇ」


 地蔵は茶をひと口飲み、ほっとしたように目を細めた。


「優しい味じゃ。茶太郎くんだけではない。縁ちゃん、こたろくん、二匹の猫……ここに集まった者の気持ちが、よく混ざっておる」


 土地神は竹林を見回し、杖で地面を軽く叩いた。


 とん、と柔らかな音が響く。


 竹林の周囲に淡い光が走り、地面へ小さな円を描いた。


「この場所は、縁の結び目になったようじゃ」


「縁の結び目?」


「人と霊、猫と土地。異なるものが集まり、同じ茶を囲める場所じゃよ」


 土地神は茶太郎たちを見渡した。


「ここを、おぬしらの“縁の拠点”とするとよい。わしと地蔵も、できる限り見守ろう」


「悪い霊は来なくなるの?」


「弱い邪気なら近づきにくくなる。じゃが、強い恨みや乱れた地の力までは防ぎ切れぬ」


 土地神の顔から、わずかに笑みが消えた。


「宇治の水と土には、近頃よからぬ濁りが混じり始めておるからのう」


 茶太郎の舌に、一瞬だけ苦い味が触れた。


 すぐに消えたが、茶畑の外から何かがこちらを見ていたような気がした。


『茶太郎。この場所を守るのだ』


 茶丸が告げる。


『ゆかりも守るにゃ』


 希太が続けた。


『泣かせた者は噛むにゃ』


「希太、噛んだらだめよ」


 縁にたしなめられ、希太は不満そうに耳を伏せる。


 その姿を見て、皆が笑った。


 茶太郎は自分の湯飲みを手に取った。


 土地神、お地蔵さま、伊平じいさん、かん太、こたろ、縁。


 そして、茶丸と希太。


 人も、猫も、神も、同じ茶の香りを囲んでいる。


「みんなで飲むと、もっとおいしいね」


「ほほ。ほんまに、ええ子らじゃ」


 土地神の笑い声が、竹林へ響いた。


 こうして茶畑の秘密基地は、人と霊の縁が集う、小さな拠点になった。


 けれど、土地神が口にした「濁り」の正体を、茶太郎たちはまだ知らない。


 穏やかな茶畑の土の下で、黒い気配が静かに動き始めていた。

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