第37話 「山科言継の診立てと、薬売りの弥七」
――傷を治す医術と、生きる力を支える料理――
平等院の一角には、火傷を負った避難者が横たわっていた。
山科言継は一人ずつ脈を取り、傷の深さを確かめていく。
「傷へ灰や油を塗ってはならぬ。まず流水で熱と汚れを除き、清潔な布で守るのだ」
言継は医師ではない者にも治療を任せきらず、重傷者を別の部屋へ移した。
茶太郎は、椀を持てない男のそばへ座る。
「おなか、空いてる?」
「食いたいが……腕が動かん」
茶太郎が茶粥を口元へ運ぼうとすると、言継が止めた。
「待ちなさい。食べられる状態か、先に診なければならぬ」
「料理を作る前に?」
「病人によって、食べられるものも量も違う。料理は薬の代わりではない」
茶太郎は素直に椀を置いた。
「じゃあ、食べていい人を教えてください」
言継は頷いた。
「診立ては私が行う。そなたは食べられる者の力を支えてくれ」
◆飲み下せる茶粥
言継の指示を受け、茶太郎は米を普段より多い水で煮た。
柔らかくほどけた米を潰し、薄い茶の出汁と合わせる。さらに葛を少し加え、匙からこぼれにくい程度のとろみをつけた。
味噌と塩は、ごくわずか。
仕上げに溶き卵を細く流す。
「できた。《葛と卵の薄茶粥》」
怪我人へ出す前に、言継が味を見る。
「薄いな」
「喉が渇いてる味がしたから」
「よい。ただし、これで傷が治るとは言ってはならぬぞ」
「うん。傷を治すのは言継さん。ぼくは食べるのを手伝う」
茶太郎は小さな匙で粥を冷まし、男の口元へ運んだ。
「……うまい」
「ゆっくり食べてね」
男が一匙ずつ飲み込むたび、強張っていた顔が少しずつ緩んでいった。
◆薬売りの少年
そのとき、炊き出し場の外で言い争う声がした。
「その布を無理に剥がすな。皮まで傷める」
旅姿の少年が、怪我人を手当てしていた。
年は十五ほど。薬草と火打石を入れた箱を背負い、周囲の出口や人数を絶えず確かめている。
言継
「そなた、薬売りか」
「山の薬草を扱っています。名は……弥七と」
少年は火傷の周囲を水で洗い、清潔な布を差し出した。
「薬は塗りません。深い傷なら、俺の手には負えない」
言継はその手つきを見つめた。
「己のできることと、できぬことを分けておる。悪くない」
弥七
「褒められるほどのことではありません」
希太が弥七の薬箱へ近づき、鼻をひくつかせた。
「にゃ」
「近づくな。薬が入っている」
そう言いながら、弥七の声だけが優しくなる。
希太は構わず膝へ前足をかけた。
「……一度だけだぞ」
弥七が希太を撫でた瞬間、薬箱の奥から小さな壺が転がった。
茶太郎
「水飴?」
弥七
「疲労時の携帯食だ」
茶太郎
「三つもあるよ」
「任務には、それだけ力が要る」
茶丸は弥七の腰袋を見つめた。
袋の奥には、薬草とは異なる墨と封蝋の匂いがある。
茶丸(念話)
『茶太郎。この者、薬売りだけではない』
◆風に逆らう火
不意に、大鍋の下の炎が高く伸びた。
風は北から吹いている。
だが炎は、風に逆らうように北へ身をよじった。
弥七が即座に立ち上がる。
「薪に油でも染みているのか?」
「違う」
茶太郎の胸へ、焼けつくような恐怖が流れ込んだ。
炎の中から、かすかな声が聞こえる。
『……焼きたいのではない……』
『止まり方が……分からぬ……』
茶太郎
「火が……泣いてる」
炎は赤い蛇の形となり、炊き出し場の柱へ伸びた。
弥七は水桶を蹴り寄せ、避難者へ叫ぶ。
「鍋から離れろ! 風上へ走れ!」
茶丸の土壁が火の進路を塞ぐ。
しかし赤い蛇は土壁の前で身をくねらせ、さらに大きくなった。
言継
「これは、都から来た火なのか……?」
茶太郎は炎を見つめた。
人を温めるはずの炊事の火に、洛中で燃え続けた恐怖が宿っている。
”十二天将・騰蛇”
その名を、茶太郎はまだ知らなかった。
そして薬売りを名乗る弥七もまた、燃える火の向こうで、自らの秘密を隠していた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回は山科言継から、料理と医術の境界を学びました。
弱っている人へ栄養のある料理を出せばよいとは限りません。傷、熱、意識、飲み込む力を確かめ、薬師や医師の判断を仰ぐ必要があります。
料理は薬の代わりではなく、診立てのあとで体を支えるものです。
薬売りの弥七も登場しましたが、その荷には薬草以外の秘密があるようです。
次回は、炊事の火へ都の恐怖が宿り、止まり方を知らない赤い蛇が現れます。




