第42話 「焼け跡の六角堂と、池坊専応の一枝」
――失われた町に、枯れ枝が立ち上がる――
宇治へ分けられた塩三俵を降ろしたあと、舟は残りの荷を積んで都へ向かった。
茶太郎も伊平じいさんに連れられ、その舟に乗っていた。
同行するのは、弥七、ユキ、蒼、シオ。
荷は塩と干魚、米酢。
届け先は、下京の六角堂である。
「茶太郎、勝手に荷へ触るんやないぞ」
伊平じいさんが念を押す。
「この塩は、都の町衆が銭を出し合うて買うたもんじゃ。宇治で余ったから届けるんやない。本来の持ち主へ返すんや」
「うん。ちゃんと渡す」
都へ近づくにつれ、空の色が濁っていった。
煙は薄くなっていたが、川風には焼けた木と土壁の匂いが残っている。
岸へ上がると、焼け跡が続いていた。
柱だけになった家。
割れた甕。
黒く焦げた井戸の釣瓶。
茶太郎は足を止めた。
「ここに……人が住んでたんだよね」
「今も住んどる」
ユキが答えた。
「家が焼けても、町まで消えたわけやない」
六角堂の周辺には、多くの町人が集まっていた。
塩舟が到着したと知ると、何人もの男が駆け寄ってくる。
「うちの町が先や!」
「病人がおるんや。塩を寄越してくれ!」
「こっちは三日も味噌を炊けてへん!」
荷へ伸びる手を、弥七が身体で遮った。
「押すな! 俵が破れたら、誰の口にも入らんぞ!」
しかし、それぞれが自分の町名を叫び、話がまとまらない。
誰が何人を養っているのか。
どの井戸が使え、どの竈が残っているのか。
記した帳面も、火事で失われていた。
そのとき、六角堂の境内から一人の僧が現れた。
「声の大きさで塩を分ければ、声を出せぬ者が飢えます」
僧の名は、池坊専応。
静かな眼差しを持ち、手には水を張った古い器を抱えていた。
器には、一本の黒い枝が立てられている。
枝の先には、焼け残った白い花が一輪だけ咲いていた。
町人の一人が眉をひそめる。
「このような時に、花どころやあらへん」
「このような時だからこそ、立てるのです」
専応は答えた。
「焼けた枝にも、まだ上を向く力がある。それを見失えば、人の心まで焼け跡になります」
茶太郎は、花から目を離せなかった。
枝の半分は黒く焦げている。
それでも専応は、傷んだ部分を隠していなかった。
「きれいなところだけ、見せないんですか?」
専応は茶太郎を見た。
「枯れ、曲がり、傷ついた姿にも、その草木が生きた道があります。それを捨てれば、この花ではなくなってしまうでしょう」
茶太郎は焼けた町を振り返った。
都も同じなのかもしれない。
傷をなかったことにはできない。
けれど、残ったものから立ち直る姿を作ることはできる。
専応は地面へ六角形を描いた。
「まず、町ごとに代表を一人。必要な人数ではなく、今日炊ける竈の数を申し出てください」
「人数やなくて、竈ですか?」
「百人分の塩があっても、十人分しか炊けなければ余ります。反対に、竈があっても水がなければ料理にはなりません」
茶太郎が顔を上げる。
「食べ物だけじゃ、食事にならない……」
「そのとおりです」
町衆は六つの役目に分かれた。
米と味噌を数える者。
水と桶を確かめる者。
薪と竈を調べる者。
薬と病人を記す者。
寝床と衣を探す者。
荷車と運び手を集める者。
弥七とユキが各町を回り、蒼が井戸と焼け残った小屋を上空から確かめる。シオは舟と荷車の間を往復し、荷札を届けた。
やがて塩は、声の大きさではなく、炊ける量と必要な場所に応じて分けられた。
最後の一升は、身寄りのない者のために六角堂へ残された。
「これが、町の縁なのですね」
茶太郎が言う。
専応は、焼け枝の向きをわずかに直した。
「一本の枝だけでは、景色にはなりません。高い枝、低い草、その間にある空き——互いが場所を譲ることで、ひとつの姿になります」
そして一枚の紙を取り出し、短い言葉を書いた。
「茶太郎。この意味を、料理の中で考えてみなさい」
紙には、こう記されていた。
『花は、ただ美しきをのみ賞するにあらず』
それは花伝書そのものではない。
専応が茶太郎へ託した、最初の問いだった。
その夜、六角堂の仏前には、焼け枝と白い花が立っていた。
花の下では、六つの町の者が同じ塩で炊いた粥を分け合っている。
茶太郎は椀の中を見つめた。
「料理にも……高いもの、低いもの、空いているところがあるのかな」
専応は微笑んだ。
「それを知りたければ、明朝、池のほとりの坊へ来なさい」
焼け跡の夜風に、白い花が静かに揺れた。
倒れず、焦げ跡を隠さず、それでも天へ向かっていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回登場した池坊専応は、戦国期のいけばなを代表する人物です。本作では、焼けた六角堂周辺で町衆の立て直しに関わる姿を創作として描いています。
焦げた枝を捨てず、白い花とともに立てる。それは傷を美化することではなく、傷を負ったまま立ち上がる姿を示すものでした。
塩の分配も、声の大きさではなく、竈、水、人数に応じて決められます。
次回は池坊専慶の花影と、料理における「主・添え・余白」を学びます。




